世界初の空母「鳳翔」は、呉港空襲を生き残り、
戦後、復員船として新たに生まれ変わる。
本書は、海軍通信兵・山本重光の復員船・乗務員としての日々を取材し、
また、同じ任務についていたそれぞれの証言も拾いながら、
復員船に焦点を当てる。
終戦後、海外に残された、日本人は、軍人民間人を合わせ、
660万
...続きを読む人が取り残されたという。
当時の日本の人口が7200万人だったことを考えれば
1割にあたる。
山本は「鳳翔」で赤道を8往復し、いわゆる南洋の人びとを救い、
旧満州へも向かう。
「鳳翔」が引退・解体されると、小型の海防船に移り、
復員船の仕事を続けた。
当時ハタチそこそこの若者は、自ら、この道を選んでいる。
というのは、敗戦時、上官から「長男は帰れ。次男以下は船に残って欲しい」と
言う言葉に応じ、後には上官から「おまえは大学へ行け、あとは俺たち年配者が
引き受ける」とまで言われたのに残り続けたのだ。
それは復員船に乗り込んでくる人たち、ガリガリに痩せた復員兵、
笑顔の全くない引き揚げ者・・・
を連日、見続けたからだろう。
このあたり、当事者でなければ、わかりえることではない。
今まで、引き上げの苦労は、さまざまな本やメディアで見聞きしてきた。
でも、そのための手段については意識していない。
「引き揚げ船」に乗り込んだ・・・で、おしまい。
その船が、どんなものであり、どんな人びとが動かしていたのかなど
考えたことも無かった。
その乗務員とて人生ががあり家族がいるのに。
しかも俸給は雀の涙。
かつて北米航路の豪華客船だった氷川丸が、
病院船となり、後に復員船として船の命を終えたことは
おぼろに聞いたことがある。
今、山下公園で、ふたたび、豪華客船時代の姿に修復を施され、
美しい姿を見せる、あの船だ。
まだまだ知らないことばかり。
体験者が存命のうちに・・・と時間との勝負だ。