最近の改憲議論でよく耳にするのが「日本国憲法(以下「現憲法」)はGHQから押しつけられたもの。だから今こそ日本人の手によって新しい憲法とすべき」という論法。
しかし何だかしっくりしない。本当に押しつけと言い切れるのか?仮に押しつけだと認めてしまったら、現憲法施行後の70数年間の日本の歩みの正当性が揺
...続きを読むらぐという矛盾を承知で言っているのだろうか?
と思っていたところに、ビッグイシューNo.358(2019.5.1号)の「“創憲の時代”に民間人が起草した『五日市憲法』とは?」という、この本の著者でもある新井勝紘(あらい・かつひろ)さんへのインタビュー記事が私の目に留まった。
1889年の大日本帝国憲法の公布について、新井さんは、明治政府は公議公論で作られた数多くの民間憲法の存在を知りながら、天皇大権的なプロイセン憲法を参考に密室で憲法草案を作り上げ、国民からの“創憲”の意見を一切無視する形で制定されたものとし、『一方的に天皇の名(欽定憲法)で国民に押しつけたものですから、これこそ「押しつけ憲法」と言えるかもしれません』と話している。
わが意を得た思いだった。
でもここで「では押しつけでない憲法とは何か?日本の憲法は常に押しつけられていたのか?」という壁に当たり、手掛かりを得たくて本書に手を伸ばした。
すると、日本でも明治の草創期に千葉卓三郎なる人物がいて、五日市の出身でないが流れ流れて当地に行き着き、日本各地で盛んだった自由民権運動を背景に、集会条例などの政府の規制をすり抜けて民間での議論を深め、ついには自分たちの手で日本国の指針とすべく憲法草案を“創憲”するに至ったというドラマティックな展開に興味をひかれた。
そして、その憲法草案の内容についても「国民の権利」などに重点を置いたオリジナリティーの高いもので、本書では草案の内容だけでなく、創憲に至る千葉の生涯や当時の時代の熱量についても精力的にアプローチしている。
この本で書かれた千葉の生涯では、憲法について専門的体系的に学んだという軌跡は認められない。そんな千葉がなぜ「人民の人民による人民のための政治」の理念と言える位置にまでたどり着けたのか?(もちろん形としては不十分であるが)。
それと私が注目したいのは、五日市憲法では天皇を「国帝」と書いていること。私はこれを「天帝」に対する概念として、天皇の地位を天与ではなく国(=国民)が与えたものと明記したのだと考える。これこそはまさに押しつけではなく自分たちに立脚し自分たちの血肉となるべき憲法ではないか!なるほど五日市憲法を精読すれば、何が押しつけで、何がそうでないかが、靄が晴れるかのように明確になっていった。
なにしろ現存する史料が少ないなかで、新井さん1人の研究にも限界があってこの本でも推測に委ねられた部分が幾らか含まれるのは事実。しかし学術書として読まなくても、新井さんの頭だけでなく足を駆使したフィールドワークの結果、現代から見ても輝きを失わない五日市憲法の“光源”に辿り着くまでのドラマとして読むのもありえると思っている。
そして今を生きる私たちは、憲法が求めるべき「理念」について、少なくとも千葉卓三郎と同等以上の熱量でもって、改めて議論すべきというのはわかった。それでなければ、憲法改正などと軽々しく口にすべきではない。
ちなみにビッグイシューの記事で新井さんは、現憲法の制定前に民間の憲法草案がGHQに提出され参考にされたと記録にあると話している。となると現憲法は押しつけどころか、大日本帝国憲法ではなかった民間での憲法制定にかける熱量が受け継がれていると言え、日本で民意が反映された唯一の憲法でないのかと言い切っておく。