ビョルン・ナッティコ・リンデブラッドのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
怒りに支配されず心穏やかに過ごせるためのヒントがある。
スピリチュアルなものを批判はしないけど、あまり信じていないので、果たして僧院で欲や自由を絶つ修行をすることに意味があるのかは懐疑的。
著者は立派なキャリアを捨て、17年間修行をしたけどその後お金も仕事もなく鬱病になり社会的にみたら失敗なのでは?と思える状態になっている。
あまりにも仕事の負荷が大きく、社会から離れることは著者の心身にとって必要だったのだと思う。それは逃げとは違うのだろうけど、世間の厳しさを思うと僧院と世俗とではどちらが修行なんだろうと思ってしまう。
雑念を取り払って瞑想に集中するのは著者の経験を読み、とても難しいんだと知った。
生活に追われながらじゃ余計に難しいだろうけど、短くてもなるべく瞑想する時間を持ちたいなと思った。
・心に何を浮かべるかはコントロールできない。私たちが選べるのは、その考えを信じるかどうかだけなのだ。
・知識は、知っていることすべてを自慢する。知恵は、知らないことすべてに対して謙虚になる。
・知っていると思っていることにしがみついていると、視野が狭くなり、多くのことを逃してしまう。
購入本 -
Posted by ブクログ
ネタバレ自分の心を守るための考え方を示してくれている本。題名の「私が間違っているかもしれない」も、その一つである。こうした考えや気づきが、本書にはたくさん出てくる。
特に印象に残ったのが、「思考は自分自身ではない」という気づきだ。嫌なことがあったときや、悪い考えが頭をよぎったとき、それをそのまま「自分の考え」だと受け取るのではなく、一歩引いて客観視する。これは多くの人が持っておくべき考え方だと思う。自分の中に浮かんだ思考と、自分自身を同一視しないだけでも、心が少し楽になるのではないだろうか。
一方で、著者の主張を読み進めるうちに、少し引っかかる部分もあった。
著者は17年間にわたって僧侶として生活し、心の在り方について学んできた。しかし、僧侶を辞めた直後に鬱になり、1年半もの間、引きこもっていたという。親から金銭的な援助を受けられたことや、信頼できる友人がいたことによって、そこから社会復帰することができた。もちろん、信頼できる友人がいたのは著者自身の人間性によるところも大きいだろう。ただ、それでも環境に恵まれていたのではないか、という印象は残った。
何より、「心の在り方を17年間も学んできた人でも、心の病になるのか」と思ってしまった。このエピソードを知ってから、著者の主張を以前ほど絶対的なものとして受け取れなくなった。
ただ、むしろこの経験があるからこそ、本書の考え方には別の意味があるのかもしれない。どれだけ心について学んでも、苦しむときは苦しむ。修行を積めば、人生の苦しみから完全に逃れられるわけではない。
著者自身も本書で述べているように、特別な修行をする必要はなく、日々の生活の中に気づきはある。17年間修行しても病むときは病むのだから、自分の実態に合った気づきを、自分の生活の中で少しずつ取り入れていけばいいのだと思う。
「心を守るための考え方」を知っていることと、実際に心を守れることは、きっと別の話なのだろう。それでも、苦しいときに「私が間違っているかもしれない」「この考えは自分自身ではない」と一歩引いて考えられるだけで、少しだけ生きやすくなるのかもしれない。
すべてを信じる必要はない。著者の経験や主張に疑問を持ちながら、それでも自分にとって使える考え方だけを拾っていく。それくらいの距離感で読むのが、自分にはちょうどよかった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「I may be wrong(私が間違っているかもしれない)」というタイトルが印象的。
僧侶として長年修行を積んだ著者が、人生のさまざまなエピソードを通して学んだことを教えてくれる一冊。少し冗長に感じる部分もあったけれど、心に刺さる言葉も多かった。
特に印象に残ったのは、長年にわたって心の修行を続けてきた著者自身が、ある時うつになったという経験。
「どれだけ心の修行をしていても、うつになるときはなるんかーい!!」と、ある意味で衝撃を受けた。でも同時に、心が軽くなった。どれだけ努力しても、心が折れることはある。それを知れたこと自体が、自分にとって大きな救いだった。
そのほかにも、「心の奥にある平安を鍛えること」「どこに意識を向けるかを自分で選ぶこと」、
自分が正しいと思いすぎると視野が狭くなり、孤独になる。「もしかしたら自分が間違っているかも」と思えることで、少し力が抜けて、謙虚になれる、が心に残りました。!