一応、国語教師をやっている人間として、すごく読んでよかった。何よりも、世の中にある様々な「国語」に対する著者の距離感の取り方のバランスというか、その辺が好きだった。
一口に「国語」「国語力」と言っても、日々の生活の中でコミュニケーションが取れること、言葉から情報を得られること、学校の「国語」の授業の中で子どもたちが学んでいること、受験で問われていること。こういったものは、重なりながらも違っていたり、一部であっても全部でなかったりする。だからこそ、「国語力は、受験を超えたその先の、もっとずっと続く人生においても必要となる力」で「入試に向けた勉強だけで国語と向き合うのではなく、家庭でも国語力を伸ばす機会や環境を作ってほしい」(p53)と言っている。
何というか、「国語力」を広く捉えて、受験の「国語」だけに終わらないようにしてほしいと言いつつ、繋がっているものとも捉えている。
「おわりに」で著者は、「全編を通して、「学ぶ」という言葉をほぼ使いませんでした」(p297)と言っている。それは、「「学び」ではなく、「日常的にそこにある」のが環境づくりである、というささやかなこだわり」(p298)だという。色々な「国語」に対する距離感から生まれた考え方が、この、言葉を「学び」の対象ではなくて、身の周りにある「環境」として捉える感覚なのだろうと思う。
もう一つ、全編を通して強調されていることに、子どもが楽しく続けられること、保護者も無理なくできることが大切、ということがある。「環境」は、否が応でもでも、常に身の周りにあり続けるものになる。だからこそ、それが重荷になってしまえば、続かない。
無理なくできる、不自然でない言葉の環境づくり。どの程度、自分の理解が合っているかはわからないけれども、自分が読み取った、そういう著者の考え方に、とても共感できた。