【感想・ネタバレ】ずっと、ずっと帰りを待っていました―「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡―のレビュー

あらすじ

沖縄戦で、米軍から陣地奪還を果たした大隊があった。奮戦むなしく兵士の9割は戦死。終戦直後から24歳の指揮官・伊東孝一は部下の遺族に充てて「詫び状」を送り続ける。時は流れ、伊東から「遺族からの返信」の束を託されたジャーナリスト夫婦が、“送り主”へ手紙を返還するなかで目撃したのは――。不朽の発掘実話。

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Posted by ブクログ

若くして1000人もの部下を率いる――その姿からは、生まれながらのリーダーとしての才覚と責任感の強さが感じられる。まさに天才肌であり、誰もが信頼を寄せる最高の上司だったのだと思う。

しかしその舞台は会社ではなく、戦場。
日々、生死が隣り合わせの中で、彼は部下たちの命を預かっていた。
戦いが終わり、自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感と喪失感は、想像を絶するほど深いものだったに違いない。

戦後も彼の心は戦場に置き去りのまま、亡くなった部下たちのことを忘れることができなかった。
遺族に手紙を送り、戦死の詳細を自ら調べて伝える――その行動には、「上官としての最後の責任を果たしたい」という強い思いがにじむ。

「ずっと、ずっと帰りを待っていました」
部下を思い続けた祈り
そして生き残った者として背負い続けた痛み
戦争が終わっても苦しみは続いたであろう

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2025年10月25日

Posted by ブクログ

沖縄戦で24歳の青年が大隊長として1000人もの部下を率いていたとは驚いた。でも戦後、戦死した部下の遺族に宛てた手紙はとても今どきの24歳には書けないであろう文面で、ああ80年前の24歳と今の24歳は違うんだな、と。あの戦いの中、沖縄の人たちに辛くあたっていた日本兵がいたというのはよく読むけれど、ああこんな責任感を背負って生きた人もいるんだな、と。北海道や東北から遠く離れた沖縄で息子や夫を亡くした人の返信は胸につまる。戦争なんてやるもんじゃない。

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2025年07月23日

Posted by ブクログ

沖縄戦当時24歳、1千人近い部下を持った大隊長は9割の部下を失うも生きながらえる。戦後、遺族たちに部下の最期を伝える手紙を送り、その返信356通。墓場まで持ち帰ろうとする指揮官を説得し、遺族からの返信をさらに関係者に返却する企画。一度も父と会うことのなかった子供や親戚、筆者夫婦を含め戦争を知らぬ世代の学生ボランティアの努力を戦記を交えて記した感動作。

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2024年09月19日

Posted by ブクログ

自分のどんな感想より、伊東大隊長のこのメッセージを受け取ってほしいとこちらに引用します。

『エピローグ 奇跡の帰還』より
p263「戦争は二度と起こしてはならない」
伊東大隊長は、亡くなる少し前まで、自衛官を相手に沖縄での経験や国を守る軍人としての心構えについて講義することが多く、訪ねてくる軍事の専門家も後を絶たなかったそうだ。
そうした訪問者を対象に、大隊長はアンケートをとっていた。

【設問内容1日本にとって、大東亜戦争とは?】
①やむにやまれぬものか
②愚かなものか

大隊長の陸軍士官学校時代の二〇名の同期は、両論に分かれ一〇:一〇。訪ねてきた少尉、中尉相当の自衛官五名は、二:三。そして、私たちが連れていった大学生一•名は、六:四だった。
学生の中には、大隊長が元軍人であるが故に、遠慮して「やむにやまれぬ」に投じた者がいたようだ。
この結果を受けた伊東大隊長。
「以上を観察するに、日本人はまだまだ反省が足りない。軍事をゲーム位に思っている。日露戦争の勝利に酔って、観念的に日本軍は強いと陸軍の上層部は思っていたようだ。その誤った判断の下に太平洋戦争へ突入した」
戦闘へ参加したことについてはずっと悔やんでいた。
「国家が戦争を始めたからには、我々、戦闘部隊は全力を挙げて戦うしかなかった。それがたとえ愚かな戦争であっても…・・・・・」同時に、こう断言している。
「当時の世相や若さゆえに、それを止めることができなかった。だからこそ、文民による統制が大切で、戦争は二度と起こしてはならないことだ」

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2024年08月20日

Posted by ブクログ

太平洋戦争の壮絶な激戦地となった沖縄。その沖縄戦を闘った部隊の中に、当時24歳の伊東孝一が大隊長として率いる第二四師団歩兵第三二連隊があった。部隊は1945年5月初旬、日本軍が唯一米軍から陣地を奪還するという戦いぶりをみせたが、激しい戦闘の末に9割が戦死。伊東は〈生き残ってしまったことへの後悔と贖罪の意識、そして戦死した部下たちへの想い〉に苛まれた戦後を送ることになる。その彼は終戦直後、およそ600人の部下の遺族宛てに 詫び状を送る。そこには沖縄から持ち帰ったサンゴの塊を打ち砕いて分けた包みと、各々の「戦死現認証明書」が同封されていた。そしてその遺族からの返信を大切に保管していた。本書は著者が、返信された356通の手紙を再びその親族に返還することを伊東から託され、まだ4分の1程度ではあるが返還した時の記録を綴ったノンフィクションである。

ページをめくる手が震え、涙を堪えきれなかった。

遺族の手紙はどれも心に響く。夫の帰りを待ち続ける妻、悲しみの感情を抑え、息子の死を名誉だと書く父母⋯⋯。そして、返信の手紙を遺族の親族に渡した時のあふれ出る感情。
大隊長は、その席でいきなり床に膝を折り、両手をつき頭を下げる。「私は、皆様の大事な親御さんを戦死させた責任者のひとりです」ポロポロと涙をこぼした。
「姿は見えなくとも、夫はきっと生きている。私の心の中に」
「復員軍人を見るにつけても、もしやと胸を轟かせた」
「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」
「白木の箱を開けると、石ころが一個。それだけだったのよ」
「働き者だった父は、頑固で厳格な昔気質の性格。息子の戦死を知っても、妻子や親類の前ではいっさい取り乱さず、黙々と仕事に励む明治生まれの男だった。だが、遺骨が入っていたとされる白木の箱が届いた日の夜、皆が寝静まるのを待ってから、祭壇の前で箱を開け、中に入っている石を見て、声を殺しながら泣いている姿を家族が目撃している。そして、空が白むまで箱を抱きしめて離さなかったそうだ」
「家族のために結核だった自らを顧みなかった長女は、終戦から4年が過ぎた頃『お世話になりました。さようなら』 との言葉を残して早逝した。傷心の母を最後まで支えきれなかったことを詫びながら」
「手紙を届けてくれた皆さんと伊東大隊長へ御礼を申し上げたい。もう胸がいっぱいで、夢を見ているようだ。諦めかけていた親父の面影が、目の前に浮かび上がってきた。言葉を紡げないほど感動している。今は、国や家族のために戦って亡くなった親父のことを誇りに思える」
「たとえ戦争でも、優しかった兄さんが人を殺すなんて想像もできない。中の石ころがカラコロ鳴る白木の箱が帰って来た時、母さんは畑の中で泣き崩れたのよ。こんなものを届けて何が名誉の戦死だ、と言って⋯⋯」
「戦争で家族の絆が壊れそうになりましたが、父を忘れず、語り続けてくれた母の愛が、私たちをつなぎとめてくれました。それが、この手紙を読んでようやく理解できたのです。この齢になったから、わかるのかも知れませんね」
「戦争は父を奪い、母や私を辛苦の底に叩き込んだのです。あの憎き戦争さえなければ、ここまでの苦労はしなかったのに⋯⋯」
「いかに敗国とはいえ、兵士の妻として、御同者の方々より立派な御戦死を賜り、犬死とならぬ様、私の身の続く限りはどこまでも、御冥福をお祈り致す覚悟を誓いました。天は自ら助くるものを助くとか、又は至誠通天とも申します様に、人事を尽して天命を待つと言いますが、何事にしても、われわれは天命により支配され、神の試練と諦めて、世の嵐の中に強く正しく生きます」
「悪いことをした人を罰するより、悪いことをしない人を育てることが大切だ。息子さんは、父の願いを叶え教育者となり、教え子を決して戦場に送るまい、との決意で平和教育に力を注いだそうだ」
「73年間も、亡くした部下とその遺族を思い続けてくださった伊東さまには、感謝してもしきれない気持ちです。24歳で1000人近い部下を引き連れ、地獄の戦場となった沖縄戦に挑み戦後は亡くした部下のことを片時も忘れずに、その重圧を背負って暮らされた心労は私たちには計り知れません」
「夢の中で故郷に帰り着き、父母と再会を果たしたり、手作りの食事に舌鼓を打ったりした者は、例外なく戦死する。そうまことしやかにささやかれていた。父母や妻と抱擁できたり、食事を口にしたりする直前に目覚め、思いを果たせなかった者は生き永らえる、とも」

手紙を返還する著者たちの旅とともに、戦死した兵士の最期の姿が、伊東の証言と記録によって再現される。凄惨を極めた戦場と「いま」とがそうしてつながるとき、80年近い歳月が一層胸に迫る。
戦争はきれいごとでは済まされない。一人ひとりには、苦労を共にする家族がいて、それぞれの物語りがあるのだ。短い手紙の中に、「お国のため」と散っていった若者の遺族の、複雑な心情を汲み取ることができる。

手紙の束を終生抱え続けようとした伊東の心の裡は、どれほど苦しいものだっただろうか。
「軍神と崇められるか否かは、死に際によって決まる。そうした精神主義に偏った風潮に支配されて、火力を軽視し、歩兵中心の戦術が主流になった。それが兵学を極めようとする若手将校らの憂慮を深めている」  や、「戦争がゲームのように捉えられている昨今、人の殺し合いがどれだけ悲惨で残酷なものか。沖縄戦の真実をより多くの人に伝えてほしい」という思いが伝わる。

伊東大隊長は、日本降伏の報を受け、生き残る兵士に投降を伝える。そして自らも介護を受け、命があることに無上の喜びを感じたという。だが夜になると、激しい恐怖と悔恨が襲ってきた。地獄のような戦場での出来事が、悪夢となって何度も再現されるのだ。そこで散っていった戦友たちが頻繁に夢の中へ出てくる。「みんな死んだのに、俺だけが生き残ってしまった。吉岡、有元、太田よ。許してくれ⋯⋯」毎夜、こぽれ出る涙が枕を濡らし、無念の思いで死んでいった戦友たちに詫び続けた。

彼は、遺族へ宛てた手紙のなかで、戦死した部下の写真を所望している。彼らの写真を持ち続けることで「あの戦い」をともにした戦友たちとずっと一緒に居続けたい、との想いからだった。
「遅れることになるが、必ず諸君のもとへ駆けつけるから。それまで生き恥を晒し続ける自分を見守ってくれ」終戦から70年以上、亡くした部下と遺族への想いを胸に、そう念じ続けていた。そして手紙の返還を始めてからは、「ひとりでも多くのご遺族へ届けてほしい」と最期の時を迎えるまで願われていた。

生還者が語る沖縄戦の実態を多くの人に読んで欲しい。「ずっと、ずっと帰りを待っていました」という過去形にならないように。

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2024年04月10日

Posted by ブクログ

激戦の沖縄戦で1000人もの部下を率いた伊藤大隊長。わずか24歳。
大隊長も若ければ、命を落とす兵士もまた若い。
みんな私よりも若い。
息子でもおかしくない若者が次々と紙切れ1枚で国にとられ、遺品はおろか遺骨もなく、悲惨な最期を遂げたり、最期が分からなかったりする。
どんなに恐ろしく、苦しかっただろう。
戦争がなければお腹いっぱい故郷の空気と水とご飯を食べ、長生きし、子どもや孫に囲まれただろうに。
これは80年前の話だと自分に言い聞かせないと、辛くて読めない。

今の平和な毎日、家族がいることに感謝しないといけない。
もっとちゃんと生きないといけないと背筋が伸びる。

学校や家庭でも平和学習に力を入れる必要があると思う。
クラスや近所に外国人がいることが自然になってきている日本で、
宗教にそれほど縛られない日本人的感覚をもった子どもたちは、
平和にボケずに貢献することができるのではないかと思う。

とはいえ、普通の人にはグローバルな行動はなかなか難しいので、
まずは家族や友達、先生など他者を尊重することが自然にできるように、子どもを育て、自分を育てよう。

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2025年09月10日

Posted by ブクログ

沖縄第二弾。

沖縄戦を生き抜いた伊東大隊長が、戦後、部下の家族とやり取りしていた手紙。遺族から伊東大隊長に宛てたその内容とともに、戦没者が戦っていた当時の様子が紹介されている。
「大義のために散ったのだから後悔はない」という遺族の手紙の文面と心情には乖離があったんだろうと思う。

驚いたのは、遺骨のDNA鑑定で身元が判明し、2021年に家族の元に帰れたということ。こういう状況が今も続いていることを初めて知った。

そして伊東さんを取材し、ボランティア学生とともに手紙の差出人を並々ならぬ苦労をかけて探し出したジャーナリスト夫妻の志にも感動。
本当に、これを本にしてくださってありがとうございます。
読んでよかった。

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2025年06月21日

Posted by ブクログ

 ヒボさんの本棚から、いつもありがとうございます。今まで読んできた作品とは違って、パッパッとは読めないものでした。なので、時間をかけてゆっくり読ませてもらいました。

 先の大戦において。激戦を極めた沖縄戦にて約1000人の部下を率いていた伊東孝一大隊長は、多くの部下を失いました。伊東孝一大隊長は、亡くした部下の遺族に対して、「詫び状」を沖縄の珊瑚とともに送っています。その「詫び状」に対しての遺族からの返信を大事に保管していた伊東孝一大隊長から、託されたこの作品の浜田夫妻は遺族に返還する活動を行っています。

 戦後79年の年月は遺族を探すことも困難を極めています。また探し出しても名前しか聞いたことがないのでと、手紙の受け取りを拒否される遺族もおられたり、ここ最近の社会情勢(振り込め詐欺の横行等)から、不審感を抱かれる遺族もいらっしゃるそうです。

 そんな中でも受け取りを希望された遺族は、英霊として散った先人に思いを馳せると同時に、2度とこのような惨事が繰り広げられることがあってはならないという思いを強くします。そして手紙を保管してくれていた伊東孝一大隊長と、手紙を届けてくれた浜田さん夫妻に感謝を抱かれるのです。

 伊東孝一大隊長はその生涯を通して、戦争で失った部下たちのことを忘れることがありませんでした。手紙を遺族に返還する浜田さん夫妻の旅は続きます。伊東孝一大隊長と浜田さん夫妻の思いが、一人でも多くの遺族に届きますように…。そしてこうして、この活動を残してくれたことによって、私がこの作品を読め、知ることができたことに感謝です。

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2024年10月28日

Posted by ブクログ

沖縄戦は本土決戦に至るまでの時間稼ぎとも言われていて 武器や食料も足りない状況で 戦いを強いられた兵隊の多くは 故郷に帰る事なく 沖縄の土になった

故郷で待つ家族には 詳細も何も伝えられず もしかしたら 戻って来るかもと 儚い望みを持っていた人もいたそうです

この指揮官は 自分だけ生き残った事は 亡くなった者達の為に生きる事が使命と思い 部下の家族に手紙を送った

そのやりとりの手紙を 返却する為に 著者達が動いた内容のノンフィクションでした

本当に愚かな戦争でした
でも 
命を失った多くの人々は 無駄死にとは 思いたくありません
彼らは 家族や日本の為に 負けるとわかっていても 戦ってくれたのです

今の日本は 多くの人の命のおかげです

だから 戦争は二度としてはいけないと 
訴えていかねばなりません
彼らの命を繋げていかねばなりません

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2024年10月26日

Posted by ブクログ

濃密な生の悔恨と、無慈悲な死が無数にあった。沖縄に散っていったひとりひとりがいた。
歴史的に見ても「あの時、あの場所で何が行われていたのか」と興味深いのだが、遺族からの書簡が胸を打つ。彼らの散っていった年月日も記されており、戦争は一人の兵士を顔もない戦死者に変えてしまうが、状況を読んでいくと誰かの大切な人だった、家族の一人であった、と考えるだけでやりきれない。辛い一冊だが、読んでよかった。

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2024年10月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

太平洋戦争時に、24歳という若さで1000人の大隊を率いて戦った指揮官が辛くも生き延びて、亡くなった隊員の家族に詫び状を書いた。それに対する亡くなった隊員の家族からの手紙の内容と、それを家族の子孫に渡していく時の様子が描かれている。

この本を読んで一番印象的だったのは、戦争というのは昔昔の違う世界でのお話ではない、ということ。
今もまさに世界では戦争が進み、人がたくさん亡くなっていっているが、どこか自分とは違う世界の話と捉えていた。
一番リアルだなと感じたのは、遺族からの手紙の中に、「証明書を出してください」「役所に通知するよう言ってください」「手続きはどうしたらいいか」といった、市役所での手続き系の話が盛り込まれていたこと。
当時もそういう申請ってわかりづらくて、でもやらないといけないもの(申請しないとお金がもらえない)、といった当時の人々の様子が窺い知れて、親近感がわいたというか、解像度がぐっと上がった気がする。現代の日本人だって、みんな何かあったら市役所や区役所に申請にいくもの。

本の構成として、一人ずつ隊員をピックアップし、戦争の様子・隊員がどう亡くなっていったのかが描かれる→その隊員の家族からの手紙→手紙を現代の子孫に渡した時の様子、という流れになっている。
その中で、「〇〇さんは5人兄弟の長男で、下の兄弟たちをかわいがっていた」「〇〇さんの妻の〇〇さんは農家として働きながら苦しい生活の中で戦後二人の子供を育て上げた」といった、戦前の隊員の人柄や、戦後残された家族がどんな人生を歩んだか、といった一人一人のエピソードが具体的に書かれている。
亡くなった人は何万人と括った表現をされがちだが、一人一人に個性があり人生があったということ。
残された人たちにもそれぞれ人生があって、どんなに貧しくても辛くてもふんばって生き延びてくれて、その結果今がに繋がっているということ。
そんなことが改めて心から理解できるような気がした。

あと、沖縄戦で戦っていたのは沖縄の人だと勝手に思っていたが、北海道や東北の隊員が送られていたとのこと。全然知らない土地で亡くなって、骨が帰っていないというのは寂しいことだろう。
個人的に沖縄は大好きで毎年でも遊びに行きたいと思っているくらいだが、そんな沖縄の見方が変わる一冊になったなぁと思う。読んでよかった。

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2024年12月15日

Posted by ブクログ

沖縄戦で部下の9割を失った24歳の指揮官が終戦後に遺族にお詫びの手紙を書き決して無駄死にではなかったと説明する。一部の遺族からの返信を指揮官はずっと持っており、本作品のジャーナリストが手紙の送り主の遺族や親類を探し当てその内容を朗読し返還している。遺族から指揮官への返信は、必死で悲しみを押し殺し、目の前にある厳しいという言葉では言い表せないような現実の中を進まざるを得ない状況を綴ったものが多かった。指揮官は『日本にとって大東亜戦争とは?』というアンケートを訪問者にとっていたそうで、“やむにやまれぬもの”と“愚かなもの”の2択だが、前者を半数くらい選択していることに驚く。指揮官も日本人はまだまだ反省が足らないと感じたそうで同じ気持ちである。

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2024年08月13日

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