両親と暮らす小学4年生のマファルダは、3年前にスターガルト病と診断され、日に日に大きくなる闇の恐怖と戦っていた。学校の桜の木に登るのが好きだった彼女は、メガネを落として降りられなくなった際助けてくれた用務員のエステッラの助言で、日記帳に「いつかできなくなること」リストを書いていた。大好きなおばあちゃんが亡くなり、その家の桜の木が切られたときに、おばあちゃんの霊もその桜の木の精も学校の桜の木に引っ越したと思うことにした彼女は、ある日、桜の木が見えてからそこに着くまでの歩数を数え、自分の視力を確認し始めた。できることがどんどん減っていってしまう悲しみの中、エステッラの励ましで、自分にとって「不可欠なもの」を探し始めるマファルダに、一つ年上の少年フィリッポが親切にし始める。
失明の恐怖と戦いながら、周囲の温かさに気づき勇気を得ていく少女の葛藤を優しく描く、作者の実体験を基にした物語。
*******ここからはネタバレ*******
イタリア語で書かれた物語らしいのですが、英語のタイトルは「The Distance between Me and the Cherry Tree」。きっとこちらのほうが原題のままなのでしょう。
どんどん見えなくなっていくマファルダの恐怖が痛いほど伝わってきて、読むのをやめたくなりました(でも、先が気になるので読みましたけど)。
エステッラが作ったリストはbucket listだったんですね。乳房の片方を失った自分をアマゾネスの戦士に例えるなんて、こちらも胸が痛みます。
「生きるためには、恐怖に打ちかつ必要があるのよ」なんて、10歳の女の子には酷ではないかと思う言葉が言えるのも、彼女が同様の苦しみと戦っていたからなのだと納得できます。
ただ、「友人」として語られるフィリッポのところだけは、少々疑問が残るところが多いです。
例えば、
発表会のあとで彼と彼女が、一つの椅子に並んで座るとか(親しくなかったのに、そんなことできるの?)、
フィリッポの名前も知らなかったマファルダの両親が彼の母親と仲良くなってその後彼の家にみんなで行き、ピザを食べた際、彼が彼女の口に直接オリーブを放り込むとか、
もらうジャンパーを見てもいないのに、お礼に香水をくれるとか、
スキー合宿の夜にこっそり懐中電灯で合図するとか、
頼んでもいないのにソリの後ろに乗せてくれるとか、
いやもうこれは、日本のお母さんは見過ごせないですよ(笑)。
その他にも、先生が合宿時に彼女を男子宿舎に案内するとか、イタリアの子どもたちが赤ちゃんができる方法を知らないとか(イタリアでは教えないの?)、ちょっとカルチャーショックも味わいました。
あと、129ページでフィリッポがマファルダに、「でも、おまえだって、クリスマスって最低って言っただろ」と言っていますが、どこで言っていたのか、読み直したけれど見つけられませんでした。
また読むときに探してみます。
鏡がどこにあるかわからなくなったマファルダが、手を伸ばしたら割ってしまった場面は、ほとんど完全に闇に入ってしまった彼女のショッキングな場面ですが、当たったくらいで割れる?と思ってしまいました。
ちょこちょこ気になる場面はあったものの、実話に基づく心理描写は圧巻で、ああ、私も、与えられているものに感謝して、その中でできることを精一杯しなくては、と思わせられました。
主人公は小学4年生。中学年から読んでもいいですけど、ちょっとそれは辛すぎるかもしれないですね。
しっかりした高学年以上の読書をおすすめします。