浜田律子のレビュー一覧
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若くして1000人もの部下を率いる――その姿からは、生まれながらのリーダーとしての才覚と責任感の強さが感じられる。まさに天才肌であり、誰もが信頼を寄せる最高の上司だったのだと思う。
しかしその舞台は会社ではなく、戦場。
日々、生死が隣り合わせの中で、彼は部下たちの命を預かっていた。
戦いが終わり、自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感と喪失感は、想像を絶するほど深いものだったに違いない。
戦後も彼の心は戦場に置き去りのまま、亡くなった部下たちのことを忘れることができなかった。
遺族に手紙を送り、戦死の詳細を自ら調べて伝える――その行動には、「上官としての最後の責任を果たしたい」という強 -
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自分のどんな感想より、伊東大隊長のこのメッセージを受け取ってほしいとこちらに引用します。
『エピローグ 奇跡の帰還』より
p263「戦争は二度と起こしてはならない」
伊東大隊長は、亡くなる少し前まで、自衛官を相手に沖縄での経験や国を守る軍人としての心構えについて講義することが多く、訪ねてくる軍事の専門家も後を絶たなかったそうだ。
そうした訪問者を対象に、大隊長はアンケートをとっていた。
【設問内容1日本にとって、大東亜戦争とは?】
①やむにやまれぬものか
②愚かなものか
大隊長の陸軍士官学校時代の二〇名の同期は、両論に分かれ一〇:一〇。訪ねてきた少尉、中尉相当の自衛官五名は、二:三。そし -
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太平洋戦争の壮絶な激戦地となった沖縄。その沖縄戦を闘った部隊の中に、当時24歳の伊東孝一が大隊長として率いる第二四師団歩兵第三二連隊があった。部隊は1945年5月初旬、日本軍が唯一米軍から陣地を奪還するという戦いぶりをみせたが、激しい戦闘の末に9割が戦死。伊東は〈生き残ってしまったことへの後悔と贖罪の意識、そして戦死した部下たちへの想い〉に苛まれた戦後を送ることになる。その彼は終戦直後、およそ600人の部下の遺族宛てに 詫び状を送る。そこには沖縄から持ち帰ったサンゴの塊を打ち砕いて分けた包みと、各々の「戦死現認証明書」が同封されていた。そしてその遺族からの返信を大切に保管していた。本書は著者が
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激戦の沖縄戦で1000人もの部下を率いた伊藤大隊長。わずか24歳。
大隊長も若ければ、命を落とす兵士もまた若い。
みんな私よりも若い。
息子でもおかしくない若者が次々と紙切れ1枚で国にとられ、遺品はおろか遺骨もなく、悲惨な最期を遂げたり、最期が分からなかったりする。
どんなに恐ろしく、苦しかっただろう。
戦争がなければお腹いっぱい故郷の空気と水とご飯を食べ、長生きし、子どもや孫に囲まれただろうに。
これは80年前の話だと自分に言い聞かせないと、辛くて読めない。
今の平和な毎日、家族がいることに感謝しないといけない。
もっとちゃんと生きないといけないと背筋が伸びる。
学校や家庭でも平和学習に -
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沖縄第二弾。
沖縄戦を生き抜いた伊東大隊長が、戦後、部下の家族とやり取りしていた手紙。遺族から伊東大隊長に宛てたその内容とともに、戦没者が戦っていた当時の様子が紹介されている。
「大義のために散ったのだから後悔はない」という遺族の手紙の文面と心情には乖離があったんだろうと思う。
驚いたのは、遺骨のDNA鑑定で身元が判明し、2021年に家族の元に帰れたということ。こういう状況が今も続いていることを初めて知った。
そして伊東さんを取材し、ボランティア学生とともに手紙の差出人を並々ならぬ苦労をかけて探し出したジャーナリスト夫妻の志にも感動。
本当に、これを本にしてくださってありがとうございます -
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ヒボさんの本棚から、いつもありがとうございます。今まで読んできた作品とは違って、パッパッとは読めないものでした。なので、時間をかけてゆっくり読ませてもらいました。
先の大戦において。激戦を極めた沖縄戦にて約1000人の部下を率いていた伊東孝一大隊長は、多くの部下を失いました。伊東孝一大隊長は、亡くした部下の遺族に対して、「詫び状」を沖縄の珊瑚とともに送っています。その「詫び状」に対しての遺族からの返信を大事に保管していた伊東孝一大隊長から、託されたこの作品の浜田夫妻は遺族に返還する活動を行っています。
戦後79年の年月は遺族を探すことも困難を極めています。また探し出しても名前しか聞い -
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沖縄戦は本土決戦に至るまでの時間稼ぎとも言われていて 武器や食料も足りない状況で 戦いを強いられた兵隊の多くは 故郷に帰る事なく 沖縄の土になった
故郷で待つ家族には 詳細も何も伝えられず もしかしたら 戻って来るかもと 儚い望みを持っていた人もいたそうです
この指揮官は 自分だけ生き残った事は 亡くなった者達の為に生きる事が使命と思い 部下の家族に手紙を送った
そのやりとりの手紙を 返却する為に 著者達が動いた内容のノンフィクションでした
本当に愚かな戦争でした
でも
命を失った多くの人々は 無駄死にとは 思いたくありません
彼らは 家族や日本の為に 負けるとわかっていても 戦って -
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ネタバレ太平洋戦争時に、24歳という若さで1000人の大隊を率いて戦った指揮官が辛くも生き延びて、亡くなった隊員の家族に詫び状を書いた。それに対する亡くなった隊員の家族からの手紙の内容と、それを家族の子孫に渡していく時の様子が描かれている。
この本を読んで一番印象的だったのは、戦争というのは昔昔の違う世界でのお話ではない、ということ。
今もまさに世界では戦争が進み、人がたくさん亡くなっていっているが、どこか自分とは違う世界の話と捉えていた。
一番リアルだなと感じたのは、遺族からの手紙の中に、「証明書を出してください」「役所に通知するよう言ってください」「手続きはどうしたらいいか」といった、市役所での -
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沖縄戦で部下の9割を失った24歳の指揮官が終戦後に遺族にお詫びの手紙を書き決して無駄死にではなかったと説明する。一部の遺族からの返信を指揮官はずっと持っており、本作品のジャーナリストが手紙の送り主の遺族や親類を探し当てその内容を朗読し返還している。遺族から指揮官への返信は、必死で悲しみを押し殺し、目の前にある厳しいという言葉では言い表せないような現実の中を進まざるを得ない状況を綴ったものが多かった。指揮官は『日本にとって大東亜戦争とは?』というアンケートを訪問者にとっていたそうで、“やむにやまれぬもの”と“愚かなもの”の2択だが、前者を半数くらい選択していることに驚く。指揮官も日本人はまだまだ