風呂本惇子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
現代社会で生きている人々が、何百年か前の社会にタイムスリップしたら、というプロットはありがちなものだ。
日本でも『戦国自衛隊』や『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』のように戦国時代に戻るものもあれば、『あの花が咲く丘で君とまた出会えたら』のように戦時中にいってしまったら、なんてものもある。
どんな展開を見せるか想像してみると面白いが、そこに恐怖はあるだろうか?
現代に生きる我々がタイムスリップしたとしても、生命に関わるような恐怖にいきなり苛まれることは恐らくないはずだ。
だが、これが現代に生きる黒人が奴隷制時代のアメリカにタイムスリップしたら、とするとどうだろうか?
現代 -
Posted by ブクログ
「私は最後の帰還の旅で腕を失った。左腕だ。」こんな衝撃的な一文から始まる、タイムスリップ物のSF小説(著者は、ファンタジーだといっています)。
時は、1976年6月9日のロサンジェルス。新居に引越してきたばかりの、白人を夫に持つ黒人女性。彼女は夫と荷解きをしているとめまいに襲われ、南北戦争のはるか以前、1815年のメリーランド州にタイムスリップしてしまいます。そう、黒人にとって最も生きづらい、過酷な労働や人間の尊厳を踏みにじる人身売買、そして差別と暴虐が当たり前の世界に。
彼女がその世界に踏み入れてすぐ、河で溺れている白人少年を助けたところ、元の時代にびしょ濡れで泥だらけの姿で戻ってきます -
Posted by ブクログ
ネタバレ“わたし”であるデイナはまだ無名の黒人女性作家。夫のケヴィンは同じ作家で白人。二人は1976年のロサンゼルスに住む若い夫婦。
しかし、突然デイナは目眩を感じ崩れ堕ちる。そして気がつくと見知らぬところにいた。
そこは19世紀のメリーランド州。南北戦争前、黒人奴隷を多く抱えたトム・ウェイリンが経営するあ農園ウェイリン・プランテーションだった。しかも、彼女がタイムスリップする理由は、その農園主の息子ルーファスと関係があるらしい
しかし現代とは違いこの時代のメリーランド州において、黒人は奴隷、すなわち売買する財産、“物”でしかない。しかもトムは黒人奴隷に厳しくあたり、突然現れたデイナにも敵意を抱いてい -
Posted by ブクログ
ネタバレ長らく絶版で古書価格が高騰していた本作。河出書房さんのお陰でようやく読むことができた。1976年のロスに白人の夫ケヴィンと住む黒人の主人公デイナが、1800年代初頭の過去へタイムスリップし、自分の祖先であるルーファス少年を救うところから始まる。ルーファスが命の危険に晒されるとデイナが過去へ呼ばれ、逆にデイナが危機を感じると現在へと戻る。これを何度か繰り返し、彼女は黒人奴隷制を身を持って体験することとなる。当時の黒人奴隷制と言えば絶対的なものであったろうが、ルーファスはデイナに単なる黒人としてではなく、特別で複雑な感情を抱いていた。最後まで相容れなかったのは残念だが。隠れた黒人差別が再び表面化し
-
Posted by ブクログ
希望が一瞬、あらわれてみえることがある。手を伸ばすと消えてしまう。
人のなかには潜在的に「優しさ」が宿っているのではないか。丁寧に教育すれば間違えた道に進まないのではないか。少しの出会いでも種をまくことになり、やがて人生の中で芽を出しその人の生き方を一変させることができるのではないか。どんなに暴虐な人格であっても、愛を与えてやることさえできれば、人間として生きていくことができるのではないか。夫婦という愛で結ばれていればなにごとも分かり合い、分かち合うことができるのではないか……そういった思いが物語に希望を生み出す。
それらの希望が、物語のなかで、ひとつずつ否定されていく。
それでも読み進め -
Posted by ブクログ
1976年アメリカに生きる黒人女性が、奴隷制が存在していた1819年へとタイムスリップします。それも何度も現代に戻ってきては、いつともわからない瞬間にタイムスリップをくり返します。
いかに黒人といえど、20世紀後半に生きていれば奴隷制は学習するだけの過去の制度。それを想像を絶するほどの痛みをともなって実体験し、加えて現代に無事に戻れるのかわからないという不安も絶えずおぼえるというのは、SFということがわかっていても読んでいてつらいです。すなわち、主人公のデイナに同情以上の気もちをおぼえることもあるでしょう。
本書を通じて登場する、白人であり奴隷所有主の息子(のちに主人)であるルーファス。彼