・メアリ・ロビネット・コワル「ミス・エルズワースと不機嫌な隣人」(ハヤカワFT文庫)巻末の作者自身による「謝辞」は次のやうに始まる。「まず、たいへんお世話になったジェーン・オースティンに感謝の意を表したいと思います。この小説を書く ひらめきを与えてもらったばかりでなく、細部の大切さについてずいぶん学ばせてもらいました。」(365頁)さうして「訳者あとがき」にはこんな一節があ る。「実のところ、『ミス・エルズワースと不機嫌な隣人』は時代背景ばかりでなく、語彙や語り口まで意識的にオースティンをまねている。分別のある姉と情熱的な妹という組み合わせまで『分別と多感』そのままだ。」(369頁)この物語はこれがほとんどすべてであらう。一読、直ちにオースティンを思ひ出す、 思ひ出させる。雰囲気が全く同じなのである。物語は19世紀初頭の「摂政時代の英国を舞台にし」(368頁)てゐる。これは「田舎では中流以上の階級が隣 人との社交にいそしむ優雅な生活を送っていた時代。」(367頁)である。エルズワース家もそんな階級に属し、夫婦と娘2人で隣人達との社交生活を楽しんでゐる。だから正にオースティンなのである。それだけならばおもしろくも何ともないのであらうが、この物語、実はさうではない。ここにちよつとした仕掛けがある。仕掛けといふと大袈裟か、コワルの世界には魔法が生きてゐるのである。以前、セス・グレアム=スミス「高慢と偏見とゾンビ」といふ作品があつた。 書名から明らかなやうに、これはオースティンの世界にゾンビを取り込んだもので、しかも、文章等はできるだけ原作利用、まねてゐるなどとといふものではなかつた。それゆゑに見事なパロディーとなつてゐた。この「ミス・エルズワース」はそれほど見事ではない。物語の世界はオースティンでも、物語自体はコワル のものである。それでも、読んでゐるとパロディーかと思つてしまふ。まねるとはかういふことであつたか。だから、これもまたおもしろい。
・ところで、その付加された魔法、他とは少々違ふ。巻末の「魔術用語集」魔術の項に、「この改変された歴史上の摂政時代において、魔術とは男性でも女性でも使用可能な魔法を指す。この力によって、光、香り、音の幻影を創り出すことができる。」(362頁)とある。だから、例へば姉ジェーンは 「ピアノの前に座り、魔力の襞を引き寄せた。」(16頁)さうして魔術を友に音楽を奏でるのである。絵画でも、「魔術と絵の具が組み合わさって室内をニン フの木立に変貌させていた。(中略)その幻は野生の花々のにおいやシダの芳香で見る物の鼻をくすぐった。視界のすぐ外で小川がさらさらと音をたててい る。」(45頁)絵から音や香りが感じられるのである。もちろん、人間を他のものに見せることもできる。目くらましの類であるが、いづれにせよ基本は幻影、幻である。ジェーンの器量は人並みのやうだが、この魔法の力は人一倍であつた。これが物語のポイントである。社交生活以前に姉妹、家族間の葛藤があり、さうして若い娘のことゆゑに恋もある。そんな時々にジェーンの力がものを言ふのである。かういふ物語の動きが正にオースティンである。この時代のこの 階級の人々の関心と行動はかくぞといふべきであらう。オースティンをコワルが見事にまねをしたのである。しかも、ゾンビのグロテスクさとは違ふコワルの魔 術の優雅さがまた別のパロディーに仕上げた。こんなものが作られるのだから、やはりオースティンは偉大なのである。なほ、個人的にはジェーンのその後を知りたいと思ふ。これはオースティンを離れるのではないかと思ふのだが……。