清宮四郎と宮沢俊儀は戦後日本の憲法学のスタンダードを築いた両雄だが、二人は戦前の憲法学をリードした美濃部達吉の高弟であり、日本の公法理論に陰に陽に大きな影響を与えた純粋法学者ケルゼンからも多くを学んだ。清宮は美濃部、ケルゼン、宮沢を「憲法学の二師・一友」と呼んだが、本書は彼らの共通点より、むしろ微妙な、ある意味では決定的なズレを意識して読むことで愉しみが倍加する。宮沢はケルゼンから学んだイデオロギー批判の手法を用い、科学としての法律学(=純粋法学)の立場から師美濃部の学説を形而上学と断じ、その克服を企図した。清宮はケルゼンから法の究極にあるものとして「根本規範」を受け継ぎながら、それを換骨奪胎し、ケルゼンの価値相対主義を乗り越えようとした。
ケルゼンの純粋法学は法実証主義の立場に立ちつつ、実定法体系を根底で支える「根本規範」は単なる論理的仮説でしかないと喝破し、法の無根拠性をあぶり出した。その帰結として、無から有を創造するのは政治的意思という法外在的な事実である他ないが、ここで規範主義者ケルゼンは決断主義者シュミットと限りなく接近する(と同時に無限の距離を保持してもいたのだが)。宮沢はその接点から八月革命説(=日本国憲法はポツダム宣言受諾という一種の革命的決断によって成立)を繰り出すことになる。
対する清宮は法解釈とは法の客観的な認識であるとする法実証主義(その典型は美濃部と並び称された京都の佐々木惣一)に一貫して批判的であり、あるべき法の解釈(=発見)こそ法学者の使命と考えた。そのためには「根本規範」は単なる仮説ではなく、現実に基礎を持たねばならない(したがってケルゼンのイデオロギー批判を高く評価する長尾龍一は清宮の根本規範論に手厳しい)。清宮が主権論争で宮沢と対峙した尾高朝雄と交錯するのはこの地点である。佐々木が法と政治を峻別し、宮沢が法は「政治の子」であるとして法を政治に還元するのに対し、清宮は尾高とともにこの二つを一応は区別しながら、あくまで法内在的に統一しようとした。尾高は現象学を武器に、法を共同主観的な事実に「底礎」されたものと考えたが、同じことを清宮は、根本規範は「作り上げられる」ものではなく「成り立つ」ものであると表現した。法の基礎にあるのは裸の事実ではなく、価値を帯びた事実であり、したがって、法とは力を背景にした命令ではなく、あくまで守るべきものと承認された規範ということになるだろう。
こう見てくると、法に対して大きく異なる立場の清宮と宮沢が、ともに戦後の憲法解釈の通説的地位を占めたことは不思議と言えば不思議だ。二人は互いの理論研究に敬意を払っていたし、民主、平和、人権という憲法理念について価値観を共有してもいた。だが基礎理論の違いが解釈学に大きな違いを生まないのならば、基礎理論にどれだけ意味があるのかと問いたくもなる。宮沢が言うように、解釈学とは予め意図された結論を導く技術に過ぎないのだろうか?それは兎に角、清宮にせよ、宮沢、佐々木、尾高にせよ、世界的水準で議論を展開した戦前の日本の公法学のレベルの高さには驚く。ここにケルゼンやシュミットに学びながらも、憲法制定権力に規範的契機を見出した黒田覚というもう一人の俊才(本書で何度も言及されている)を加えてもいい。清宮の弟子、樋口陽一の解説も捨て難いが、できることなら、本シリーズで佐々木、尾高の卓越した解説を書き、また清宮の孫弟子として、その越境的思考に新たな光を当てた石川健治の解説を読みたかった。