緒方正人のレビュー一覧
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水俣病被害者の方の記録。
子供の頃、テレビや雑誌なんかで見ていた水俣病の話はいつからか全く聞かなくなったので、解決したんだと思っていた。
実態は解決なんてしない話だった。
漁村の海に垂れ流された水銀は、魚を食べる地域の人や猫、鳥までもを苦しめた。水俣病は、人を病で苦しめるだけではなかった。生活の糧の海を壊し、地域社会を壊した。人々の生活の営みを全て壊していた。
公害というのはそういうものなのかと、驚いた。
静かな漁村だったはずが、分断し病と戦い、補償を勝ち取るために、何十年も国や県、企業を相手に戦わなくてはいけなくなった。
『叩きのめしたい相手というのは化けものだった。おれは化けものと喧 -
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「はじめに」を読んで、あっ、これはあんまりちゃんとした文章を書く力のない人の書いたほんじゃないかな。
読むのよすか…
と思ったが。
文章が粗であることを、大きく上回る思索、悩み苦しみ。胸に迫る迫力で、涙ぐんでしまった。
考えれば考えるほど、ものごとはつながりこんがらがる。
もっと手応えのある思考をしようとすると、結局自分に跳ね返ってくる。
その不器用なまでの誠実さに、心打たれる。
仕組み、組織、社会は狂う。
例外なく。
それらに損なわれつつも、それらから離れられない。
そんな苦しみに真正面から向かい合う姿は、決して他人ごととは思えなかった。 -
Posted by ブクログ
水俣病に家族を奪われ自身も水俣病になった作者が、最初は水俣病を引き起こしたチッソや国を相手に責任を強く追及していたが、賠償金で解決することや、相手の対応者が次々に変わっていくことで、誰を相手に戦っているのかわからなくなり、また魂は救済されないと感じ、最後は自分自身も社会のシステムに組み込まれている一部と気づき、自分自身がチッソであったと悟る。この悟りはとても深い考えの行き着いた先に出てきたものだと思うが、このように考え苦しませてしまうのはやはりチッソや国が被害者に対して誠実に謝罪をしなかったことがよくなかったと思う。制度で解決することは公正に課題を処理する上で必要だが、気持ちの面でも納得しても
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〝叩きのめしたい相手というのは化けものだった。ー
つかみようがない。県知事だとか公害部長だとか県議会とか、国会議員とか環境庁の役人たちとか、ニ、三年でポストがコロコロ入れ替わる。
変わらないのはわれわれと弁護士だけ。だけどおれは人間と喧嘩したかったし、人間の詫びがほしかったんだと思う。〟
〝ふと気づいてみたら相手がだれなのかわからなくなってしまっている。〟
〝多くの患者たちが、魂の詫びがほしかったんだと思う。〟
『水俣曼荼羅』を観たこときっかけに読みました。もちろんお金は必要だし大事だけど、そういうことじゃないんだろうと思う。本当に同じ人間とは思えない人たちを緒方さんたちは相手にしていて、 -
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水俣病で父を亡くし、また自らも水俣病の認定を申請していた著者が、「チッソは私であった」との境地に至るまで。「チッソは私であった」というのは、水俣病を引き起こしたチッソが近代化の宿痾だとすれば、そのシステムの中で生きている自分もまたチッソではないか、ということだと理解している。近代化のシステムの中で被害者も加害者も一体不可分の運命共同体ではないか、というのは、水俣病の認定闘争の中で被害者と認められるか否かがすべてになってしまった、という運動への幻滅というか、結局救済がシステムの中に押し込められるという矛盾への鋭い指摘なのだと思った。近代の矛盾が臨界点を迎えた水俣でこそ生まれた、そこで生まれからこ
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ネタバレ水俣病の闘い、緒方さんが認定裁判を取り下げた理由について、知ることができた。耐え難い苦しみを経て行き着いた答えについて、「理解」したとは言い切れないけど、少しだけ想像ができた。
人は、生き物を殺して食わねば生きられない、という罪深さ・責任を負って生かされているのだ、というところが響いた。
私は、魚を捌くのが嫌いだ。内臓を見たくない、魚の目が怖い。だから切り身しか買わない。でもそのことで、命を頂いているという罪の意識から逃れようとしているのだと気がついた。
緒方さんにとって祈りとは、我が身の救いではなく、海山も含めて、命総体の蘇りを願う祈りだという。
「信」「魂」をどこに置くか、私自身も問い続 -
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著者は、1953年生まれ。熊本県の女島で網元の家に生まれる。20人兄弟の末っ子。
父親は、著者が6歳の時に、劇症性水俣病で、発症してわずか2ケ月で死ぬ。その悶え苦しみ狂うように死んでいった父親が、6歳の身体全身に刻印されている。本人も水俣病患者である。
父親の仇として、チッソを憎み、その闘いの川本輝夫とともに先頭に立つ。
ところが水俣病認定の申請を取り下げ、自らの在り方を問う。もし、自分がチッソの会社の人間だったら、同じようなことをしたかもしれないと思い、生き方を変える。
「私もまたもう一人のチッソだった」と自覚するのである。
そのことで初めて、草の声が聞こえ、魚たちや自然の中にあることを知る