finalventのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ極東ブログで有名なfinalventさんの本。
この人のBLOG、twitterを読んでると、語学に詳しくかったり、プログラミングやってたり、沖縄で暮らしたことがあったり。。。と、すごく職業が想像しずらくて、どんな人なんだろうって多くの人が気になってたはず。
本書はその種明かし本で「なるほど、それでか」って納得しながら面白く読めた。ただ大学以前のことはまったく書かれてないし、結婚&恋愛のこともすごくあっさりとしか書いてない。
アイドルのヌード写真集買ったら、なんだあんま脱いでねえじゃん、みたいな感じもある。
やっぱり意外だったのは4人の子持ちだったことで、沖縄で避妊せずに暮らしてたら自然とできたとか書いてあって、ビッグダディじゃんと突っ込まずにはいられない。
あとはクリスマスはしょぼーんとしてた、とかハゲに悩んだとか意外と人間味にあふれた人だったんですね。
文章はブログよりだいぶ簡単で読みやすい。
2ちゃんの「~だけど質問ある?」みたいなスレッドに似た感じでサクサク読める。「沖縄住んでたけど質問ある?」「難病になったけど質問ある?」みたいな感じ。
内容としては沖縄の結婚式の話やリベラル・アーツの話などが面白かった。
あとは料理の話をもっと読みたかったなあと。 -
Posted by ブクログ
仕事、結婚、育児、病気、そして学問。
55歳になる極東ブログの運営者が、自分の人生で節目となった出来事を綴った本。
大学院(ICU)を中退たあと、エンジニアやテクニカルライターを経験し結婚。沖縄に移住し4人の子供を育てる。
この人に特徴的なのは、タイトルにもなっている通り、全ての出来事に対して徹底的に考え抜く姿勢だろう。
大学院に入りなおしたりしているところからも、学びつづける彼の心性が伺える。
「教養」というのは別に直接何かに役に立つハウツーのようなものでは決してない。
だが、独立できるだけの能力を身につけたり、育児では海外の最新手法を取り入れたり、原因不明の病気にかかったときも自力で病名を見つけたりと、考え続ける彼ならではであろう逸話が多いのが印象的だった。
これをやってこんな成功をしました、という進研ゼミのマンガよろしく有名人の成功譚は世に溢れている。
だが本書はそのような本とは一線を画す。
考え続けてきたfinalventさんの人生の悲喜こもごもを、友人に向けてゆっくりと語る、そんな印象の本だ。
彼は自分を敗者だと言っているが決してそうは見えない。だが派手な人生というわけでもない。
1人の内省的な日本人の自伝として、他にない味わいのある本だった。 -
Posted by ブクログ
・海は月の引力で満ち欠けする。海に暮らす人たちは月の暦でも動けるのだ。沖縄の海人(彼らは漁が仕事ではなくて、海と暮らす人生を送っている人たちということらしい)
・沖縄復帰1972年。1978年に車線が左から右へ7.30だったことからナナサンゼロと呼ばれている。これによって、実体験として日本に復帰したとする人もいるようだ。
・何かを勉強しようと思ったら、英語で検索して、欧米ではどういった教科書を使っているかをみて、その教科書を使った方が勉強になる。日本の教科書は曖昧な点が多いので。for dummies なんかが専門的にはわかりやすい。ダミー→アホ アホな人むけ。
・絶望は傲慢であると思う。p334
・命があるかぎり、未来はある。 -
Posted by ブクログ
江戸時代の万葉集学者契沖は、庶民を集めて万葉集の講義をした。多くの人に支持され、そこから、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長と国文学者や輩出した。しかし、契沖自身はなにより、学ぶことの楽しさを説いてきた。あるとき、学習会の出席者が「仕事で忙しくて講義に出席できません」と契沖に手紙を出したところ、「それは残念だ、仕事なんか他の人にまかせて、勉強しにきなさい。ここに人生の真理があるのだから」といった趣旨の返信をした。
学ぶことで人生は豊かになる。
この本を勧めてくれた人にも最近毎日のように言われている言葉。
学ぼう。一緒に学んで行こう。
知ることは楽しい。
人生を贅沢に生きてみよう。 -
Posted by ブクログ
著者の人には申し訳ないけれど、この本はとりあえず、“finalventファンブック”という位置づけから始まってしまう。
日頃から極東ブログ、メールマガジン、cakesなどを読んできた人が真っ先に手に取るだろう。
そして彼ら(僕ら)は衝撃を受ける。「うわ、finalventさんってこんな人なんだ!」と。普段のイメージからすると、意外なんだ。本当に。内容が。
僕はfinalvent氏を、世捨て人の仙人のようなイメージで見ていた。漢詩なんかに出てくる仙人だ。極東ブログにおいて、世界情勢を、英語を訳しながら、自らの考えを含めつつも淡々と解説する。そういうイメージと、現実の暮らしは真逆だった。
著者は自身の人生を「空っぽ」と表現している。しかしその中身といえば驚きの連続で、それが最後まで続く。
「世間的な有名人にはならなかった」という意味か、「一財を築くことはなかった」という意味か、もしくは「何かを成し遂げ損なった」という意味なのか、自らを、「55歳にしてこの先の見込みもなくなった失敗者」であると言う著者。
それでも考えながら生きてきた、なんとかなった時も、ならない時もあったけど、考えて生きることで、納得したり整理をつけながらここまで生きてこれましたよ、考える生き方とはどういうものか、という風に、この「考える生き方」記されている。
正直、これが空っぽな人生だったら自分の人生なんてゴミ屑じゃないか…と思った人も多いはず。
さて、finalventファンよる「考える生き方」紀行1週目は、どうしてもこういう形で終わってしまうんだ。驚きの1週目。
そして2週目。ここからがファンじゃない一般読者と同じ目線で内容が頭に入ってくる。
各章では、著者の人生経験に基づき、各シーンで考えたことやそのプロセスが書かれており、先ほど書いたように1週目ではその内容が面白くて考えるところまで行かない。2週目であれば、いろいろと考える事が出てくる。
例えば、働くこと、市民であるということの意味とか。
市民というのはヨーロッパの概念で、シティズンシップ、市民革命とかの市民にあたる。町を構成する構成員が、その共同体の理念や秩序を維持するために寄与する義務を果たす。とか、そういう意味だったと思う。それは特に、利益よりも正当性、正しさを追求するという場面にて顕著に現れる。正しさというのは、行動規範としての正しさであり、僕はそのあたり調べ切れていないので、なんとも言い難い。今後の課題。
著者が言うには、ざっくり言うと、市民として社会に寄与する事は、お金を稼ぐ事よりも大切ですよ、道義に反してお金持ちになっても、それは市民の義務を果たしているとは言えず、あまり意味のないことですよ、という内容。ざっくり過ぎるか。
他には、書評にもよく挙がっているテーマとして、大学教育について。
外国の大学ではリベラルアーツの教育が行われており、リベラルアーツとはどういうものか、というのが解説されている。
大学教育とは本来どういうものか、どういう形が理想なのか。
大学は本来、技術や知識を教える場ではなく、科学の体系、筋道をたどって物事を把握する訓練、解決する訓練、応用する訓練を行う場である、と。
そして、本来の大学教育を受けた学士であれば、専門分野を問わず、その方法論、リベラアーツを持ってして、どの分野においても道順を持って体系を把握し、解決し、応用する事が出来る。そういう教育こそが大学教育であり、それを体得する事は知識や技術を得る事よりも尊いことである。という内容。
今求められているような即戦力なんてものは、ひとたび状況が変わると何の役にも立たないもので、あれは専門学校で教えるもんである。大学ではリベラアーツを学びましょう、リベラルアーツを習得した人材こそがどんな場面においても解決策をひねり出し、応用が効き、新しい物事にも正当な目線で対峙できる、とかそんな内容だったと思う。
そのリベラアーツを持ってして、著者が人生の局面にて解決してきた例が、この本にも散りばめられている。
本を読んだのは発売当時で、今その本を手元に置きながらも参照せずにこの感想を書いている。記憶違いや間違いがあれば、ごめんなさい。感想というよりは本の紹介になってしまった。