朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班のレビュー一覧
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2004年に国立大学が法人化されて以降20年が経過、この間、国は「選択と集中」をスローガンに運営費交付金の減額と、競争資金の増額を進めてきた。
本書は、これが結果的に国立大学の研究力の低下や疲弊を招いたとして、学長や教職員に対する数々のアンケートも踏まえ、警鐘を鳴らす。
運営費交付金は教職員の人件費や研究費、光熱費などに充てられるもの。これが04年度から15年度の間に1470億円削減された。これにより、一部のトップ大学を除き、地方大学は疲弊、若手の研究者が期限付きの雇用となったり、施設や設備改修ができなくなったりしているという。
足りない分は、競争的資金や企業との共同研究、寄付といった外部資金 -
Posted by ブクログ
自分自身が国立大から私大に転じた1人なので興味深く読んだが、出版社および著者の特性からか、大学問題に被せて政府批判になっている。
また、国立大から私大への教員の転出について目次にありながらも、本文で触れているのはわずかである。地方国立はもともと首都圏や関西の私大へ教員が転出する傾向はあったが、近年ではそれが加速している。また最近ではいわゆる上位と呼ばれる国立大でも特に文系でその傾向が見られる(聞いた話では、一昨年、一橋大学から複数名の教員が一気に私大へ転出したという)。
さらに地方国立大では教員を公募しても応募者が集まらず流れる傾向が目立つ(自分の場合も後任人事が一度流れて、退職の翌々年度 -
Posted by ブクログ
腰掛けで所属した程度だが、国立大学の現状はオワコンである。基幹予算の運営費交付金は漸減し、競争的予算獲得を文科省から尻を叩かれつつ目指すも、場当たり的かつ経営能力の欠如した執行体制で将来ビジョンすら覚束ない。
そんな国立大学の窮状は、2003年の独立法人化に端を発する。小泉改革における規制緩和と国立機関民営化の流れを受け、国際競争力と科学立国としての研究力を高めるために、自立的に運営することが国立大学にも求められた。
そういった美辞麗句とは裏腹に理系と文系の対立や、とくに医学部の力が地方国立大学では強く、実質的に医学部長から学長になるといった慣例が常態化している。研究する時間は減って会議と