【感想・ネタバレ】ずっと、ずっと帰りを待っていました―「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡―のレビュー

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Posted by ブクログ

太平洋戦争の壮絶な激戦地となった沖縄。その沖縄戦を闘った部隊の中に、当時24歳の伊東孝一が大隊長として率いる第二四師団歩兵第三二連隊があった。部隊は1945年5月初旬、日本軍が唯一米軍から陣地を奪還するという戦いぶりをみせたが、激しい戦闘の末に9割が戦死。伊東は〈生き残ってしまったことへの後悔と贖罪の意識、そして戦死した部下たちへの想い〉に苛まれた戦後を送ることになる。その彼は終戦直後、およそ600人の部下の遺族宛てに 詫び状を送る。そこには沖縄から持ち帰ったサンゴの塊を打ち砕いて分けた包みと、各々の「戦死現認証明書」が同封されていた。そしてその遺族からの返信を大切に保管していた。本書は著者が、返信された356通の手紙を再びその親族に返還することを伊東から託され、まだ4分の1程度ではあるが返還した時の記録を綴ったノンフィクションである。

ページをめくる手が震え、涙を堪えきれなかった。

遺族の手紙はどれも心に響く。夫の帰りを待ち続ける妻、悲しみの感情を抑え、息子の死を名誉だと書く父母⋯⋯。そして、返信の手紙を遺族の親族に渡した時のあふれ出る感情。
大隊長は、その席でいきなり床に膝を折り、両手をつき頭を下げる。「私は、皆様の大事な親御さんを戦死させた責任者のひとりです」ポロポロと涙をこぼした。
「姿は見えなくとも、夫はきっと生きている。私の心の中に」
「復員軍人を見るにつけても、もしやと胸を轟かせた」
「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」
「白木の箱を開けると、石ころが一個。それだけだったのよ」
「働き者だった父は、頑固で厳格な昔気質の性格。息子の戦死を知っても、妻子や親類の前ではいっさい取り乱さず、黙々と仕事に励む明治生まれの男だった。だが、遺骨が入っていたとされる白木の箱が届いた日の夜、皆が寝静まるのを待ってから、祭壇の前で箱を開け、中に入っている石を見て、声を殺しながら泣いている姿を家族が目撃している。そして、空が白むまで箱を抱きしめて離さなかったそうだ」
「家族のために結核だった自らを顧みなかった長女は、終戦から4年が過ぎた頃『お世話になりました。さようなら』 との言葉を残して早逝した。傷心の母を最後まで支えきれなかったことを詫びながら」
「手紙を届けてくれた皆さんと伊東大隊長へ御礼を申し上げたい。もう胸がいっぱいで、夢を見ているようだ。諦めかけていた親父の面影が、目の前に浮かび上がってきた。言葉を紡げないほど感動している。今は、国や家族のために戦って亡くなった親父のことを誇りに思える」
「たとえ戦争でも、優しかった兄さんが人を殺すなんて想像もできない。中の石ころがカラコロ鳴る白木の箱が帰って来た時、母さんは畑の中で泣き崩れたのよ。こんなものを届けて何が名誉の戦死だ、と言って⋯⋯」
「戦争で家族の絆が壊れそうになりましたが、父を忘れず、語り続けてくれた母の愛が、私たちをつなぎとめてくれました。それが、この手紙を読んでようやく理解できたのです。この齢になったから、わかるのかも知れませんね」
「戦争は父を奪い、母や私を辛苦の底に叩き込んだのです。あの憎き戦争さえなければ、ここまでの苦労はしなかったのに⋯⋯」
「いかに敗国とはいえ、兵士の妻として、御同者の方々より立派な御戦死を賜り、犬死とならぬ様、私の身の続く限りはどこまでも、御冥福をお祈り致す覚悟を誓いました。天は自ら助くるものを助くとか、又は至誠通天とも申します様に、人事を尽して天命を待つと言いますが、何事にしても、われわれは天命により支配され、神の試練と諦めて、世の嵐の中に強く正しく生きます」
「悪いことをした人を罰するより、悪いことをしない人を育てることが大切だ。息子さんは、父の願いを叶え教育者となり、教え子を決して戦場に送るまい、との決意で平和教育に力を注いだそうだ」
「73年間も、亡くした部下とその遺族を思い続けてくださった伊東さまには、感謝してもしきれない気持ちです。24歳で1000人近い部下を引き連れ、地獄の戦場となった沖縄戦に挑み戦後は亡くした部下のことを片時も忘れずに、その重圧を背負って暮らされた心労は私たちには計り知れません」
「夢の中で故郷に帰り着き、父母と再会を果たしたり、手作りの食事に舌鼓を打ったりした者は、例外なく戦死する。そうまことしやかにささやかれていた。父母や妻と抱擁できたり、食事を口にしたりする直前に目覚め、思いを果たせなかった者は生き永らえる、とも」

手紙を返還する著者たちの旅とともに、戦死した兵士の最期の姿が、伊東の証言と記録によって再現される。凄惨を極めた戦場と「いま」とがそうしてつながるとき、80年近い歳月が一層胸に迫る。
戦争はきれいごとでは済まされない。一人ひとりには、苦労を共にする家族がいて、それぞれの物語りがあるのだ。短い手紙の中に、「お国のため」と散っていった若者の遺族の、複雑な心情を汲み取ることができる。

手紙の束を終生抱え続けようとした伊東の心の裡は、どれほど苦しいものだっただろうか。
「軍神と崇められるか否かは、死に際によって決まる。そうした精神主義に偏った風潮に支配されて、火力を軽視し、歩兵中心の戦術が主流になった。それが兵学を極めようとする若手将校らの憂慮を深めている」  や、「戦争がゲームのように捉えられている昨今、人の殺し合いがどれだけ悲惨で残酷なものか。沖縄戦の真実をより多くの人に伝えてほしい」という思いが伝わる。

伊東大隊長は、日本降伏の報を受け、生き残る兵士に投降を伝える。そして自らも介護を受け、命があることに無上の喜びを感じたという。だが夜になると、激しい恐怖と悔恨が襲ってきた。地獄のような戦場での出来事が、悪夢となって何度も再現されるのだ。そこで散っていった戦友たちが頻繁に夢の中へ出てくる。「みんな死んだのに、俺だけが生き残ってしまった。吉岡、有元、太田よ。許してくれ⋯⋯」毎夜、こぽれ出る涙が枕を濡らし、無念の思いで死んでいった戦友たちに詫び続けた。

彼は、遺族へ宛てた手紙のなかで、戦死した部下の写真を所望している。彼らの写真を持ち続けることで「あの戦い」をともにした戦友たちとずっと一緒に居続けたい、との想いからだった。
「遅れることになるが、必ず諸君のもとへ駆けつけるから。それまで生き恥を晒し続ける自分を見守ってくれ」終戦から70年以上、亡くした部下と遺族への想いを胸に、そう念じ続けていた。そして手紙の返還を始めてからは、「ひとりでも多くのご遺族へ届けてほしい」と最期の時を迎えるまで願われていた。

生還者が語る沖縄戦の実態を多くの人に読んで欲しい。「ずっと、ずっと帰りを待っていました」という過去形にならないように。

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2024年04月10日

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