アダニーヤ・シブリーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ著者は1974年、パレスチナ生まれ。イースト・ロンドン大学にて博士号を取得、現在はベルリンを拠点に執筆活動を継続しているという。訳者の山本薫によれば、「とるに足りない細部」はアラブ世界の女性作家を対象としたドイツの文学賞「リベラトゥール賞」を2023年に受賞したが、ハマースのイスラエル攻撃後に授賞式は無期延期となった。
小説は2部構成。第1部は1949年に実際に起きたイスラエル軍兵士によるベトウィン少女に対する強姦・殺人事件をイスラエル軍将校の視点から語り、第2部では現代のパレスチナに住む女性が、その出来事のことをどうしても知りたいと記録や証言を捜し求める道程が書き込まれる。
興味深いのは、第1部・第2部のいずれもで「眼差し」が重要なモティーフとなっていること。第1部で語りが焦点化する「彼」は、不断に自己自身が部下の兵士からどう見られているか、他のイスラエル人たちからどう見られているか、何よりベトウィンの少女からどう見られているかが気になって仕方がない。しかし、それはあくまで自意識とそれがもたらす「疚しさ」の問題である。一方で第2部の「私」は、まさにその眼差しが自己自身の生と精神を脅かす具体的な脅威であることを意識せずにはおれない。「私」をとりまく日常は複数の境界線でがんじがらめになっていて、その線を越えるためには途方もない準備と周囲の助けが必要で、実際にその線を越えてしまうと「私」はそこにいてはならない存在だから、少しでも「不審な行動」と判断されてしまえば自分の生命だけでなく、協力者たちの日常が危うくなってしまう。そのことを「私」は熟知しているからこそ余計に意識してしまい、ぎこちなくしか語れず、動けない。第1部の「彼」の太腿を刺した何者か(サソリだろうか?)は、第2部の「私」がさらされた構造的・具体的な暴力の反転のようにも見える。「私」が見えない権力の視線にさらされ続けたように、「彼」は砂に埋もれ、砂に紛れる毒虫に見られ続けていたのだ。 -
Posted by ブクログ
現代パレスチナ文学の騎手である、アダニーヤ・シブリーが2017年に発表した小説。
1949年8月、ナクバ渦中のパレスチナで起きた実在の少女強姦事件から着想を得た作品とのこと。
本作は第一部と第二部で分かれており、第一部では1949年8月のその事件をイスラエル軍の兵士の目線で語る。
そして第二部は飛んで2004年現代のイスラエルで暮らすパレスチナ人女性が少女強姦事件の記事を見たことでパレスチナに渡って事件の痕跡を辿るという物語。
虐殺は個々人の人生を大きな出来事として括ってしまい、彼ら彼女らの人生を剥奪してしまうものだ。「とるに足りない細部」として。
この物語はそんなパレスチナで人知れず個人に降りかかる最悪をすくい上げるような作品であった。 -
Posted by ブクログ
アラビア語の原題は“تفصيل ثانوي”、英語では”Minor Detail”。 ثانويはminorやsecondaryにあたる言葉らしく、副次的や従属的を指し、いずれにしろ「主流ではないもの」を意味するようだ。
著者はパレスチナ生まれ。現在はエルサレムとベルリンを拠点にしている。
本書の原著はアラビア語で書かれている。各国語に訳されているが、邦訳は重訳ではなく、アラビア語から訳されている。
第一部と第二部に分かれた中編。
いずれもテーマは、1949年8月、ナクバ(「大惨事」)に付随して起きた、イスラエル兵によるベドウィン少女の集団レイプ殺人である。第一部では、当事者のイスラエル軍将校の目から見た事件が描かれ、第二部は現代、パレスチナで暮らす女性が事件を知って起こす行動が一人称で綴られる。
第一部は三人称なのだが、視点はほぼ将校から離れることはない。任務はアラブ人の残党を一掃すること。しかし、日々、あまり大きな変化はない。宿営地から砂漠地帯のパトロールに出て、また戻り、眠る。そうした日々の詳細を淡々と追っていく。ある時、寝ていた彼は何かに刺される(文中には記載がないが、サソリだろうか)。その腫れはどんどんひどくなっていく。何日かして、パトロールでベドウィンの一団に出くわし、(おそらく大半を殺し)少女を一人宿営地に連れ帰る。
少女に対する記述も相変わらず淡々としたままだ。
食事の際、彼は兵士たちに向けて演説をする。アラブ人、特にベドウィンに対する偏見に満ちた捉え方は驚くほどだが、なるほど、本気でそう思っているのならば自らの正当性を疑うことはないだろう。
彼にとって、少女の一件は、何かに刺されてできた傷の腫れよりも「とるに足りない」ことであったのかもしれない。あるいはそう思おうとしていた、のかもしれないが。
第二部の主人公は、新聞でこの事件のことを知る。事件の日は、たまたま、彼女の誕生日のちょうど四半世紀前だった。彼女はその「とるに足りない」細部に引き付けられる。それでどうしても、その事件のことを自分で詳しく調べたくなる。そうするためには、自分が行くことのできない土地に向け、いくつもの検問を通り抜けなければならないのだけれど。親切な同僚や知人の力を借り、彼女はそこへ向かう。その詳細や彼女の思考が、丹念に、ほとんど改行もなしに綴られていく。
彼女の旅はどうにかこうにか進むが、最後に悲劇が起こる。
本作は、各国で高い評価を受け、ドイツでは2023年10月、ブックフェアで授賞式も行われるはずだったのだが、「反ユダヤ的」であるとの批判が起こり、式は中止された。ハマスの急襲に続く紛争の只中だったことも理由であろう。
確かに政治的に受け取られがちな作品ではあろうが、著者は自作が安易に現実や政治に重ね合わせられることを望んではいないという。
あくまでフィクションとして読んだとき、読者の胸に残るのは何だろうか。
大義や正義や主義主張、何かしら大きなものの陰で、とるに足りない、些細だと見なされたものは蹂躙されていく。それこそが実は人が生きる理由であるのかもしれないのに。
縦2メートル、横50cmの穴に横たわる少女は何を思うだろう。どうかその魂が安らかでありますように。