再読。祖母の蔵書を譲り受けたもの、1976年発行、初版。
レビューというか、物語の本質とは関係無いところばかりの自分語りになっちゃいます。長くなりそうな予感。
私の父は終戦を樺太で迎えました。当時4歳。玉音放送の記憶があるそうです。
主人公の麻子のお父さんが働いている三井鉱山が掘っている石炭や「つつみ」で流される木材は、敷香の街に送られます。
昭和22年に亡くなった祖父は、王子製紙の社員だったそうなので、作中の人絹パルプ工場とは祖父の働いていたところなのでしょう。
樺太での生活(恐らくは厳しい自然との闘いでもあった)や、それでも祖父が生きており幸せだった頃のことを思い出しながら祖母はこの本を読んだのだろうと思います。
私がこの本を祖母から譲り受けたのは、たぶんこの本が発行されてから10年くらい経ってから。祖母は、タイミングを見計らって私にこの本を渡したのだろうなと今になって思いました。小学校高学年になった頃から、終戦後、逃げるように樺太から引き揚げて来た時の話や、祖父の兄弟の話を何度も聞いた記憶があります。家族のルーツを私に伝えるために、その一部としてこの本も私に渡されたのでしょう。
今になって読み返してみると、見栄っ張りで浪費癖があり、女性問題もあって樺太に来ざるを得なかった麻子のお父さんや、それでも従うお母さんに、子供の頃とはちょっと違う発見(共感ではない)もありました。
まだ戦況がそれほどシビアではない時期のまま終わっているので、終戦後の混乱やそれにまつわる苦労は描かれていないけれど、それはそれでいいのかもな、とも。
「おとなしくなりたくない」終章で主人公の麻子が決心する場面に今回はとても共感しましたが、実は全く覚えていませんでした。麻子たちの日々の生活の描写はところどころ記憶に残っているのに。
見返しに、祖母の名前のゴム印が捺してあったのを、多分前も気づいていたはずなのに、今回見つけてはっとして涙目。
祖母が亡くなって丸四年が過ぎました。
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これ文庫版の書誌でした。私の手元のはA5版のソフトカバーです。
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2013/05/09追記 芋づる式に思い出したこと。
祖父が昭和22年で亡くなった時は40歳そこそこで、今の私より若い年齢で祖母は4人の子供を抱えた未亡人となりました。
祖父の転勤で樺太、それより前には朝鮮半島のどこかで暮らしたこともある祖母は、引き上げの混乱や父たちの子どもの頃のこと、祖父の兄弟の話はたくさんしてくれたけど、自身が祖父が亡くなったあとかなり苦労した、そのことを愚痴めいて話すようなことは一度もありませんでした。
手に職もない、お嬢様育ちだった祖母は、祖父亡きあと、幼稚園教諭の資格を取り、定年退職する頃には市立幼稚園の園長先生でした。
祖母のこと、作中の麻子、みどり、お母さんのこと、同じ女性としての人生も考えてしまいます。