自民党総裁選とその後に続くであろう衆院選で政治は一色となっている。選挙とは競争であり、権力を得るためには闘争して勝たなければならない。このフォーマット自体が実は男性的であり、女性が参画するにはハードルが高い。
「マンスプレイニング」という言葉がある。女性は無知で無能な存在なので説教しなければならないと勘違いしているおっさんのことである。同様に「マンタラプション」という女性の発言をさえぎりまくるおっさんもいる。いずれにしても、高齢政治家を眺めるとそんな姿勢の人たちばかりに見えてくる。
民主主義とは本来は対話を通じて合意形成を図る、社会を営む上で必要なシステムだったはずだ。しかしいつの間にか多数派を形成して議席を確保し、長老や資本を持つ者が意思決定する仕組みに換骨奪胎されている。それは急速な経済成長を実現し、その果実を利益分配するために創り出された開発途上国型のフォーマットだ。
もちろん政治システムのような体制のみならず、日本社会にはジェンダー規範と呼ばれる男らしさ/女らしさを求める空気が存在する。男性は仕事に邁進して家庭のことは女性に任せるといった常識は、実は男性にとっても選択肢を狭める結果となっている。実際に男性稼ぎ主モデルからの脱却を目指した北欧においては、大きな政府による雇用の下支えがあることで家庭内サービスを外部化し、男女のワークライフバランスが改善することで少子化問題も解決している。
理想は1:1、少なくとも7:3で重要ポストを配分することが望ましい。ジェンダー・クウォーターを採用することで意思決定のための対話の質は上がり、メンツや権威といった非論理的な立場を守るための行動は排除されるようになる。何より、経済成長後の成熟社会を目指す日本にとっては、政治システムを含めた社会の空気を変えなければ閉塞感を脱却することはないだろう。