東辻賢治郎のレビュー一覧

  • 暗闇のなかの希望 ──語られない歴史、手つかずの可能性

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    絶望と冷笑主義が蔓延する現代に於いて、希望を持つことは可能なのか。「希望は光を浴びた舞台の真ん中ではなく、周縁の暗がりにある」。2003年、イラク戦争が始まった時期に書かれた本書。安易な楽観には気を付ける必要があるが、絶望する必要もない。しなやかに、前を向く勇気を持つこと。「あなたの敵は、もう希望はないとあなたが信じることを願っている」

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    2026年06月26日
  • ウォークス 歩くことの精神史

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    500ページを「歩き」 、著者の歩いた風景を「読む」。この本を完読できる人は、歩くことに向いてる人かも。


    歩くことについての随想であり、著者の脳内に展開された濃密な哲学ランドスケープです。約500ページの分厚いハードカバー本。広大な著者の脳内世界にある、"歩行"という大陸のマップとも言えます。"歩く"というキーワードを太い幹として据え、哲学、文学、人類学、社会学、ナチュラリズムなどあらゆる方向へ枝葉をのばす詩的な思索でできています。

    「歩くこと」を主題にした本を数冊読みましたが、それぞれに共通してることは、より高みを目指す登山とはことなり、歩くことはただそれだけで完結しているという視点です。昨今話題になっている本、『フラット登山』なんてモロにその考えを純化したものだと思います(まだ未読ですが、今後読む予定)。高みを目指さない、という点では資本主義に抵抗するような生き方やダウンシフターにも通じます。

    人類史と「歩行」を絡めて書かれた箇所がありますが、「歩くこと」が効率化への反抗となり得た、産業革命以後をメインに書かれています。消費し続けなければ、勝利し続けなければならない運命を背負わされる資本主義に対する、わたしができる抵抗のひとつは、ただ歩くことかもなあ、なんてぼんやり思いました。歩くことはカウンターカルチャー的な態度なんだ!と勇気づけられたりも。

    人類における歩行の起源にふれた章もあり、二足歩行を手に入れることによって、前足=腕の開放を手に入れ、それによってその後の人類は言葉に尽くせないほどの利益を得ることができた、と著者は述べます。PCやスマホをいじって今この文章を見ているあなたなら、あらためて腕・手のありがたさを深く実感できると思いますが、どうでしょうか。

    宗教的観点では、巡礼という行為への著者の深い洞察を味わうことができます。他にも社会政治学を通して見ることで、デモ行進や社会活動にも触れられています。

    ハイキングの起源が上流階級の庭園歩きだったという話は驚きでした。装飾的に作られた庭園は徐々に自然らしい自然に近づき、しまいには本物の自然を味わうために庭の外を歩くようになり、庶民の趣味になったと。これは勉強になりました。

    歩行は「スポーツ」や「アクティビティ」とは違います。競争やスキルアップ、スポーツマンシップ的精神と無縁な、あくまで日常的なアクションでありながらも、単なる移動手段以上の趣きを含むことができます。歩くことは人生の旅路ともイメージを重ねやすいと著者も述べています。それで言うならば、みな自分の人生の巡礼者なのです。

    産業化が進み、AI以上の新たなテクノロジーが開発され、さらに身体能力まで外注できるようになって、それでも新たな需要をこれでもかと作り続けるような社会になっても、歩くことは人間から無くならないで欲しいと願います。歩きたいという欲望はどんな人にも、たとえ出不精のひとでも持ち得るのではないかと私は考えます。

    この本を完読できた人こそ、歩くことに向いているかもしれません。歩くことで、変わりゆく風景を読むことができる人。随想とは自分の脳内をそぞろ歩くこととも言えます。歩くことは読むこと、読むことは歩くこと。読書家はみな精神的な遊歩人で、ハイカーは肉体的な読書家なのかも。

    「著者に『ポケモンGO』を語らせたら、どんな文章が生まれるかな」なんて、いらんことを考えたりしつつ読みました。時には自分の知識不足のために、文字を追うことだけに終始する難所もありましたが、なんとか約500ページのロングトレイルを終えることができ満足です。ではまた次の書物の大陸を歩きに向かいます。

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    2026年03月28日
  • 地図とその分身たち

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    タイトルと帯に心惹かれて購入したものの、ちゃんと表紙を見ていなかったためエッセイとは気付かなかった。そんな驚きから読み始めたが、内容はある程度面白く楽しむことができた。ヨーロッパの地理に詳しければより楽しめそうだとは思うのだが、そっち方面に詳しくなることはきっとないだろう。飛行機も船も車も嫌いな引きこもり人間にはちょっとハードルが高い。
    本筋とは全然関係ないのだが、蝟集という単語が作中に出てきて、意味を調べた。意味そのものは集という字からわかる通り、一か所に集まっている様なのだが、蝟という字がハリネズミを表しているらしくハリネズミの針のように集まっているという意味だそうだ。知らない言葉と出会うのも読書の楽しみだと思っているので、とてもいい出会いであった。

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    2024年08月12日
  • フェミニスト・シティ

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    街は女性のものではない。という考え方にびっくり。なるほどたしかに、路面店でお買い物するより、商業施設にいると安心するんだよなあ。
    また、女性、たとえば白人女性の権利が守られるほどに、有色人種の方の権利が迫害されるなんて面も指摘していたり。
    解決策は示さないけど、とにかくそういう見方があるんだなと学べる本。

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    2024年08月06日
  • フェミニスト・シティ

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    確かにね、と思うことが文章となり書いてあった。たしかに、安全なショッピングモール、女性が好きなのはそうか落ち着くからか。
    その他、気づかなかったことも発見があった。
    最後まで読みきれなかった...

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    2023年09月26日
  • フェミニスト・シティ

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    難書だが、最初の3章あたりが1番面白かったな。研究者で子持ちの彼女が都市で感じた違和感をうまくエピソードとともに表現していて、気持ちがわかるわかる。確かに街はmale-dominant でつくられているわぁ、と納得した。研究者らしく、研究もいくつも紹介されていて、とても面白い一冊だった。最後の方は難しかったなぁ。

    p.103 ケイリーン・シェーファー『家に着いたらメッセージしてーー現代の女友達の進化と成功』

    p.129 孤独を楽しめる条件は、パーソナルスペースが尊重されることだが、女性がこの特権を享受できる事は少ない。理想的な遊歩者(フラヌーズ)とは都市の群衆の中に自由に出入りできるような、都市にいながらにして、匿名で独立した存在である。現代風の夕歩車は、イヤホンから爆音の音楽を流しながら、街を彷徨、好きな音楽をBGM に都市の冒険を楽しもうと言ったところだろうか。

    私も街中でヘッドホンをして音楽を聴くのが好きだ。ただし、私を含めて多くの女性にとって、これには単なるエンターテイメント以上の意味がある。そうすることでささやかながらも社会的なバリアを作り、絶え間ない、およそ迷惑な男性の感情を防いでいるのだ。望まない会話や街でのハラスメントヘッドホンがどれだけ防いできたか、あるいはヘッドホンのおかげで、気づかずにやり過ごせたかはもはやわからないが、逆に、もしあの時、小さな白い手イヤホンでもあれば、侮辱やひどい性差別に合わずに済んだのに、と言う経験はいろいろ思いつく。

    p.142 カフェでカバーとか、あるいは公園のベンチに座って小説や雑誌を広げるのをしみじみ嬉しい瞬間だ。それが家庭とか仕事からの1時の脱出であればなおさらに。1人でいられどこかで仕事をしていても、その時間がご褒美のように思えることさえある。環境の違いや、周囲の喧騒も集中力の助けになり、書物や研究の構想がはかどることもある。それが学生のレポートの採点であっても、普段より気分は軽い。もし私が今都会に住んでいたら、多分この本をお気に入りのカフェを巡りながら書いていただろう。

    家庭では、四六時中何かを求められ、人間関係やケアワークでは、男女差のある過剰な責務が降りかかると言う状況にあると、突発的に入る。邪魔は殊更に腹立たしく感じる。公共の場所で、ただ座って本を読んでいると言う行為でさえ、やがてどこかの男が何を読んでいるかと話しかけてくるのはわかりきっている。もちろん男の連れと一緒に勉強や書物をしていた。邪魔が入った経験は無い。つまり問題は、ひとりでいる女は、いつでも男の「相手をする余地がある」とみなされることだ。源流をたどれば、これは女は男の所有物であると言う考え方にまで遡る。側に男がいるとか、結婚指輪をしているとかといった、どこかの男の所有物であると言う明確な徴がない限り、公共の場にいろんなは狩ってもいいものと言うわけだ。(もちろん結婚指輪が意味するのは異性愛関係とは限らない)。女は、厄介な干渉を遠ざける1番手軽な方法は、彼氏や夫の存在を告げることだと本能的に知っている。男が女の「ノー」ではなく、他の男の所有権を尊重する事は医師によくある。

    都市とは「石に刻まれた家父長制」であると看破したジェイン・ダークは、都市において女性は、せいぜい「ゲスト」だとも述べている。そこは男性の領域である「その流儀に従って身を処す」ことをしない限りは、不法侵入者とみなされる、と。ダークはいかにもうんざりといった調子で、ひとりでいる女性への「元気出せよ!」と言うお決まりの呼びかけについて書いている。私も用事のために街に出かけた時に男から「笑って!」と声をかけられた(命令された?)の事はもはや数え切れない。男の無礼な振る舞いを指摘されたときには、もっと「おしとやかに」するように諭されもした。しかも、私が笑顔見せないと、つまり、私が感じがよく、従順で男を喜ばせる女でないと言うことになると、私はビッチかデブスかレズかと言うことにされるのだ。男が女に笑顔を見せるように頼む事は、差別とは限らないと言う者もあるならば、街で男が他の男に向かって「笑って!」と声をかけることが想像できるだろうか?

    p.156 トイレの必要性やそのアクセスの問題には生産も深く関わっている。身体の形が異なれば、トイレの利用形態も異なり、そこには複雑な生物学的・文化的背景も関係する。多くの女性の場合、用足しに要する時間を長くなりがちで、月経に伴う処置も定期的に必要になり、衣類を整えるのも大掛かりである。トイレットペーパーも比較的多く使うし、コートやハンドバッグをかけるところも必要で、ドアの閉まる個室でなければならない。さらに、赤ちゃんや子供、障害者、恒例の家族などに手を貸す役回りになっていることも多い。ロウも指摘している通り、それにもかかわらず、公衆トイレは悲惨なまでにそうした需要について認識の対応もしていない。

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    2022年11月03日