『クトゥルフ神話』の創造者として今日まであらゆる分野で影響を与えている怪奇幻想作家のH.P.ラヴクラフトの作品と生涯を独自の目線で語った、小説家ミシェル・ウエルベックのデビュー作。
1991年に発行した本文に、作者本人による「はじめに」(1999年)とスティーヴン・キングによる序文「ラヴクラフトの枕」(2005年)を加えた普及版を底本にしているとのこと。
怪奇幻想文学を読む上でラヴクラフトは外せないとのことで、最近発売されていた新潮文庫のシリーズを読んでみたがいまいちノリが掴めず断念していた。魅力を知る人の感想は作家の世界に入る足がかりになるものなので、ラブクラフトを「熱烈な偏愛で語る」という裏表紙の文句に縋るように購入。しかし、キングの序文で早々に心配になる。嫌な予感は当たるもので、呪いの何たるかを知りました。元気な時に読みましょう。
端的に言ってしまうと、時代と社会に徹底的に合わない人間の不運の物語だった。副題は世界と人生に「抗う」というよりは「呪う」が相応しい気がする。ラブクラフトは『クトゥルフ神話』という呪われた物語を世に出すつもりはなかった。ラブクラフトにとって創作というのは、居場所のない類稀なる想像力を慰めるための場所であって、誰かのために書かれた物語ではない。故に多くの共感を得たというのも、あまりにも皮肉な話である。本書を読む人は、救いのない人生にとって死こそが唯一の救いなのだという絶望と正面から対峙することとなる。
人生に希望の光を当てることが創作物の役割の一つであるが、現実問題として夢も希望も失くした人々は世界に山ほどいる。夏休みが明ける頃に自殺をするこどもたちがいる。光に怯えるようになった人をどうやって救うことができるのかわからないが、『クトゥルフ神話』には絶望と親しむような力があるのかもしれない。これも人間なんだなと本書を読みながら何とも言えない気持ちになった。
「幸」とういう字は、手枷の形が字源であるという説がある。なぜ手枷が「幸せ」なのかというと、死罪は免れたからだそうだ。それを思えば随分と幸せな時代を生きているのだが、『クトゥルフ神話』が多くの人の救いになるような時代がまた来るのかもしれない。などとだんだん悲観的になってくる。
少しでも前向きに捉えるなら、歴史には決して残らない闇に消えていった人々の代弁者と言えるかもしれないが、そんなものは気休めにもならないか。しばらくは引きずりそうな本でした。