武士は弓馬の道の専門として王権に奉仕する家業として生まれた。馳射を競う武士の合戦は承平・天慶の内乱の質の劣る兵士の大量動員で変質した。乱後の鎌倉幕府は御家人に殊更、武士の表芸として弓馬の道を奨励する。また源頼朝は特別に貴種性が高かった訳ではなく、その確立の為、奥州征伐に全国から御家人のみの大動員を行い、前九年の役の鎮守府将軍源頼義の故事を再現した。それによって東国武士団と河内源氏嫡流が昔から強固な主従関係で結ばれていたという幻想を共有させた。征夷大将軍任官はその仕上げとして鎮守府将軍の延長にあってそれを超える権威として必要だった。