鈴木冬悠人のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「恐ろしい未来が待っているとわかっていながら、現状に甘んじて特に何も変えようとしませんでした。長い期間を経て、その状況を徐々に受け入れていくというのは、何とも奇妙な感覚です。ですが、それは人間のほとんどの活動に共通して言えることなのではないでしょうか。」
原爆開発に関わったある科学者の証言より
この書籍では、原爆開発に関わった主要な科学者たちの証言を集めることで、科学者達がどういう思いで開発に携わり、原爆がこの世に生まれ、広島と長崎に投下されるに至ったかに迫っている。記録に残る証言を丁寧に読者に示すことを徹底し、著者の主観はあまり含まれていない。その構成がよかった。もちろん、これが全てではないのだろうけど、少しでも知ることができたのがよかった。
ナチスの脅威が迫る中、亡命したユダヤ人やアメリカの科学者達は、それぞれの大義を引っ提げて原爆の開発に尽力を注いだ。その大義は、ナチスに開発の先を越されて祖国や家族の生命が脅かされるのを防ぐこと、今後の戦争を未然に防ぐ抑止力とすること、科学の力を世に知らしめて国家における科学の地位を高めること、科学者として新たなものを開発することなど多岐に渡る。
しかし、当初はナチスの脅威への対抗であったはずの原爆開発計画だが、1943年の時点では、落下地点の候補として既に日本が上がっていた。また、原爆を使用することを決める会議で、その倫理的な懸念はほぼ話し合われなかったに等しい。日本人が人間であるという認識が欠けていたのではないか。
国家機密として約3年間でマンハッタン計画に費やされた税金は20億ドルに及ぶ。後には引けない額であり、戦争終結のために原爆が必要だったという理論を成り立たせたかった者たちが、会議における発言権を握っていた。
憤りしか感じ得ない。原爆投下の理由には成り得ない。決して。
著者は、誰もが過ちを犯してしまう可能性を持っていることを呈している。このプロジェクトを率いたオッペンハイマーも、孫にとっては優しいおじいちゃんだった。だけど、原爆の開発、そしてその投下は犯してはならない過ちだ。今も尚、ロシアはウクライナへの侵攻を辞めないし、イスラエルによるガザへの非道も続いてる。地球上にある核兵器の数は、すぐに使用できるものだけでも4000を超えるそうだ。
様々なものが影響し合って成り立つこの世界が、少しでも平和な場所になるように、これからも学び続けて、周りの人との対話を大切に過ごしていきたい。 -
Posted by ブクログ
太平洋戦争末期、敗色濃厚の日本に対し、アメリカは徹底した爆撃を行った。なぜか? 長年埋もれていた米軍の内部資料をもとに、無差別爆撃の背後にあった狙いを解き明かす書籍。
第2次世界大戦中、アメリカに“空軍”は存在せず、陸軍の下部組織に位置づけられ、“陸軍航空軍”と呼ばれていた。当時の航空軍総司令官、ヘンリー・アーノルド大将は、戦争の勝利以上に「空軍の独立」にこだわっていた。そして戦後、1947年、日本への空爆の成果を足がかりに独立を果たす。
戦時中の1944年、米軍では、陸軍と海軍が互いの威信をかけ、日本本土への上陸を競い合った。こうした中で航空軍が戦果を上げるには、日本本土への直接爆撃しかなかった。
当初、日本本土への空爆は、「精密爆撃」(軍需産業など、主要な社会・経済的機能をピンポイントで爆撃し、戦争遂行能力を奪う作戦)を目指していた。だが、爆撃作戦は失敗が続き、アーノルドは軍内部で苦しい立場に追い込まれた。
追い詰められたアーノルドは、焼夷弾を大量にばらまく「地域爆撃」へと戦略を転換する。1945年3月の東京大空襲では、32万7000発の焼夷弾を投下、犠牲者は12万人とも言われる。
アーノルドは航空軍の力で戦争を終わらせるため、1945年6月以降は地方都市にまで空爆の対象を拡大する。その結果、終戦までに空爆は約2000回行われ、237カ所が爆撃された。犠牲者は、原爆による犠牲者を含めると約46万人にのぼる。
無差別爆撃戦略の原点は、航空軍の戦略の基礎を作ったウィリアム・ミッチェルにある。彼は1919年のレポートで、物資の生産を通じて国の産業や軍事力を支えている女性や子どもも含め、「全ての者は戦闘員とみなされるべきだ」と述べた。