当事者は私。
当事者はあなた。
どちらも正しいーー
でも、正しいことが断絶を生む。
当事者発想あなたの「誰かのため」は、何のためか?
佐藤徹 川合俊輔 各務太郎
CROSS MEDIA
この本、読むのに時間がかかった。
私には理解するのに時間を要することが書いてあった。
でもすごく大事なことが書いてあるのがわかるから、
時間をかけて読んでいって、付箋だらけになった。
読書記録に書き写すだけで、
一時間もかかってしまうほどとても濃い一冊だった。
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私が『たしかに~』と感じ、
すぐに意識しようと思った部分をひとつ紹介します。
●“「自分の持っている前提」「自分の合理性」を前提に、相手の現場を評価してしまうと、平行線をたどることになる。”
『あの人は現場を知らない』
そう感じ、憤ることありませんか?
例えば、現場からの視点と経営者からの視点の違い。
どちらも言ってることは正しく、視点や価値観が違うだけ。
●“すべて正しい。しかし、正しいことが断絶を生む。”
この言葉に、私は手を止めました。
じゃあ、どうしたらいいか。
この本には適切な問いの方法が『3つ』具体的に書かれています。(P234)
他にも意識しておきたい視点がいくつもありました。
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●“社会課題とは、感情的に共感する対象ではない。
構造的に解くべきイシューのかたまりである。”
大事なのは、
「知る」で終わらせないこと。
『知る⇒理解する』
この矢印を作るための一冊だと思う。
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・客観的にものを見たい・考えたい
・「だれかのために」という思いの強い方
・抽象的だった問題を具体的問題にしたい方
じっくり時間をかけて読みたい一冊です。
誰のために存在するのか?を忘れたシステムたち
森を見て、木を見る。木を見て、再び森を見る。ころを繰り返した先に、思考は現実に接続する。
当事者とは、
出来事を経験として生きる主体であり、権利と義務を引き受けるものであり、事柄の中心に最も深く触れ、傷つき、変えられる存在であり、その領域の空気を吸う内部関係者であり、テーマに固有の知見と立場をもつ、不可欠な声でもある
当事者とは、ひとつの事象をめぐる世界の最前線に立ち、その意味を最も深く身体で受け止め、語る資格を帯びた存在。
当事者発想とは、誰かのためにしてあげるという一方方向の思考を離れ、その人と共に未来をつくるという共創の未来へ歩みだすための双方向の視座である。
当事者発想とは、個人的な事象を出発点にしながら、それを私たちの問いや願いへと拡張していく指向技術である
当事者発想が作る社会とは、完璧に最適化された社会ではない。むしろ、不完全さや揺らぎを前提とした、みんなにとっての最適化を諦めない社会である。そこでは、声を上げることが特別な行為ではなくなる。違和感はクレームではなく、改善の起点として扱われる。弱さや困難は排除すべきものではない。それは社会を見直すための重要な手がかりである。
私たちが今、選び取るべきなのは、誰かを「理解したつもり」になる社会ではなく、理解しきれなさとわかり合えなさを前提に、それでも複雑なコンテキストの中で共に生きる方法を探り続ける社会だ。
当事者は助けられる側ではなく、共につくる仲間だ。
「誰かのため」から「私たちのため」へ
哲学者國分功一朗が紹介した「中動態」という概念は、能動/受動の二分法では捉えきれない行為のあり方を示す。
主体と客体の関係が行為の中で共に変容していくことを意味する。
中動態的な視点を採用することで、デザインは「する」「される」の構造を超え、共創的かつ生成的な営みとして理解される。
「何をしてあげるか」ではなく、「どのような関係の中で、何を共に考えるか」
本来問うべきは、
・誰の、どの状態を、どの時間軸で変えたいのか
・その人にとっての価値とは何か
それは本当に助けになっているのか
空回りを生む3つの構造的要因
①社会的構造:非対称な関係性を前提にしている
②経済的構造:市場や制度に搾取される
③心理的構造:やった感という認知バイアス
「ひとりのため」
・この人は、どこで本当に困っているのか?
・それは、なぜ今まで解決されてこなかったのか?
・既存の仕組みは、なぜこの人を取りこぼしているのか?
「みんな」を見ようとした瞬間、次のものが失われる
・困りごと、悩みごと、痛みの解像度
・誰が何に本当に困っているのか?という商店
・意思決定の軸
当事者は、固定された属性ではない。当事者は、状況によって誰もがなる。
顧客のAs-Is(現在)とTo-Be(ありたい姿)をつなぐ回路を、会話の中で立ち上げ続けることである。As-Isとは、顧客がまだ曖昧な希望しか持っててない場外である。「自分らしく見せたい」「信頼されたい」「リラックスしたい」といった漠然とした感覚があるが、それが服の選択肢としては形になっていない。一方To-Beとは、服を通して実現したい未来像である。つまり「こうありたい」「こう見られたい」「こう振る舞える自分になりたい」という、社会との関係を含んだ自己像である。
ここで重要なのは、イノベーションが起きるのは、HaveだけではなくBeに触れが時だという点である。
その人の内側から以来の姿を見つけていく方法を、インサイド・アウトと呼ぶ。
両者を結び、「なぜ今はそこに行けないのか」を構造として説明できたとき、はじめて戦略は意味を持つ。
「最適解をひとつ選ぶ」ことではなく、「選べる状態をつくる」ことである。
当事者の声を起点にしつつも、イシューは当事者から切り離して構造として再定義することだ。当事者の痛みや苦しみは事実であり、孫登されるべきだが、解くべき問いは「誰がどれだけ傷ついたか」ではなく、「なぜその傷が構造的に生まれ続けるのか」である。
当事者の声を起点にしながら、当事者から一切切り離し、構造として問い直すこと。
イシューとは、「重要で、かつ解ける問い」である。
イシューとは、規模の大きさではない。当事者の未来を、当事者と共にどれだけ正確に出発点に置けたかで決まる。
①当事者発想の手がかりP201
・「何が本当の問題かを探す段階」か?など
機情緒的・機能的価値のこれから(インクルーシブデザイン)P209
バイアスを自覚しそれを超える設計的実践こそが、新たな問いと普遍的な解を生み出す道であるという事実だ。
他者の当事者性に触れるとき、私たちが本当に問われているのは「どの段階にいるか」ではなく、その人の存在を、いま・ここにあるものとして承認できているかである。
異質性を前にした違和感や拒否感をあってはならないものとして抑制するのではなく、プロセスとして扱うこと。その設計こそが、共存を可能にする。
「自分の持っている前提」「自分の合理性」を前提に、相手の現場を評価してしまうと、平行線をたどることになる。
すべて正しい。しかし、正しいことが断絶を生む。
問うべきは
・相手の現場を、自分の延長として誤読していないか
・自分の前提を相手の言語に、相手の前提を自分の言語に翻訳できているか
・互いの前提やリスク構造が共有され、どの意思決定が誰にどう影響するかが時間軸で理解されているかどうか
あの人は現場を知らないと感じたとき、本当に問うべきなのは、「自分は、その人の現場をどこまで理解しようとしているか」「自分の現場を、その人が理解できる形で提示できているか」である。
当事者発想とは、自分の現場に閉じこもることではない。異なる当事者同士が、同じ問いを共有できる地点を探すことだ。
当事者の関与
レベル0無関心者:見て見ぬふりをする、傍観者という選択
レベル1共感者:思いやりと気持ちを寄せる、当事者の入り口
レベル2参加者:支援・共創に加わり、共に動く
レベル3発案者:自ら意思決定に入る主体的当事者
レベル4共有者:経験を社会知に変換する
ただし、共有には責任が伴う。語り方次第で、他者を勇気づけもすれば、
誤った一般化も生む。
レベル5代弁者:当事者性を拡張する存在
デザイン思考の「共感」フェーズをより深くし、手段(how)ではなく何のために(why)を重視する。
本人の声が、意思決定の場に届く社会である
アクセシビリティの工場は、ときに「できるはず」という新たな圧力を生む
各段階は固定されず、常に「揺らぎ」ながら深まっていくプロセスである
インクルーシブデザインの可能性とユニバーサルデザインとの相互作用
HOWS DESIGN
①社会のバリアを見つける
②解決方法のアイデアを検討する
③試作品で検証する
④具体的な商品やサービスで検証する
社会課題とは、感情的に共感する対象ではない。構造的に解くべきイシューのかたまりである。
「知っている」から「理解している」へ。
今、社会課題において最も欠けているのは、この踏み出すべき一歩である。