あらすじ
ネット界で尊敬を集めるブロガーfinalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、誰もが体験する人生の苦難と空虚感を受け止めるヒントとして話題となっている。読後に得られる考えることへの信頼と「明るい諦観」は一生を支える心強い武器になるはずだ。
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極東ブログを愛読しているが、視点が広く深く、読むたびに感心していた.その作者が自分のことを書いているのでこの本を読んでみたが、非常に参考になる事項が満載.奥さんが沖縄の人で一時住んでいたこともあり、沖縄の実態を的確に描写していた.多発性硬化症を発症した由.お気の毒なことだが、病にめげずに活躍されていることは嬉しいことです.ICUで学んだことを基礎に幅広い目で世の中を見ていることが、ブログに反映されているのだろう.リベラルアーツに関する論考は重要な点を指摘している.英語を聞くことを奨励されており、早速NPRを聞く事にした.
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「何者かになりたい」
そういった言語化をせずとも、くるりのハイウェイで歌われるように「でっかいことしてやろう」という願望がまだ私にはあります。
私は日頃から抱くやり切れない虚しさのもとで、何も残せていない悔しさをどう消化すれば楽になれるだろうか。そのように考えて悶々とした日々を過ごしています。高校3年生の現在まで、数々の可能性を決断の遅さや出逢うタイミングにより捨ててきました。自分のプライドや欲望に振り回されてきたと言っても過言ではないかもしれません。「仕事」という概念に関しても、「普通に働きたくない」というような漠然とした考えではなく、「自分だからこそ出来る、そんな働き方が良い」と感じていました。しかしこの本を読んで、自分が無駄な不安に囚われていたのではないかと思ったのです。
第1章『社会に出て考えたこと』のなかの、『結局、社会人になるってどういうこと』で、
【仕事というのは、つきとめると、「市民であるかが問われる」ということだ。仕事というのは、分業なのである。社会を構成するために、一人ひとりが自分の分担を決めて活動している。ただそれだけのことだ。その分担者の一人が「市民」である。だから、その分担を理解してきちんとするというのが、仕事の基本となる。社会のなかで自分はどういう役割を果たしているのかという自覚を持つのが市民である。この基本を外して、お金持ちになる人がいても、市民という視点で見るなら、そういう人生には大して意味はない。また「市民であるかが問われる」というのは、それほど強く正義が問われるいうことでもない。市民に問われるのは、「自分が市民としてできることは何か」という限定した問いかけだ。】
【不運あっても、市民であれたなら、金持ちであるよりも意味があると思う。そう確信する市民がゆるやかに増えていくように、仕事というものも考えたい。】
この二箇所が目を引きます。
私は今まで「影響力」や「独自性」というものに固執していたわけですが、「満たされない心」を仕事によって満たすことが素晴らしい、そういうことでもないのでは?と感じたのです。私自身、最近は自分の願望が不明瞭である事を不安に思わなくなっています。「私なりの生き方」というものを難しく捉えていましたが、既に私は充分に私らしいとも思えます。他人に自己を理解してもらうことも大事かもしれませんが、それ自体で満たされることはありません。孤独に寄りかかってしまう夜には、「人と心で繋がりたい」と思って胸を苦しめますが、きっと心を癒せる何かを見つけられると信じて、やりたい事は何でもやってみようと思います。それが仕事でなくても、「生きがい」にできると考えられるようになった気がします。
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人気ブログの著者の自伝。前置きもなくいきなり話しかけられるような表紙が印象的だ。
家族のトラブル、結婚、移住、病気、人生にはいいこともわるいことも含め、意図しないいろいろなことが起きる。それらの偶然を解釈する思考力を持っているのが著者だと思う。偶然を受け入れる。それ自体を深く知ろうとする。知ることを楽しむ。そしてその偶然を自分の物にしてしまうのだ。それが自分の人生をつくりあげること、ほかでもない自分の人生を生きることなのだと著者は教えてくれる。
気になった言葉。
「仕事というのは、つきつめると「市民であるかが問われる」ということだ。仕事とは分業である。社会のなかで自分がどういう役割を果たしているのかという自覚をもつのが市民。」
「沖縄に移住しなければ、別の文化を背景に持った伴侶を今ほどは理解できなかった。生涯をともに生きて行くなら、伴侶となる人が生まれ育った土地や文化をよく知る必要があった」
「村上春樹の小説で「死とはシェービングクリームを缶に半分残していくこと」」
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達観してるというか、絶望感というか。恐ろしいほどクールでそれでいて惹きつけられる文章が最初から最後まで続く。
・人間にはどうしようもない孤独というのがあるものだと知ったし、そうした孤独な心を持つ人は、他者と誠実に対応していったり、或いは読書なりを深めていけば、心の深みの中でしか見えてこない世界で生きていけるだろうと、理解した。
・孤独を通して人の心を深く理解することが人生というものだった。
・人生には、幸せとか成功とかいうのと違った、何か深い意味がありそうだ。それなら、生きてみますかという感じがした。
・どう生きるかという岐路に立つときは、結局、孤独なものだ。しかたない。
生きていく中で出会う理不尽も、不運もやるせないことも、それを自分の生の中でどう位置付けて考えるか。そして、それらを乗り越えるために深く考えるときは、それは孤独の中にしかない。生まれてい来る時も死ぬ時も孤独だとしたら、その”間”も究極的に孤独でしかないんだろうな。
どこか新しいタイプのような本に出会った気がします。
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ブログ界では有名な、でも一般の人にはほとんど知られていない方のエッセイなんだけど、これが面白い。
はじめに「負け」「負け」言っているからどんなやらかした人生かと思ったら、どっこいちゃんと素敵に生きているじゃないか。
自分の言葉でちゃんと語れる人生っていいなと思った。
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どういう本かというのは難しいけど良い本
説明しにくいので読んだほうが良いと思う 特にリベラルアーツについてなど
他にも人生への向き合い方など 賢く穏やかな歳の重ね方
その他にも具体的なノウハウについてあまり普段接することのないところから得ていてただただ感心
インテリという言葉が馴染む
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ブロガーとして有名なfinalventさんが、ブログを書いて10年の区切りで書いた自伝のような書です。ブログでは語っていない自身の半生を振り返っての思いが、いい大人がこんなに素直に文を書くことなんかないんじゃないかというくらいに、丁寧に丁寧に記されています。
「自分の人生はからっぽだった」なんて言いながら淡々と語るのですが、自分の人生の意味を実感できずに元気が出ない人たちを勇気づける言葉と思いました。
普通に暮らしているうちにいつの間にか年を取って行く日々の中で感じる思いに共感するところが多く、また、そのうち自分もこのように考えるようになるのかもしれないななどと気づかされるところもあり、期待以上の読後感でした。
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ブロガーさんが書いた本。
内容は半生の振り返りや沖縄の歴史、大学の在り方、生きることの意味など、多岐にわたりとても興味深い。
本の内容から、筆者の学問や考えることが好きな人柄が推察される。奥深い本で、とてもよかった。
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アルファブロガーの生活記。
取り留めもない話のようにもみえるが、
普通のリーマンではとても体験出来ないような
独特な著者の生活や考え引き込まれて面白かった。
特に沖縄文化や難病、そして勉強の話など。
英語のおばかさん向けFor Dummiesは今度チェックしてみよう
あとトランプ好きだが
「ブラッククイーン」「スペード」という遊びは知らなかった
今度チェックしておこう。
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いつ体が動かなくなるともわからない脳の病気を抱えた頃からなりふり構わないとこも出てくる。それでも残るのが死のより身近な怖れであり、自分の容姿の美醜という逃れがたい問題が、哲学問題などよりも難しいという意識。
こういうのは老いが視野に入る年齢にある方がより切実に理解できるだろう。ブログで以前書かれていたと思うが、仕事で評価を受けることを目指すのが終わった35歳あたり以上の年齢で読むのがいいだろう。
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紋切型の幸せの中に自分をはめ込んでいくことによって「それなりに運命と折り合って生きていく」のではなく、
考えることで「自分の人生の意味合いを了解しながら」半生を生きてきた言葉は、人生の先輩(実は大学の同学部の先輩)からの言葉として味わい深い。
また、第5章で展開されるリベラル・アーツ論は秀逸。
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有名ブロガーのfinalvent氏による,まあ人生論だろうな。半世紀の半生記でもある。遠回りをしてきたようだが,その分いろんなことを考える。仕事のこと,偶然もった家族のこと,四人の子育てのこと,八年住んだ沖縄のこと,難病にかかったこと,老いて考える死のこと。いろいろ考えて,緩やかな理性が大事だ,と気づく。こういう中庸というのが真理なのだと思う。変に勘違いしてる成功者の文章よりもずっと良いことを言ってる。大多数の平凡な人間の共感を得るのはこういう人生論だと思うのだが。おすすめです。
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世の中で語られる「成功者」の伝記は数多ありますが、一方で、その成功者以外の人々、おそらくほとんど大多数の人々のうちの一人が、自分の人生について語った作品が本作品です。
冒頭、というか表紙に記される筆者の心情「自分の人生はなんだったんだろうかと思うようになった。なんだったか?からっぽだった。特に人生の意味といったものはなかった気がする」に、偽らざる本音だと感じてしまいます。
自分自身、30歳を過ぎて、本当に思い通りにならないこともいくつか経験して、それでもまだ人生の意味というか、ある目標に向かって走っていくということを諦めていない。けれども、思いもよらない事柄が自分に起こるし、それを受け入れるしかないんだよな、と、読み終えたとき、すっとそのことが穏やかに心に入ってくる感覚がありました。
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なんとなく読んだ本やけど、かなりおもしろかった。
淡々とこれまでの人生を振り返って書いてるけど、この平凡さがいい。
ちょっと勢古さんにも文章の雰囲気が似ていた。
ただアカデミックな部分を披露しているところはちょっと飽きた。
沖縄のところと、リベラルアーツの部分。読み流しました。
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冒頭で「失敗した人生」であるということが書いてあったので、偏見ではあるがいわゆる底辺社会を這いずり回り55歳まで生きてきた人の本だと思った。
読み終わってみて「普通の人」だと思った。
「普通の人」であるかがいかに難しいか、を考えるならばこの人は決して「失敗した人」ではない。
失敗の定義がかみ合っていない可能性があるので、なんとも言えないが
とにかく「失敗した人でない」と思った理由は、この人が「常に前向きで自然体」だからだと思う。
何があっても最終的には「甘受している」点、これが大きい
難病然り、子ども然り。
社会的意義が在るとも思った。
昔ならこういう本は出なかっただろう。
エッセイという形でごく一部の作家が巧みな文体と観察眼を用いて執筆されたごく一部だったろう。
別にこの人は文章が上手いわけでもない、観察眼は鋭いが、とにかくブログという新しいメディアがきっかけとなっていることに大きな意義があると思う
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極東ブログはかなり前から知っていて、一時期は更新される度にきちんと読もうとした時期もあったが、いつの間にか読まなくなっていた。とにかく内容が濃いというか、長い。それでもfinalventさんはtwitterてフォローしているし、何となくチラチラ横目で見ているような状態。そんな中で、この本を読み始めたが、正直、ブログよりはるかに読みやすいと言うか、ぶっちゃけている。finallentさんは私より5歳上なので、ほぼ同年代。書かれている事もほとんど共感できるし、よく分かる。もっとも、私は難病にかかっている訳でもないので、よく分かるというのは、極めておこがましいのだが。読みながら、なぜこの本のタイトルが考える生き方なのか理解できなかったが、最後まで読んで、今、自分が生きている意味を考えなさい、というのがfinalventさんのメッセージなのだろう。確かに自分も50年生きてきて、何にもできてないなと思いつつ、でも、50年だよな、とも思う。死というものがかなりリアルに感じられる状況で、自分自身のために何を行い、周囲に対して何を為すべきなのか、これから考えながら生きていきたい。
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きちんと自分の頭で「人生」を考えている人が、きちんとその「人生」を言語化した本。
最近子供が産まれたのだが、その祝いにアニキがくれたいい本。このタイミングで読んだからこそ心に言葉が沈殿した。もう一回読んでもいいかなと思える久しぶりの本。
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極東ブログで有名なfinalventさんの本。
この人のBLOG、twitterを読んでると、語学に詳しくかったり、プログラミングやってたり、沖縄で暮らしたことがあったり。。。と、すごく職業が想像しずらくて、どんな人なんだろうって多くの人が気になってたはず。
本書はその種明かし本で「なるほど、それでか」って納得しながら面白く読めた。ただ大学以前のことはまったく書かれてないし、結婚&恋愛のこともすごくあっさりとしか書いてない。
アイドルのヌード写真集買ったら、なんだあんま脱いでねえじゃん、みたいな感じもある。
やっぱり意外だったのは4人の子持ちだったことで、沖縄で避妊せずに暮らしてたら自然とできたとか書いてあって、ビッグダディじゃんと突っ込まずにはいられない。
あとはクリスマスはしょぼーんとしてた、とかハゲに悩んだとか意外と人間味にあふれた人だったんですね。
文章はブログよりだいぶ簡単で読みやすい。
2ちゃんの「~だけど質問ある?」みたいなスレッドに似た感じでサクサク読める。「沖縄住んでたけど質問ある?」「難病になったけど質問ある?」みたいな感じ。
内容としては沖縄の結婚式の話やリベラル・アーツの話などが面白かった。
あとは料理の話をもっと読みたかったなあと。
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失敗という人生ということで25歳から詳しく書かれているエッセイ。
こういう自由な生き方もいいんだなと身が軽くなった。けれど、結局のところ著者の勉強家具合は並外れたものだと思うし、一般人が同じ経歴を真似しても上手くいくのは難しいのではないかと思ってしまう。
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仕事、結婚、育児、病気、そして学問。
55歳になる極東ブログの運営者が、自分の人生で節目となった出来事を綴った本。
大学院(ICU)を中退たあと、エンジニアやテクニカルライターを経験し結婚。沖縄に移住し4人の子供を育てる。
この人に特徴的なのは、タイトルにもなっている通り、全ての出来事に対して徹底的に考え抜く姿勢だろう。
大学院に入りなおしたりしているところからも、学びつづける彼の心性が伺える。
「教養」というのは別に直接何かに役に立つハウツーのようなものでは決してない。
だが、独立できるだけの能力を身につけたり、育児では海外の最新手法を取り入れたり、原因不明の病気にかかったときも自力で病名を見つけたりと、考え続ける彼ならではであろう逸話が多いのが印象的だった。
これをやってこんな成功をしました、という進研ゼミのマンガよろしく有名人の成功譚は世に溢れている。
だが本書はそのような本とは一線を画す。
考え続けてきたfinalventさんの人生の悲喜こもごもを、友人に向けてゆっくりと語る、そんな印象の本だ。
彼は自分を敗者だと言っているが決してそうは見えない。だが派手な人生というわけでもない。
1人の内省的な日本人の自伝として、他にない味わいのある本だった。
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・海は月の引力で満ち欠けする。海に暮らす人たちは月の暦でも動けるのだ。沖縄の海人(彼らは漁が仕事ではなくて、海と暮らす人生を送っている人たちということらしい)
・沖縄復帰1972年。1978年に車線が左から右へ7.30だったことからナナサンゼロと呼ばれている。これによって、実体験として日本に復帰したとする人もいるようだ。
・何かを勉強しようと思ったら、英語で検索して、欧米ではどういった教科書を使っているかをみて、その教科書を使った方が勉強になる。日本の教科書は曖昧な点が多いので。for dummies なんかが専門的にはわかりやすい。ダミー→アホ アホな人むけ。
・絶望は傲慢であると思う。p334
・命があるかぎり、未来はある。
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人気ブロガーが自分の半生を淡々と振り替える内容。結婚、出産、難病、禿、老い、といったライフステージを代表するトピック別に著者の感じた事、考えた事が記されている。
一人の人生を垣間見ることは、自分が似たような出来事に出会った際、心構えとなったり絶望の心のワクチンとなり得る、という著者の考えが最も共感できた。
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江戸時代の万葉集学者契沖は、庶民を集めて万葉集の講義をした。多くの人に支持され、そこから、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長と国文学者や輩出した。しかし、契沖自身はなにより、学ぶことの楽しさを説いてきた。あるとき、学習会の出席者が「仕事で忙しくて講義に出席できません」と契沖に手紙を出したところ、「それは残念だ、仕事なんか他の人にまかせて、勉強しにきなさい。ここに人生の真理があるのだから」といった趣旨の返信をした。
学ぶことで人生は豊かになる。
この本を勧めてくれた人にも最近毎日のように言われている言葉。
学ぼう。一緒に学んで行こう。
知ることは楽しい。
人生を贅沢に生きてみよう。
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リベラルアーツに対する考察に感銘を受けた。
筆者は繰り返し自身を「敗者」だと呼んだが、それはさして重要な要素ではないように思われた。読み進むにつれ、人生の問題は死に向かってゆく時間のなかで何を学び取るかであり、それこそが考える生き方なのだという結論がすとんと腑に落ちた。
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表紙から始まる「はじめに」の本文が奇をてらっている。
タイトルに反して、著者自身が考える生き方をしてきたとは思われないし、考える生き方の参考になりそうもない。内容は、人生を振り返って、結果として考えたことだ。
リベラルアーツの説明や大切さ、沖縄についての情報など、参考になった点もあるが、全体としては一風変わったインテリさんが感じたことを読まされているようで、気持ちのよいものではなかった。
13-67
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著者の人には申し訳ないけれど、この本はとりあえず、“finalventファンブック”という位置づけから始まってしまう。
日頃から極東ブログ、メールマガジン、cakesなどを読んできた人が真っ先に手に取るだろう。
そして彼ら(僕ら)は衝撃を受ける。「うわ、finalventさんってこんな人なんだ!」と。普段のイメージからすると、意外なんだ。本当に。内容が。
僕はfinalvent氏を、世捨て人の仙人のようなイメージで見ていた。漢詩なんかに出てくる仙人だ。極東ブログにおいて、世界情勢を、英語を訳しながら、自らの考えを含めつつも淡々と解説する。そういうイメージと、現実の暮らしは真逆だった。
著者は自身の人生を「空っぽ」と表現している。しかしその中身といえば驚きの連続で、それが最後まで続く。
「世間的な有名人にはならなかった」という意味か、「一財を築くことはなかった」という意味か、もしくは「何かを成し遂げ損なった」という意味なのか、自らを、「55歳にしてこの先の見込みもなくなった失敗者」であると言う著者。
それでも考えながら生きてきた、なんとかなった時も、ならない時もあったけど、考えて生きることで、納得したり整理をつけながらここまで生きてこれましたよ、考える生き方とはどういうものか、という風に、この「考える生き方」記されている。
正直、これが空っぽな人生だったら自分の人生なんてゴミ屑じゃないか…と思った人も多いはず。
さて、finalventファンよる「考える生き方」紀行1週目は、どうしてもこういう形で終わってしまうんだ。驚きの1週目。
そして2週目。ここからがファンじゃない一般読者と同じ目線で内容が頭に入ってくる。
各章では、著者の人生経験に基づき、各シーンで考えたことやそのプロセスが書かれており、先ほど書いたように1週目ではその内容が面白くて考えるところまで行かない。2週目であれば、いろいろと考える事が出てくる。
例えば、働くこと、市民であるということの意味とか。
市民というのはヨーロッパの概念で、シティズンシップ、市民革命とかの市民にあたる。町を構成する構成員が、その共同体の理念や秩序を維持するために寄与する義務を果たす。とか、そういう意味だったと思う。それは特に、利益よりも正当性、正しさを追求するという場面にて顕著に現れる。正しさというのは、行動規範としての正しさであり、僕はそのあたり調べ切れていないので、なんとも言い難い。今後の課題。
著者が言うには、ざっくり言うと、市民として社会に寄与する事は、お金を稼ぐ事よりも大切ですよ、道義に反してお金持ちになっても、それは市民の義務を果たしているとは言えず、あまり意味のないことですよ、という内容。ざっくり過ぎるか。
他には、書評にもよく挙がっているテーマとして、大学教育について。
外国の大学ではリベラルアーツの教育が行われており、リベラルアーツとはどういうものか、というのが解説されている。
大学教育とは本来どういうものか、どういう形が理想なのか。
大学は本来、技術や知識を教える場ではなく、科学の体系、筋道をたどって物事を把握する訓練、解決する訓練、応用する訓練を行う場である、と。
そして、本来の大学教育を受けた学士であれば、専門分野を問わず、その方法論、リベラアーツを持ってして、どの分野においても道順を持って体系を把握し、解決し、応用する事が出来る。そういう教育こそが大学教育であり、それを体得する事は知識や技術を得る事よりも尊いことである。という内容。
今求められているような即戦力なんてものは、ひとたび状況が変わると何の役にも立たないもので、あれは専門学校で教えるもんである。大学ではリベラアーツを学びましょう、リベラルアーツを習得した人材こそがどんな場面においても解決策をひねり出し、応用が効き、新しい物事にも正当な目線で対峙できる、とかそんな内容だったと思う。
そのリベラアーツを持ってして、著者が人生の局面にて解決してきた例が、この本にも散りばめられている。
本を読んだのは発売当時で、今その本を手元に置きながらも参照せずにこの感想を書いている。記憶違いや間違いがあれば、ごめんなさい。感想というよりは本の紹介になってしまった。