フィリップファーンバックのレビュー一覧

  • 知ってるつもり 無知の科学

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    最初のあたりは、いつもの海外本のくどくど長文でどうかなと思いながら読んでいくと中盤あたりから、本書の趣旨がだんだんはっきりしてきて、読ませる内容でした。科学、政治について考えるあたりとても考えさせられる、でした。

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    2026年02月26日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    ずっと抱えていた違和感に名前がついたという感覚だった。
    人は一人では多くを理解できない。知識は個人の頭の中ではなく、コミュニティに分散している。「分かっているつもり」が蔓延すると、知識は止まり、人は黙る。

    活力は気合や根性から生まれるものではない。知が流れ、質問でき、失敗を共有できる場があって、はじめて自然に湧いてくるものだ。そんな気づきも得た。

    無知や錯覚は悪ではない。問題は、それを一人で抱え込むことだと思う。

    賢い個人を目指すより、知が流れる場を支えることの大切さを教えてくれた一冊だった。

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    2026年01月17日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    トイレについて知っているかと聞かれたら、僕は“知ってる”と答える。
    では、トイレが流れる仕組みは?と聞かれたら、答えは一変“知らない”。
    他にも、トイレの作られ方は?歴史は?、、、全く知らない
    せいぜいトイレなんて見たことがあって、使ったことがあるくらいなもの。
    毎日使ってるから勝手に知り尽くした気になってるが、ほとんど何も知らない。

    トイレの部分を身の回りの別のものに置き換えて考えると、ほとんどのことについて無知の部分が圧倒的に多いと気付かされる。
    それなのに僕らは物事を“知ってる”と過大評価して思い込んでしまう、その理由を本書は解説してくれる。
    中でも以下の説明は個人的に面白かった。

    ”私たちの知識ベースの大部分は、外界とコミュニティに存在している。理解とは、
    知識はどこかにあるという認識でしかないことが多い。高度な理解とは、たいてい知
    識が具体的にどこにあるかを知っているというのと同義である。実際に自らの記憶に
    知識を蓄えているのは、真に博識な人のみである。”

    確かに、AIが浸透して何でも質問すれば答えてもらえるようになった今、前よりも賢くなったと感じている自分がいた。
    実際は自分に蓄えられている知識は変わってないのに。
    知らないことが多いことを前提に、少しでも知識を蓄えようという姿勢で生きたいと思わせてもらえる本であった。
    勿論この感想も自分が汲み取れた限られた理解の範囲で記載したものだ。

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    2025年11月06日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    あなたは自転車を知っていますか?では、自転車がどういう仕組みで動いているのかを知っていますか?おそらく1つ目はYES、2つ目はNOと答える人が多いだろう。この本はこのように「人間は思っているより無知である」ことに目を向けさせてくれる。知識は保有していると思いがちだが、実は「知識のコミュニティ」から得ていることもある。他人との話から得た知識などだ。それを自分の知識だと思い込み、錯覚する。人間の賢さの定義が変化する、今年読んで一番良かった本だった。

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    2025年10月28日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    これはとても面白かった!
    自分が知らないということを自覚しているつもりはあったけど、全然自覚できてなかった。
    人間は1人の脳ではとても記憶出来ないような膨大な情報を処理して発展してきた。人間はコミュニティの生き物として生きてきて、知ってるつもりになっちゃうくらいに無自覚に無知なことがむしろ強みである。
    科学の本だけどエモさを感じた。

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    2025年10月18日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    ネタバレ

    人間は外部に知識をアウトソーシングして生活している(自分がいる空間を把握しているつもりでも、ライトの形ひとつ見直さないと思い出せない)。知識不足を漫然と自信でカバーしている。専門分野が違うもの同士で協力して初めて人間の能力を超えた推論能力を獲得する。人間は直感と熟慮の二つを行ったり来たりしているが、日常生活の大半は直感で処理するために誤謬が生じることが多い。人間は表層的にしかものを知らないが、それでも十分生きていけるのは知識のさまざまな部分の責任をコミュニティ全体に割り振るような認知的分業が存在するからだ。「知らないと言うことを知らない」を知ることが大切で、そのためには自分が知っていると思っている事柄を「人に正しく説明できるか」が鍵になる。大抵は出来ないので、そので我に帰るタイミングがある。人は集団知識によってパフォーマンスを何倍にも出来、世の中の発見というのは大抵の場合同時多発的に起こる。それは複数の知識と推論によって発見できる条件が発動したからに他ならない。

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    2025年10月14日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    ネタバレ

    とても興味深い内容だった。

    人間はみんな無知であること。
    ほとんどの人間が知識の錯覚を起こしてること。
    知能は、知識のコミュニティという所属するコミュニティに依存、依拠するものであること。

    どれも分かっているようで、指摘されることで少し受け入れ難く、読み進めることで納得してしまうものばかりである。

    また、本書の素晴らしいところは、知識の錯覚によって人間が繁栄してきたこともちゃんと認めた上で、危険性についてもまとめている点である。

    "実力も運のうち"を読んでいたときにも個人の能力は、その人の努力のみで生み出されるものではないことにも通ずる考えのように感じる。

    我々人類は、独りでは生きていけず、個人だけで成長していくには人生という時間はあまりにも短い。それを超え、繁栄を今も続けているのはコミュニティという存在であり、他者との協力にある。

    そう思うと、人の理解のために誰かの功績にしてしまうという構図は、貧富の格差を産んでしまうことにも繋がるように思う。

    本来は分配されるべき成果や、報酬であり、本来は関わったすべての人が享受すべきなのではないだろうか。この議論に行き着くと、きっと共産主義になりそうとも思うため、難しい。

    ただ、多くの専門家などがいて、各職業でそれぞれの職務を全うしている人々が、協力することで成り立つ世の中で、頑張っている人たちが正しく貢献度に対して評価され、さらには個人主義、個人能力至上主義のような風潮、意識が変えられていくことを切に願う。

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    2025年10月06日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    知れば知るほど、知らないことが増えていく。

    認知的分業やコミュニティに依拠した判断についての解説が面白かった。人を動かす時には、仕組みから考えていかなくてはいけない。

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    2025年09月22日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    私の頭では理解しにくい章もあったけど、
    概ね言っていることはなるほど…!そういうことか!!と目から鱗が落ちる話ばかりだった。
    時間があれば再読してより理解を深めたい。

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    2025年08月14日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    全国の高校生の課題図書にするのが良いのではないか。
    反知性、反科学がなぜ隆起するのか、その原因の一端が腹落ちする形で説明されている。

    個人の知識の限界と、それを拡張する人間に備わった補完機能、またその危険性を解説している。

    人は日頃使っている道具(例えばファスナーや自転車)すら、その機能や原理を詳細に説明することはできない。
    しかし、殆どの人はそのことを自覚しておらず、自分はそれを知っていると考えている。

    人は個人の知識に限界があるからこそ、周囲の環境や道具、あるいは別の個人を使ってそれを補完している。これは人間固有の特徴であり、人類が発展してきた原動力でもある。だが、そこには危険性もあり、依拠する集団の志向性に大きく影響を受けてしまう。それは今日政治の世界で見られるフェイクが跋扈する現象の原因でもある。

    人の無知は悪いことではなく、知らないからこそ挑戦出来ることもある。大事なのは自分が知らないことを自覚すること。自分は属する知識のコミュニティから大きく影響されていることを理解すること。

    時代は分かりやすさや感情を揺さぶるような言説が支持を得て、真実は二の次になっているが、そんな中で知性をもった生き抜き方のヒントをくれる一冊

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    2025年08月03日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    もっとライトなものかと思って読み始めたら、間違いなく骨太本。説明深度の錯覚も興味深かったが、個人的には知識はコミュニティに蓄えられる、という主張がしっくりときて納得。個人の能力より、コミュニティの知をいかに上手く使うか、の方が大事という主張は個人の能力至上主義的な考えをしている自分には目から鱗だった。


    フレーズ

    人間は自分が思っているより無知である、


    文明が誕生した当初から、人間は集団、一族、あるいは社会のなかではっきりとした専門能力を育ててきた。農業、医療、製造、航行、音楽、語り部、料理、狩り、戦闘をはじめ、さまざまな分野にコミュニティの専門家がいた。一人が二つ以上の専門能力を持つケースもあったかもしれないが、すべての分野、あるいは一つの分野のすべての側面に精通する者はいなかったはずだ。あらゆる料理を作れるシェフはいない。傑出した音楽家はいるものの、あらゆる楽器、あらゆるジャンルの曲を弾けるわけではない。なんでもできる人というのは存在しない。

    知識がすべて自分の頭のなかにあるのではなく、コミュニティのなかで共有されることを理解しはじめると、英雄に対する認識が変わる。個人に注目するのではなく、もっと大きな集団に目が向くようになる。

    それに基づき、平均的な大人の知識ベースを算出したところ、得られた答えが〇・五ギガバイトだった。

    運輸当局は人間がオプティカルフローを知覚することを利用して、減速させたい区間では、実際よりも速く走行しているような感覚を抱くように車線を引く。これは高速道路の出口ランプあたりでは特に有効だ。

    まず働きバチがいる。巣を守り、蜜や花粉を集め、冬を越すための食料であるハチミツをつくり、それを貯蔵しておく小部屋をつくり、幼虫に餌をやるメスだ。

     続いてランドアーは、私たちが人生七〇年のあいだ、一定の速度で学習を続けると仮定し、持っている情報の量、すなわち知識ベースの大きさを計算した。さまざまな方法を使ったが、結果はだいたい同じだった。一ギガバイトである。

    なぜ、これほど無知な私たちは、世界の複雑さに圧倒されてしまわないのか。知るべきことのほんの一端しか理解していないのに、まっとうな生活を送り、わかったような口をきき、自らを信じることができるのか。  それは私たちが「噓」を生きているからだ。物事の仕組みに対する自らの知識を過大評価し、本当は知らないくせに物事の仕組みを理解していると思い込んで生活することで、世界の複雑さを無視しているのである。

    脳は最も有益な情報を選び出し、それ以外を捨てるという作業に忙しい。すべてを記憶することは、本質的な原則に意識を集中し、新たな状況に過去に経験したものとどのような共通点があるかを認識し、有効な行動を見きわめる妨げとなる。

    説明深度の錯覚」

    重さの異なる物体を二つ、紐で結んで落下させたらどうなるかを予想している。そして自らの思考のよりどころであった物理法則の理解に基づき、二つの物体が重量にかかわらず同じ速度で落下することを正確に推測していた。

    ただ物体が曲面上を回転するときには、この法則は当てはまらない。

    直観は単純化された大雑把な、そして必要十分な分析結果を生む。それは何かをそれなりにわかっているという錯覚を抱く原因となる。しかしよく考えると、物事が実際にはどれだけ複雑であるかがわかり、それによって自分の知識がどれほど限られているかがはっきりする。

    それからコロニーを離れ、他のコロニーの女王バチと生殖する雄バチがいる。

    個々のハチに自らを守る力はない。働きバチは交尾ができない。雄バチは食料を集められない。女王バチには幼虫を世話することはできない。それぞれの個体には決まった仕事があり、そこにおいて卓越した能力を発揮する。

    専門知識の集合体として、うまく機能すれば各部分の総和を超える集団的知能を生み出す。

    コミュニティのなかに知識があることを知っているだけで、私たちは自分が知っているような気になる。

    たしかに大げさな言い分ではあるが、今日の世界で、私たちは驚くほど人づての情報だけを頼りに生きている。自分の身に起きることのうち、直接的な知覚経験を通じて理解することはほんのわずかだ。

    私たちの知識ベースの大部分は、外界とコミュニティに存在している。理解とは、知識はどこかにあるという認識でしかないことが多い。高度な理解とは、たいてい知識が具体的にどこにあるかを知っているというのと同義である。実際に自らの記憶に知識を蓄えているのは、真に博識な人のみである。

    すでに世界を変えつつある超絶知能とは、知識のコミュニティである。テクノロジーの大きな進歩を実現する道は、超人的能力を持った機械を創ることではない。広がりつづける知識のコミュニティを、情報が自由に行き交うようにし、協業を促すことによって実現する。

    概して、問題に対する強い意見は、深い理解から生じるわけではない。むしろ理解の欠如から生じていることが多い。

    偉大な哲学者で政治活動家でもあったバートランド・ラッセルはそれを「情熱的に支持される意見には、きまってまともな根拠は存在しないものである」と表現している。

    意見が神聖な価値観で決まれば、結果がどうであろうと関係なくなるというのは、他者を説得することを生業とする人々が数千年のあいだに身につけてきた知恵だ。

    リーダーのもう一つの任務は、自らの無知を自覚し、他の人々の知識や能力を効果的に活用することだ。優れたリーダーは個別の問題について深い知識を有している人々を周囲に配置し、知識のコミュニティを形成する。それ以上に重要なのは、優れたリーダーはこうした専門家の意見に耳を傾けることだ。意思決定をする前に、時間をかけて情報を集め、他の人々と相談するリーダーは、優柔不断で頼りなく、ビジョンがないと思われることもある。世界は複雑で容易に理解できないものであることを認識しているリーダーを、きちんと見きわめようとするのが、成熟した有権者である。

    流動性知性とは、誰かが「賢い」というときに私たちが念頭に置いているものだ。その人物はどんな話題についても迅速に結論を導き出し、新しいこともすぐに理解する能力がある。一方、結晶性知性は、記憶の中に蓄積され、すぐに使える知識がどれだけあるかを指す。そこには語彙の豊富さや、一般知識の豊かさが含まれる。

    知識はコミュニティのなかにあるという気づきは、知能に対するまったく別のとらえ方をもたらす。知能を個人的属性と見るのではなく、個人がどれだけコミュニティに貢献するかだと考えるのだ。

    その人物が居合わせたとき、集団が問題解決に成功した頻度、あるいは失敗した頻度はどの程度か。

    認知的分業のなかで自分にできる貢献をし、知識のコミュニティに参画することが私たちの役割ならば、教育の目的は子供たちに一人でモノを考えるための知識と能力を付与することであるという誤った認識は排除すべきだ

    私たちが個人として知っていることは少ない。それはしかたのないことだ。世の中には知るべきことがあまりに多すぎる。多少の事実や理論を学んだり、能力を身につけることはもちろんできる。だがそれに加えて、他の人々の知識や能力を活用する方法も身につけなければならない。実は、それが成功のカギなのだ。なぜなら私たちが使える知識や能力の大部分は、他の人々のなかにあるからだ。

    知識のコミュニティにおいて、個人はジグソーパズルの一片のようなものだ。自分がどこにはまるかを理解するには、自分が何を知っているかだけでなく、自分は知らなくて他の人々が知っていることは何かを理解する必要がある。知識のコミュニティにおける自らの位置を知るには、自分の外にある知識について、また自分の知っていることと関連のある知らないことに自覚的になる必要がある。

    「ダニング・クルーガー効果( 3)」、すなわちパフォーマンスが低い人ほど、自らのスキルを過大評価するという認知バイアス


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    2024年07月28日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    いわゆる「無知の知」に関連する最新の知見に触れることができる。身近に情報が溢れ、知らずのうちに「知っている」感覚に陥ってしまうため、自身の理解度に対して常に謙虚でいる姿勢が必要だと感じた。

    また、誤った情報を強固に信じている人々に対して、考えを軟化してもらうアプローチについても述べられており、非常に示唆に富む内容だった。

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    2024年02月04日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    人は自身を過大評価する。なのにこのような大きな文明を維持できている。なぜか?人間がどのように思考し、知っていると「錯覚」し、それで時に問題が起きたり、あるいはうまく物事が進むのか?が軽妙な語り口で、読者にも気づかせるように書かれている。非常に注意深くかかれ、「知っていると錯覚する」ことについても利点と欠点とが示されている徹底ぶり。
    読みやすいが、一度時間を置いてまた読みたくなる本。まずは一読するのは良いと思う。

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    2023年10月26日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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     スティーブン・スローマン他が取り組んだ、壮大な問い、私たちはなぜ自分の知識を過大評価するのか。知ってるつもりになって、平気で生活しているのか。トイレの水の流れる仕組み、自転車が動く仕組み、など日常的に使っているのに、簡単に説明できないことがたくさんある。
     我々は、分かった気になっているだけなんだと気付かされる。認知科学の観点では、極端な意見を持っているひとは、実は中身を理解していなかったりするんだと。これは、非常に気づきの多い本だと思う。てっきり知ったかのように振る舞っているけど、それは強がりであり、虚勢であり、実は完全に理解していない。
    我々は、わかっていないということさえわかっていない時がある。これが、備えられず、一気にやられる可能性もある。戦争であれば、それは脅威だ。なぜ我々がこの世界を、知ってると勘違いして生きていけるのかというと、その答えは筆者からすると、嘘の世界を生きているからということになる。
     因果関係の推論、という点に着目すると、我々がいかに愚かな判断をしているかがわかる。水道口の蛇口を撚れば、それだけ多くの水が出てくる。だから、空調の温度設定を急ぐ時には徹底的に低く、または高くセットすれば早くその期待値に到達すると勘違いする。身近な体験が、思い込み、知ってるつもりを生んでしまう。あると思い込んでいた知識は、実は別のところに置いてあるということだ。それが、インターネットのソーシャルの中にあるとすれば、知識は集合知のようなものになっているかもしれない。一方で、断絶すれば真の知識、つまり曖昧かつ限定的な知識のみとなり、判断軸として十分ではないかもしれないという説だ。GPSを切られた自動車、クルーズが、運転を誤った例などが、自動化のパラドックスと言える。自分自身の力で判断、行動できる力が必要だ。
     もう一つ、大きな固定反応は、とにかく道徳的反応だろう。中絶はいけないとか、いいとか、戦争は反対、とか理由も個別事象も一切なく、ただただ理由なく決めてしまう。
     そして、集団的な知識、チームワークによるアウトプットを最大化することが近年わかってきているという。その上で、正しい、賢い判断をすべきととく。オランダのチューリップを買って、暴落した人もいる。集団知を集めて、極めて賢い選択肢を進む。これには、正しいリサーチが必須だ。ことチームであれば、それぞれの得意分野を活かしてそれぞれ個人の無知、そして誤った感覚と判断をなるべく是正する。
    無知であることを理解、集団知を活用する、そのために、しっかり自身の感性を高める。

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    2023年10月01日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    主題はすでに題名に書かれている。
    「なぜに」「いかに」を読み進める本。
    読むだけでも楽しいけど、自身の謙虚さを育てる助けにもなれば、他人様を受け入れる助けにもなるやも。

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    2023年07月24日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    ネタバレ

    知ってるつもり――無知の科学

    人はいかに知らないことを知らないかという本。
    得られた知見(しったかぶり、笑)は以下の通り。
    * 人は知っているつもりでも、詳細な説明を求められるとほとんど説明できない(知らない)
    * 因果的な説明を求めると、質問の内容によっては説明できなかった後に知っているかと問われると知らなかったことを認める
    * しかしながら、その質問が文化的、常識的なものだと、説明できなかった後でも知らないことを認めない人が多くなる
    * これは、人が専門家やインターネットなどのポインタを知っている=知っていると判断していることによる
    * さらに最悪なのは知らないことを自覚せずに、それにかかわる重要な判断を行っている
    * ということで、知らないということを知ることによって慎重に判断するようにする以外、無知の罠からは逃れられない

    本の中に、熟慮タイプか感覚判断タイプかを見分ける質問があるのですが、竹蔵は熟慮タイプではありませんでした。
    竹蔵の知ったかぶりでご迷惑をおかけしている皆さん、すいません。
    もっと良く考えるようにします。

    竹蔵

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    2026年09月02日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    本書で書かれていることは自明のことかもしれない。しかし、人は自分が思っている以上に無知であると気づかせてくれる。
    また人の記憶が脳だけでなく世界にあることと知識のコミュニティという概念は自分にとって新鮮だった。新しい視点から世界を見ることを可能にしてくれた。

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    2025年09月14日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    ネタバレ

    この本は
    ①、我々の知識の殆どは他人(環境)任せ
    ②、我々はその事を理解出来ていない
    ③、しかし①である方が効率的
    ④、しかし②を理解していないと問題が多発する
    と言う事を、例を挙げて解説する内容が終始延々と記述されており、恐らく誰しも何となく思っていた事が殆どに感じます。

    それでも良い本だと思うのは、あとがきに書いてあるとおり、『改めて考えてみるまで、こうした考えを明らかだとは思わないから』。

    内容は具体的な事柄に対しての対策と言うよりも人生の各事柄(生活、勉学、人間関係)のどの事にも言える汎用的なもので、且つふわふわと思っていた事が明確化された事で各事柄に対するより良い選択や方向性の決定に寄与してくれる内容であり、人生を豊かにしてくれるものだと感じます。

    コミュニティにおける効率と言う強みを重視し過ぎており、少々スタンドアローンの重要性を軽視し過ぎているきらいはありますが、本の内容(コミュニティ)を鵜呑みにしないと言うのも、当の本に記述されている事だと言うことを加味して、人生(文明社会での生活)の基礎力を高めてくれる良本だと思います。

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    2025年09月09日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    「人間は自分が思っているよりも無知である」
    無知の知を自覚することは、人間の性質上なかなか簡単にできることではないらしい。本当は説明できないのに「知っている」と思い込んでしまうのは、一種の錯覚。
    世の中のすべてのことを理解するのは不可能。どれだけ仕事をこなせるようになろうが、幅広い知識を持つようになろうが謙虚さはだけは忘れないでいたい。

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    2025年07月25日
  • 知ってるつもり 無知の科学

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    人間は自分の知識を過大評価する生き物である。
    人は全てのことを理解することは不可能である。
    人間は知識のコミュティーに生きている。自分の無知を自覚し、適切に周囲から正しい知識を求めることができれば、賢い判断が出来るだろう。
    個人でどれだけ賢いかはあまり意味がなく、ひとつの集団内でどれだけ賢いかどのように自分が貢献できるかが大切なのかと思った。


    最近、仕事であまりに理解力がない自分に嫌気がさしていた。また、私は理解したつもりになることが多く、何を持って理解したことになるのかというのが分からなかったので、少しでもこんな自分の自分の助けになればいいなと思い、この本を手に取った。
    結論としては、私の求めていた物事を理解するとはどういうことかというような内容ではなかったものの、研究の事例を出しながら知識をコミュニティで共有する人間の本質的な性質や傾向を知ることができた。人は往々にして自分の知識を過大評価するものだという話に救われた部分もあり、よく周りを見てみると必ずしも正しいことを言っている訳ではないことに気づき、周りも自分と同じで自分を過大評価してることもあるのかもしれないと思った。また、賢い判断をする為には何でも知ってる賢い個人がいるだけでは意味がなく、集団として、賢い判断ができるようにしなければならないというのが、改めて当たり前のことに気づかされたような感覚になった。自分の無知を嘆かず知らないことをちゃんと人に聞こう(信頼出来る情報源から)と思いました

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    2025年05月23日