ナポレオンの家族史といった内容、政治・軍事に関する深堀はなかった
ボナパルトとは、フランス語読み、ブオナパルテで、コルシカ系、もともとは、イタリアジェノバのリグーリア地方に由来する
母レティティアも、コルシカ移住のジェノバ人の家系である。また、ナポレオンには、妹、ポリーヌがいた。
ナポレオンは、
...続きを読むもともと、コルシカの出身で、フランスに疎外感をもっていた。自分がフランス人であるというよりも、コルシカ人であるという自覚のほうがずっと強かったのである。
1785年、15歳でパリ士官学校を卒業したときは、58人中42番の成績であった、だが、通常4年かかる課程をわずか1年で卒業できたことは極めて優秀であったとする説もある。
ナポレオンの軍事的成功をおおまかに一瞥すれば、まず何と言っても、1796年3月にイタリア遠征軍総司令官としてオーストリア軍とたたかったことを上げなければならない。
最初の妻、ジョセフィーフは、ナポレオンとあったときは、未亡人であった
あいつぐ戦勝の結果、ナポレオンはロシアを除く、ほとんどのヨーロッパを征服するに至った
1810年2人目の妻、マリ=ルイーズと結婚した。
正妻以外の女性、マリア・ヴァレフスカ、ポーランド妻といわれていた。マリアの息子アレクサンドルは、ナポレオン3世を支え、政界の有力者として君臨することとなる。
2度目の妻、マリ=ルイーズとの間の子どもが、ローマ王、ナポレオン2世である。
ナポレオンの軍隊を構成していた兵士の多くは、農村から徴兵された青年たちであり、ナポレオンが没落したのち農村への帰還していった。
ナポレオン伝説は、そうした、帰還した老兵が崇拝していたナポレオンとの従軍体験を語ったものである。それがナポレオン待望論につながっていく。
復古王政ののち、実施されて選挙で行われた大統領選で、ルイ・ナポレオンは大統領に選出されて、そして皇帝に推戴された。これが第二帝政である。ルイ・ナポレオンは、ナオポレン3世となった。
ナポレオン3世は、妻に、スペイン貴族の娘であるユジェニ・ド・モンティジョを選んだ。
ナポレオン3世は、パリを改造して開放的で衛生的な都市へと整備した。また、パリ万博を2度も開催した。ただ、こうした功績に比して、パリには、ナポレオン3世の遺構はそれほど多くはない。
3世のユジェイとの子、ルイは、4世として、第3帝政の復活を期待されたが、イギリスへ亡命し、イギリス軍人として亡くなった。
<参考:ブルボン王朝以後のフランス政治史>
ブルボン王朝 ルイ14・15・16世
フランス革命
第一共和政
第一帝政 ■ナポレオン一世
復古王政 ルイ18世、シャルル10世
七月王政 オルレオン家 ルイ・フィリップ王
第二共和政
第二帝政 ■ナポレオン三世
第三共和政
第1次世界大戦
第2次世界大戦 ドイツによるフランス制圧、ビシー政権と自由フランス
第四共和政
第五共和制 ドゴールの憲法改正後、現行体制
目次
まえがき
序章 ナポレオンの家系
第1章 皇朝の創設者 ナポレオン一世
第2章 ドイツ貴族になったナポレオン ナポレオン二世
第3章 囚人から共和国大統領、皇帝へ ナポレオン三世
第4章 帝国復興の期待の星 ナポレオン四世
終章 その後のポナパルト一族
あとがき
主要参考文献
関連年表
ISBN:9784121025296
出版社:中央公論新社
判型:新書
ページ数:288ページ
定価:860円(本体)
発売日:2019年02月25日