新井勝紘のレビュー一覧
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最近の改憲議論でよく耳にするのが「日本国憲法(以下「現憲法」)はGHQから押しつけられたもの。だから今こそ日本人の手によって新しい憲法とすべき」という論法。
しかし何だかしっくりしない。本当に押しつけと言い切れるのか?仮に押しつけだと認めてしまったら、現憲法施行後の70数年間の日本の歩みの正当性が揺らぐという矛盾を承知で言っているのだろうか?
と思っていたところに、ビッグイシューNo.358(2019.5.1号)の「“創憲の時代”に民間人が起草した『五日市憲法』とは?」という、この本の著者でもある新井勝紘(あらい・かつひろ)さんへのインタビュー記事が私の目に留まった。
1889年の大日本帝 -
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<目次>
はじめに
第1章 「開かずの蔵」からの発見
第2章 五日市憲法とは何か
第3章 憲法の時代
第4章 千葉卓三郎 探索の旅へ
第5章 自由権下不羈郡浩然ノ気村貴重番智~千葉卓三郎の生涯
終章 五日市憲法のその後
<内容>
東京経済大で色川大吉ゼミの受講生で、五日市町の深澤家の蔵の中から「五日市憲法」を発掘し、その後町田市の自由民権資料館の立ち上げにかかわり、大学教授になった著者の歩みと、五日市憲法の編纂の中心にいた「千葉卓三郎」を見出し、その人生を解き明かした過程を記した本。著者の人生を決めた資料発掘から研究の歩みがわかり、”千葉卓三郎”という自由民権期に一瞬だけ輝いた -
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今からおよそ50年前、旧家の土蔵から未発見の自由民権期の憲法草案が見つかった。その時、最初に手に取った色川大吉ゼミ学生の新井勝紘氏は、その後50年ずっとこの憲法の研究に携わることになる。
明治の歴史を紐解けば、自由民権運動の創憲の時代は、近代日本でも数少ない下からの政治体制創出の時代だったと私は思っている。一年ごとどころか、数日ごとに民衆と政府との力関係は逆転し、最後にはまだ力の差が大きかった明治政府が欽定憲法を作って大日本帝国を築いてしまったのではあるが、ほんの数%は逆転の機会があったのではないかと私は思う。その時に、のちの日本国憲法よりもある意味民主的に徹底していた憲法草案を作ったのが -
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1968年、東京経済大学色川大吉ゼミの調査により、東京都五日市町(現在はあきる野市)の旧家・深沢家の土蔵で発見された自由民権期の私擬憲法草案(いわゆる「五日市憲法」)。その第一発見者である著者による「五日市憲法」の全容と起草者の千葉卓三郎の生涯を改めて総括した書である。深沢家文書発掘の経緯、「五日市憲法」が未知の私擬憲法草案であることが確定される経過、当時学界でも全く知られていなかった千葉卓三郎の履歴調査の回想は、さながらミステリのようで非常にドラマティックで興味は尽きない。
「五日市憲法」の内容については、色川はじめ語り尽くされた感があり、本書で特に新知見はなかったが、さまざまな歴史的