夕焼けを見ていると、時に言葉にならない切なさを感じさせることがあるが、それは、その時の状況であったり、その人自身が抱く気持ちによって、全く見え方が異なってくるということにも関連性があるのではないかということを、全ての見開きに於いて、一つとして同じ色合いの無い夕焼けの絵からも感じ取れて、改めて夕焼けだけが持つであろう、切なくも温かい不思議な魅力を実感することができた。
ザ・キャビンカンパニーの絵は、そのレトロな雰囲気にさり気なくアート性を盛り込んだ独自性がありながら、いちばんの魅力は、たくさんの色達をどこまでも細かく散りばめてある点だと感じ、それは夕焼けの魅力を更に引き立たせる雲に描き込まれた幾重もの線であったり、プールに反射する暖色と寒色の複雑なコントラストが切なさを醸し出していたりと、他にも惜しみなく様々な色を使って表現することによって、その一つ一つの場面が如何にかけがえのない素晴らしい風景であるかを物語っているようであった。
そして更に、それらの素晴らしい風景に添えられた詩的な文章が、それぞれの場面をより情緒的なものにしてくれることに、まるで自分の五感を通して、そこで感じられたことがありありと伝わってくるような一体感は、まさに本書の大きなサイズで見開き一面に描かれた絵と、文章との相互作用でもたらされる絵本ならではの力で漲っており、本書が第29回日本絵本賞大賞受賞作というのも肯けるものがあった。
『かぜが ふき、
すべての ものを きんいろに そめていく』
この場面のどこまでも広がる稲穂の風景にいる男女は、後の見開きの看板に書かれた『晩鐘』の文字から、ミレーの絵画を基にしていることが分かり、空にはまだ青さが幾分残りながらも、山に重ねられた微かな線と稲穂が傾いていることから風の存在が分かる。
『くうきが ひんやりと なって、
においが かわっていく』
上記したプールの場面で、おそらく部活動だと思われる中を淡く照らし出す夕陽には、そろそろ帰りの時刻を告げるような哀愁と切なさが宿っているのが、学生たちの青春の一場面とよく合っていて、そうした感慨を文章も見事に補っている。
『すいー すいー かや かや かや かや
ゆうやけは どんなこの ところにも やってくる』
空の青みは目立っても、虫の鳴き声の変化や入道雲を染める色合いにその前兆を感じさせる、夕焼けの訪れを待ち望むように、うつ伏せで本を読みながらもそれを見上げる少女が印象的で、その畳敷きの和室にある昔風の扇風機や障子の存在に懐かしさを覚えつつ、Nintendo Switchもあることには、今も昔もこうした美しいものを見ることのできる喜びを感じられて、ちなみに少女が読んでいるのは吉野弘の『熟れる一日』で、その横に水瓜もありながら素敵な詩も読むことができることで、より味わい深い風景となる。
『ひとりぼっちの あのこが コツーンと こいしを けった。
ふくれっつらが ゆうやけに とけていく』
背中からの描写なので、少女の表情は分からないものの、その気持ちを代弁するかのような表情を仄かに見せる夕陽のみならず、『ひとりぼっちの』『ふくれっつら』という言葉や、周りの塀や地面に描かれた複数の入り乱れた色合いが、少女自身の複雑な思いを表しているようであるのが切ないが、それをそっと見守っているのが夕陽なのだと思うと、明日への希望も感じられるようで印象深い。
『ゆうひどりが ないている。
とおくで でんしゃが はしっている』
一本の大きな木の横を走り抜ける、犬を散歩している男性の他には、電車と空を飛ぶ鳥たちしかいないが、これまでにない大きさで描かれた夕陽の後光が差し込むような姿には、そのピンク色をメインに描かれた独特な空模様も合わさって、とても神秘的に感じられる。
『かあん かあん ひちちちちちち
ゆうやけは やさしい おとが する』
夕焼けの淡い色合いが、よりたくさんの木々や鳥たちの存在を印象付かせることで、まさに花鳥風月の趣ある、そんな素晴らしさを夕焼けが更に増してくれたことに応えるかのような、夕暮れだけに聞こえてくる音たちの清らかな響きの素晴らしさも教えてくれる。
『すりきずを おさえながら あのこが おふろに はいる。
こぼれた なみだが ゆうやけに とけていく』
昭和のレトロさを思わせる十字型の模様の入ったガラスも印象的な中、女の子の目から零れ落ちる涙を、沈みかかった夕陽がそっと掬い取ってくれるような優しさを、夕焼けの色合いやアヒルの玩具も含めて、絵の端々から感じ取ることができた。
そして、最後の定点から描かれた連続した絵の息を呑む美しさには、様々な人達の様々な思いがどれだけ夕焼けに溶け込んでも等しく訪れる、ささやかな安らぎの時間の存在があり、たとえそこに至るまでに色々と思い描くものはあったのだとしても、そこで気持ちを新たにして、また明日へと臨んでいく、そうした毎日の生活に於いて、ごく僅かな時間でありながら様々な思いを抱かせてくれる夕焼けの存在というのは、私たちの人生の中でもどこか特別な一面を持っているのではないかと感じられながら、それがほぼ日常的に訪れるものであることに、改めて感謝の気持ちを抱き、これからも見ることのできる幸せを噛み締めたいと思う。
ネットで見つけた、ザ・キャビンカンパニーのインタビュー記事によると、本書(2023年)の構想はコロナ禍の2020年頃であり、当時のピリピリした状況では元気さが辛いこともあって、『もっと静かに寄り添う絵本』を目指されたことと、『人間界は大騒ぎだったけれど、自然界はいつもと同じ』だったことが心に残り、そのあまりに日常的過ぎて蔑ろにしがちなものが常に在ることの大切さを改めて教えてくれたように、私には感じられた。
また、『晩鐘』は調べて分かったものの、もう一つ分からなかった看板の言葉『けろりかん』について、上記の記事で判明し、それは金子みすゞの詩『石ころ』に登場する言葉で、『田舎のみちの石ころは赤い夕日にけろりかん』と、夕焼けに纏わる素晴らしい詩という点では、吉野弘の『熟れる一日』も同様であった。