金子光晴のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
佐賀藩士にハマって色々文献を読んでいた頃、某サイトで
“江藤新平・大隈重信・副島種臣などが語られている”
とりわけ“副島種臣に関する回想が多い”
ということが書かれてあったので、興味を持って読んでみました。
結果。この本買って良かった…!!
幕末の佐賀藩士に関する名著の多くは今や絶版もしくは入手困難となっている。そんな中でこの本はまだ購入すること出来る数少ない名著の一つなのです。
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江戸幕府の奥医者で唯一の公認蘭方医であった桂川家という名門の家に生まれた 今泉(旧姓:桂川)みね という女性が語り手の回想録。昭和10年から約3年、80歳のみねの驚異 -
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金子光晴の自伝的小説。
どろっとしたものがずっと流れているよな、
そんな小説。
わくわくドキドキまるでなし。
淡々とすさまじい人生。
結婚して、奥さんが不倫して、
その奥さんと恋人を引きはなすためにパリを目指す。
激☆貧乏旅行。
上海→香港→シンガポール
そしてパリへ。
他にもジャカルタや蘇州にも足を伸ばす。
詩人が絵をかいてお金を得る。
『どくろ杯』は言ってみれば出発編。
『ねむれ巴里』、『西ひがし』と続編がある。
1920年代後半からはじまるたび。
不思議なのは、80年近く前のことなのに、
金子光晴の感じていることが、
すごく生き生きしていて、
私 -
Posted by ブクログ
この人の腹が据わっている文章と生き方がとても好きだし、本書も実際とても面白く「支那」関係の洞察は今でもよく通用すると思う。
貧乏についての文章にはとくに笑った。曰く「貧乏も、ひとり身でやっているのだったら、からだがひきしまって、そんなにわるいものでもない」。「貧乏に平気な女がいたら、と僕はあくがれたほどだ。それほど例外なしに、女は、貧乏ぐらしの苦しさが辛抱できない」。「中西悟堂君は、米や、パンを排して、しばらく松葉を摘んで常食にしていた。蛙をつかまえて、あたまから呑んでしまうのをみていて三歳位だった僕の息子が、わっと泣き出したことがあった」。「真の貧乏人とは、もっと筋骨の通った堂々としたもので -
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圧倒的だった。正直、何と感想を述べるべきか判らない。
著者が詩人として世に出た後、関東大震災が襲う。胸が塞がれるような記述が冒頭に続く。
夫人となる森美千代との出会いがあり、婚姻、子供の誕生。夜逃げを繰り返すような生活の中、家族を放って上海へ遊ぶ。帰国すると、彼女に若い恋人出現。結局、妻と彼が復縁しないように距離を置くことを目的に旅が始まる。
洋行すると宣言しながら、大阪、長崎に長く留まり、なんとか上海へ。いかがわしい文章をガリ版刷り、いかがわしい売人に託したりする、綱渡のような生活。旅情など望むべくもない。放浪、風天というか、逃避と呼ぶべきか。そして著者を含め、何処にも居場所のないような人 -
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ネタバレ大抵のこの時代のフィクション、主に新選組を扱った物になると思うが
容保さんがしょっちゅう具合が悪いというイメージで
療養だとか具合が悪いとか倒れたとか
そういう描写がとても多い。
病弱な方かのような印象なのだが
これを読んで納得した。
こんな激務の最中にあって、具合が悪くならない方が寧ろ可笑しい。
現代で言うなら、過労によるストレスだろうと思う。
激務、という単語は他の書物で見かけたが
やはり会津藩の家臣の方が著者であるだけあって
微に入り細に入り書かれていてあらゆる点で納得した。
また、この史料で初めて知ることも多かった。
当然飽く迄も会津藩サイドから書かれている為会津寄りの視点ではある