最近、がん患者とやらになった。
家族はもちろんそれを知っているし、職場にも伏せてはおけない。
だから、最近、こういう本を人前で読むのに、ちょっと気を遣う。
周囲の人に、私が不安になっていると思わせてしまうのではないか、と。
筆者は臨床疫学の専門家。
臨床医学とは、患者の臨床データを集め、統計処理を
...続きを読む施し、より確実な医療を探索する学問。
そして、その立場から出された命題が、書名でもある「医療は不確実なものである」ということだったのだが。
センセーショナルに見えるこの命題も、現代の医学でさえほとんどの病気の原因が不明であり、医療の効果になぜ個人差があるのかを説明できないのが現実だというから、納得せざるを得ない。
実際、自分の癌は再発するのかは、きっと私の主治医も、手術が終わって数か月の今の時点では何とも言えないわけで、身をもって医療の不確実性を味わったことになるのだろう。
この本のキーワードは、EBM(科学的根拠に基づく医療)。
患者の診療に最新かつ最良の科学的根拠に基づくのと同時に、患者の意向と臨床能力を統合して行う医療だという。
ここで目を引くのは「患者の意向」。
医師は専門的な見地から、治療法を提示するが、それを受け入れるかは患者だということ。
自分自身、手術直後、再発を予防するための再手術を提案され、手術のメリット、デメリットの説明を受け、選ぶことになった。
手術しないことを選んだのだが、正直、正しかったのか今一つ自信がない。
先日、首の血管からの人工透析を断って、透析再開の意向ももらしつつも、再開されることなくそのまま亡くなったという患者さんのことがニュースになった。
体の苦痛から、意思が揺れ動くことは、自分のこととしても想像できる。
患者の意向を尊重してもらえることは、間違いなくすばらしいことだ。
でも、患者として自己決定が十全にできるのかは、とても難しいと思う。
最後に頼るべきものは自分の治癒力ーとしても、そこまで自立した患者になれるかどうか。
で、患者としてどうあるべきかを考えるヒントを与えてくれた本書には感謝するが、やはり当事者として割り切れないのが、統計から割り出した事実と、患者の現実とのギャップ。
私は手術前に、おそらく良性腫瘍と言われていた。
もちろん、悪性である可能性も告げられていたし、切って病理検査をしてみないとわからないことは納得している。
同じようなケースのうち、「まれにがんのこともある」と書いてある本もあったのだが、その「まれ」なケースに当たってしまったわけだ。
確定した病名をググったら、国立がんセンターの希少がんセンターのページにつながってしまったほど。
統計的に、つまり、ある症状の患者の何パーセントの確率で○○病だ、と言われることと、当事者の感覚は全く違う。
当事者にとっては、0か100かとしてしか存在しない。
5年生存率なる、やはり統計的な数値があるけれど、これとどう付き合ったらいいか、いまだにモヤモヤしている。