渡邊行男のレビュー一覧
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『重光葵手記』をベースにしながら、重光葵の生涯をたどる。正直、この本は重光葵の評伝と呼ぶには違和感がある。手記の引用が多く、彼目線の戦中外交史と呼んだ方がいいかもしれない。
また、幼少期から学生時代に至る生い立ちについての記述がほぼない。最終章に少し記述があるくらいか。1929年の上海総領事時代から本書はスタートしており、その点はやや不満である。
さらに、重光葵の最大の謎である、鳩山内閣外務大臣時の日ソ領土交渉の経緯についての記述も薄い。あとがきで、著者は重光葵の真骨頂は戦前・戦中期の外交官、政治家としての活躍にあったと述べているが、だとしても戦後に彼が果たした役割も大きく、特に日ソ領土交渉に -
Posted by ブクログ
和平に調整役として東西に奔走しつづけた
老練外交官の足跡。
日本の降伏文書に調印した首席全権として
有名な重光葵は、戦前・戦後を通じて、和
平の調整役として東西を奔走しつづけた人
であった。その足跡を、残された膨大な手
記、回想録を基に辿る。
序 章
第一章 隻脚公使
第二章 外務次官、対華問題
第三章 雪のモスクワ
第四章 霧のロンドン
第五章 戦時の外相として
第六章 ミズーリ号への道
第七章 巣鴨獄窓日記
第八章 改進党総裁、保守合同
第九章 日ソ交渉、国連加盟、終焉
あとがき
本書は、副題にもあるとおり、上海事変か
ら国連加盟までの、重光の足跡 -
Posted by ブクログ
重光葵は戦後の政治家としてよりも戦前・戦中の外交官としての
方が存在感があるんだよな。
本書は重光葵の回想録や手記からの引用が多用されているので、
人物を描くと言うよりも重光の目を通した外交史の一面というとこ
ろかな。
1932年の上海事変後には駐華公使として中国との停戦協定締結
の為に奔走する。締結間際の天長節の式典での爆弾攻撃で右脚
を失うことになるのだが、手術直前に停戦協定に署名する。
駐ソ公使としてモスクワに赴任した時には日独防共協定直後という
これ以上ないほどの悪いタイミングだし、吉田茂の後任として駐イギ
リス大使として赴けば日独伊三国同盟締結。
ヨーロ