高橋侑生のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
生産力主義的、ヨーロッパ中心主義的な思想家として認識されがちなマルクスの印象をひっくり返そうとする研究。
著者は一個上なんだけど、マルクスの研究者としてヨーロッパで出版した本がその後日本語で出版されるという流れに畏怖の念を抱くな。
資本論が未完に終わってしまったこともあり、マルクスの環境に関する考え方が見落とされている。しかし、晩年のマルクスは自然科学についての研究に熱心に取り組んでいたことがMEGAと呼ばれるマルクス・エンゲルス全集からわかる。マルクスの分析の範囲は社会の領域に限定されず、人間と自然の物質代謝にも及んでいる。
2部はマルクス主義とエコロジーに関する文献レビュー的な。
人新世という概念が、環境危機にもっとも責任があるのはグローバルノースに住む高所得の人々だが最も負の影響を受けるのはグローバルサウスの貧しい国々という資本主義の側面を人類という抽象的存在のもとに隠ぺいしてしまうというネッケルの批判。
3部ではプロメテウス主義的なマルクス主義の欠陥を認めたうえで赤と緑の対立の解消を試み、マルクスが最終的には脱成長コミュニストになっていたとする。生産力の発展がポスト資本主義社会の物質的基盤を自動的に準備せず、むしろ人間や自然からの掠奪をますます悪化させる可能性を認識しており、1868年以降は自然科学の研究に励んだのもそのためである。さらにヨーロッパ中心主義からも離れていた。
そんなマルクスが構想していたのが、市場競争と資本蓄積への圧力がない、非消費主義的な活動に十分に時間を割くことができる、より健康的で連帯した民主的な生き方ができる脱成長コミュニズム。エッセンシャルワークをすべての社会構成員で共有し、非エッセンシャルな生産を削減、ブルシットジョブの除去で環境負荷を即座に経験することができる。
終章で、なぜマルクスという個人の思想が今も研究の対象なのかという自分の疑問に著者が回答していた。マルクスの研究プロジェクトは未完、だからこそそれをさらに拡張し現代の科学的知見を取り込みながら経済学批判のプロジェクトをさらに発展させることができると。決して現代のマルクス研究者がやろうとしているのはマルクスの神格化とかということではないのだな。
問題は、脱成長コミュニズムに大衆を向ける仕組みがないことだろう。資本主義はそれこそ資本が勝手に増殖するような仕組みになっているわけだが、脱成長コミュニズムは世界に住む全員が同意しなければならないような、それはつまり戦争や核兵器の廃絶と同じレベルの困難さということだと思う。だから最後には「歴史の審判を待つことにしよう」と言うしかないのよな。 -
Posted by ブクログ
アクター・ネットワーク理論やマルチスピーシーズ人類学など最近よく聞くキーワードが「自然」と「社会」の一元論と捉えられ、それらに対して自然を「素材」と「形態」の2面から捉える方法論的二元論の立場から批判を行なっている箇所は、批判的な視野を持って近年の思想を読み解く視野が開ける面白い論説だった。
一方、脱成長コミュニズムやコモンズ的な潤沢さに関する議論については、あくまで余裕のある先進国の人が想起するビジョンでしかないという印象。
既にしてコモンズが失われ、環境危機がスタートしている社会において、莫大な人口を抱えた状況で途上国の人がこの理論を受け入れることは到底なさそうな気がする。
あくまでマルクスはこう読むことができるという点で批評的に面白かったという感覚。 -
Posted by ブクログ
前著「大洪水の前に」と重複するところも多い気はするが、よりマルクスのテクストに深い入り込みつつ、晩年のマルクスの思想を再構築していく。
そのプロセスに知的好奇心が動きつつも、なんで今更マルクスが著作にできなかったことを今あれこれと推論しなければいけないんだろうという気持ちがしばしば起きてしまう。
マルクスが本当に考えていたことはこうなんですと言って、20世紀に破綻したと思われるマルクス主義を環境、持続可能性という観点から再構築しなければいけないんだろう?(そういう意味では、タイトルの解体というより再構築という方が相応しいと思う)
それって、マルクスの神格化ではないか?
という批判は、当然、著者はわかっていて、そういう趣旨ではないのだというわけだけど、それでもそういう思いを禁じ得ないわけだ。
マルクスの資本主義理解は、今をもっても正しいところはたくさんあると思う。また、時代の変化を踏まえながら、理論的に発展したところも多い。
一方、環境問題や持続可能性を踏まえた理論もたくさんあるのだから、「現在」の資本主義理解と環境問題理解を組みああせて、新たな理論構築した方がいいんじゃない、と思ってしまう。
しかしながら、マルクス主義系の研究者にとって、まだまだマルクスの威光は効果的なようで、彼らにとってこうした「マルクスは実はこう思っていた」というのが意味があるわけかな?