文系か理系かという専門分野の選択があたかも人間性にまで通用するかの錯覚は、少なくとも日本社会においては普遍的な偏見の一つである。勉強したことによる専門性による得意分野の違いはあれど、通常は誰しも両方の素養を備えている。一方で我々は、「数学そのものに対しても偏見を持っている」というのが本書の面白い視点だ。
それに入る前に〝文系理系論争“を少し掘り下げてみたい。お互いがお互いを揶揄する時、極端に言えば文系は理系を「融通が利かない専門バカ」みたいな印象で、逆に理系は文系を「論理性のない、あるいは単に数学ができないバカ」みたいに語りがちだ。
だが先述の通り、これは両方人間には必要な要素であり、文系は論理、数理によらず、世の現象を物語化して判断しなければならない場合に働く素養とも言えるが、理系は事象に規則性を見い出すために、積み重ねや一般化のための実証手続きを要する。「複雑な事象を整理する仮の論理」と、そこから「規則性を慎重に見抜く再現可能な論理」みたいな違いとも言えるだろうか。
敵集団が近づく事を察知し、その日の夜、森がガサガサ音を立てた。それから毎日夜に音がなる。証拠に基づく科学主義的な推論がなくとも「過去に襲われた歴史、他者を襲う社会性、襲う方が楽だという経済、逃げるべきだという心理」が働き、これは我々への襲撃のための下調べだというストーリーを創作して、文系的に逃げる。他方、翌朝巣を観察して、これは夜行性の生物が巣を作ったのだと立証させる理系的振る舞い。人類には両方が必要であったはずだ。
原始においては今死なないための文系脳、将来死なないための理系脳、みたいにも言える。だが、死と隣り合わず嘘が飛び交う現代ネット社会では、誰かの創作に絡め取られがちな文系脳が危ういのも事実だ。
・数学は積み重ねが大事なつみきのような教科
・数学は常に正しいか間違っているか
・数学は文化に左右されない
・数学は才能のある人のものだ
・数学は抽象的だから難しい
これらが偏見である事を本書は訴える。積み重ねは大事なんじゃないかな、とは思う。