古典的ハリウッド映画の特徴は、何よりもまず「物語を優先する」点にあります。
各種の技法は、効率的な語り(語りの経済性)を実現させるために動員されています。これによって観客を映画のなかに引き込み、我を忘れて物語に熱中する「夢の時間」を作り出すのです。
登場人物の動機や物語の因果律(原因と結果)を明白に示し、ハッピー・エンドで締めくくること(あるいはあいまいさの残らない完結したエンディングにすること)も特徴の一つです。
ほとんど無限とも思えるほどの大量の映画作品を前にして、どうやって今日これから見る1本を選んだらいいか――。
入門段階においては、あえて情報量に制限を描けることも有効です。
そこで、私がみなさんにオススメしたいのが、古典的名作とされる映画を選択的に見ることです。
村上春樹のベストセラー小説『ノルウェイの森』の登場人物に永沢という古典文学の愛読者がいます。彼は「時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくない」という理由で、「死後三十年を経ていない作家の本」は原則として手にとらないようにしています。
文学に比べて歴史の浅い映画の場合、「作者の死後三十年」は「公開から三十年」を読み換えるのが妥当なところでしょうか。もちろん、これはあまりの極端なポリシーです。
しかしながら、「時の洗礼」という観点はなかなかどうして核心を突いています。
似たようなテーマを繰り返し取り上げる小津の姿勢は、同時代の批評家や若手の監督たちからもたびたび疑問視されていました。それに対して小津は自身を「トウフ屋」になぞらえて煙に巻くのを常にしていました。
いつも同じような作品だと人にいわれるがわたしは自分をトウフ屋だと思っている。トウフ屋では焼ドウフ、ガンモドキ、アブラアゲしか出来ない。トウフ屋にシチューやトンカツをつくれといってもムリだ。それはトンカツ屋にまかせればいいので、サシミとトンカツが並んでいるような店は大ていうまくない。だからデパートの食堂はまずいんだよ。
また、別の機会には「トウフ屋」の例を挙げたあとで、「ひとには同じように見えても、僕自身はひとつひとつに新しいものを表現し、新しい興味で作品に取りかかっているのです。何枚も同じバラを描きつづけている画家といっしょですよ」と答えています。
素人が適当に撮った映画は独創的なのではなく、多くの場合、たんに粗雑な印象を与えるだけです。ルールを知らず好き勝手に撮るのと、知っていてあえてそこから外れるのとはまったく違います。
「批判」はたんに悪口を言うことではありません。
この言葉の第一義的な意味は「物事に検討を加えて、評価・判定すること」であり、そこには良い点を見つけることも含まれます。「批評」もこれとほぼ同じ意味を持つ言葉です。