川崎敦文のレビュー一覧
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タイトルからわかるように実在の代官は悪代官どころか権力は小さくいちいち幕府にお伺いを立てないと、飢饉の救済などの緊急行動もとれなかったという。幕府にお伺いを立てるにしても通信手段が自ら赴くくらいしかなく、しかも陳情どおりの許可が下りず中間管理職の悲哀をかんじさせるようなことばかり。その中でも幕府の許可を待たず、あるいはうまく説得をして減税(年貢を減額)や開墾、移住促進策をとり赴任地を活性化させた例も多い。
直接関係ないが江戸時代の「打ちこわし」は豪商や役所の家屋敷は破壊するものの、物資略奪や住人への暴行は一切行わなかったという点。それに反すると打ちこわしの参加者からシメられるという実に「誠に丁 -
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江戸時代を描いたドラマでも小説でも漫画でも悪者の代名詞として使われてしまう悪代官。
しかしこの本を読むと代官への認識が180度変わるだろう。
薄給で多忙ですすんでなりたがる人の殆どいない中間管理職。
困窮した領民の為に私財を投げうったり切腹覚悟で行動を起こしたりした代官のなんと多いことか。
それなのに現在はやたらと町奉行が英雄視され代官は悪いことをするという認識がまかり通っている。
演出と史実を混同してしまうのも悪いといえば悪いが、名代官を主役にしたものがなさすぎるのもどうかと思う。
読めばわかるが、史実にのっとった名奉行は殆どおらず名代官の多さにびっくり。
そして時代が下がるにつれての町 -
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江戸時代の「代官」の仕事ぶりについて、史料から明らかにしようとしている本。代官とは、天領(幕府領)の政務を取り仕切る多忙な役人であり、下級の旗本が務めることが多かったらしい。すなわち、現場の最前線で実務を指揮統括する立場であり、苦労が多いのに実入りが少なく、割に合わないポジションであったことは、現代とそれほど事情は変わらない。本書によると、災害や飢饉で困窮した民を救った結果、借金を返せなくなって切腹した代官は枚挙に暇がない。また、部下の役人が悪事を働くと、民衆はすぐに江戸に直訴に行き、代官は監督責任を問われ罷免されてしまう。3代続いた代官はいないとも言われるほど、代官の職は過酷であった。江戸時
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ネタバレチェック項目8箇所。代官が誤解されているのは、江戸時代の農民が知られていないことにも由来する、江戸時代の農民たちは非常にしたたかであり、むしろ代官のほうがよっぽど苦労した。江戸時代、私領(大名領、旗本領)でも幕領でも、年貢は「五公五民」が基本だった。島原・天草一揆こそ、江戸時代の最初で最後の一揆だった、「信達騒動記」……「このたびの騒動、寛永の頃、天草四郎や由井正雪の類の一揆とは違い、強訴なので、て道具を持たないことはもちろん……」、一揆は武器を持って戦うが、強訴は戦わないので武器は持たない、信達騒動は大規模な百姓一揆のように見えるが、武器を持たないので一揆ではない。五代将軍綱吉の時代に、51
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ご先祖様が登場してちょっと嬉しくなったが,タイトルの「悪代官・・」というのは納得しがたい~水戸黄門の都合で悪者にされた代官であるが,全国に名代官が存在し,大飢饉で実力を発揮するものもいれば,教育・雇用・福祉政策に力を入れたものもいた。天領というのは明治以降の言い方で,江戸時代の幕府直轄領を召し上げてから始まったので,江戸時代は代官所と言うべきだが,幕領でいいだろう。身分は高くなく,少人数で仕事をこなし,経費の半分は人件費に消え,借金まみれで商人との関係も良好に保たざるを得なかった。徳川家康も一目置いた名代官は伊奈忠次,「神」と崇められた農民の味方が岡上(登)景能,天草代官の鈴木重成は領民第一を