ヘンリー・オースターのレビュー一覧

  • アウシュヴィッツの小さな厩番

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    裕福なドイツ人として育っていたドイツ系ユダヤ人の少年は、ある日突然全てを没収された。逃げ隠れを続け、父を失い母とも強制的に離れ離れにされた。多感な年ごろの少年が、(6歳から10年間)収容所の過酷な状況を奇跡的に生き抜いた戦争体験記録。

    2024年日本で発刊。思い出すことも辛かったであろう壮絶な体験を文字にするには長い期間が必要だったと推測した。

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    2024年12月21日
  • アウシュヴィッツの小さな厩番

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    ホロコーストでは600万もの犠牲者が出たとされる。他に“社会不適合者”の安楽死断種もあった。「二度と起こさないために全てを記録しておかないとならない」
     第一次大戦に彼の父も愛国心で勇敢に戦ったが、「ユダヤ人が裏切られて負けたのだ」キャンペーンには無価値だった。公職追放、商店ボイコット、自転車禁止、ダビデの星表示強制、小さな抵抗に「クリスタルの夜」全土で打ち壊し暴行→ヒトラーは「全責任は私にある」と声明してかえって名を揚げた。
     まず目につかない場所に移住させ(彼等の家族はポーランド)後日絶滅収容所に集団連行。家畜のように識別入れ墨して。ポーランドのユダヤ人のなかで彼はドイツ語ができたから選別

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    2025年06月30日
  • アウシュヴィッツの小さな厩番

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    ケルンで両親と平穏な日々を過ごしていた著者は、1941年12歳の時にゲットーへと移送される。父親は過酷な労働で命を落とす。その後、母親と移送されたアウシュビッツで、母親はガス室へ送られ一人取り残される。いくつかの収容所を移送されながらも、少年なりの知恵を働かせ連合軍による解放の日まで生き延びる。その後、米国にいたおじ夫婦の養子となり米国で検眼士となり、2019年に90歳で亡くなった。
    二度と戻らないと誓ったドイツ・ケルンに、ケルンからゲットーへ移送された数少ない生存者として70周年の式典に参加する。その式典で、現代を生きるドイツ人が祖先の行なった蛮行を知り許してはならないことは大事だが「祖先の

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    2024年10月24日