本書の結論は、「知能は特定の個人ではなく、コミュニティの中に存在する」です。
個人は驚くほど無知であり、人類を発展させたのは、集団(コミュニティ)がもっている知性であることをいっています。
巻末に、本書の三つの主題、「無知」、「知識の錯覚」、「知識のコミュニティ」が書かれています。
「無知」
・個
...続きを読む人が処理できる情報量には重大な制約がある
・人間は、自分がどれほどわかっていないかを自覚していない
・知識を全て足し合わせると人間の思考は驚嘆すべきものとなる、ただ、それは、コミュニティとしての産物であり特定の個人のものではない。
・たった一つのモノについてさえ、そのすべての側面に精通することは不可能だ。
・人間は、自分が思っているより無知である。
・われわれの認知システムは、要点や本質的な意味だけを抽出する。複雑な因果関係に遭遇すると要点のみを抽出して、詳細は忘れる。
・自分がしらないことをしらないということが往々にしてある。
・テクノロジーが進化していけばいくほど、それを完全に理解できる個人はいなくなる。
・トースターを作ろうとしても作れる人間は限られている。
・本当はわかっていないのに、分かったつもりになっている。
・私たちが知っておかねばならないことの多くは恐ろしく複雑で、どれだけ目を凝らしても理解できない。
「知識の錯覚」
・前向き推論(原因から結果)のほうが、後ろ向き推論(結果から原因)より簡単だ。
・私たちは、近寄ると危険なものに対しては嫌悪反応をしめす。
・人間は共同で狩りをしたことで知能が向上した、それは、社会集団の規模や複雑性が高まったことに起因する
・最も優秀な人とは、他者を理解する能力が最も高い人かもしれない
・技術はもはや人間がコントロールできる単なる道具ではなくなった。システムがあまりにも複雑になったので、もはやどのような状態になるか、ユーザが常に把握できなくなった。
・知覚の錯覚がどこにあるかは個人ではわからなくなった。だから、信頼できる人の意見をそっくり受け入れざるを得なくなった。
・人の信念を変えることは難しい。それは価値観やアイデンティテxと絡み合っていて、コミュニティと共有されているから。ただ、頭の中にある因果モデルは限定的で誤っていることが多い。
・専門家でないのに、専門家のように口をきく集団となって、ますます自らの専門知識への自信を深める危険。
・政治的議論は、きわめて皮相的、たいした議論もせず、さっさと意見と固めてしまう
・優れたリーダは、人々に自分は愚かだと感じせずに、無知を自覚する手助け必要がある。
・また、リーダのもう一つの任務は、自らの無知を自覚し、他の人々の知識や能力を効果的に活用すること、専門家の意見に耳を傾けること。
「知識のコミュニティ」
・個人の知性を表すg因子(IQの一種)に対して、集団の知性を評価できるc因子が発見された。しかも、集団知性である、c因子を重視すべきとの結果がでた。
・集団にとって、一番重要なのはアイデアではない。重要なのは、チームの質である。
・学習の目的は、知識の習得でなく、目標達成のための行動ができることだ
・文章を暗記していても、理解できているとはかぎらない
・本来の教育では、持っていない知識に目を向ける方法を身につけることもある。それには、思い上がりを捨てること、「なぜ?」を自問することが必要
・個人としてもっている知識は少ない。そのために、他の人々の知識や能力を活用する方法も身につけなければならない。
・近年学問の領域が拡大するにつれて、知識コミュニティも拡大の一途とたどっている。専門知識は意図的に分散されている。
目次は以下の通りです。
序章 個人の無知と知識のコミュニティ
第1章 「知っている」のウソ
第2章 なぜ思考するのか
第3章 どう思考するのか
第4章 なぜまちがった考えを抱くのか
第5章 体と世界を使って考える
第6章 他者を使って考える
第7章 テクノロジーを使って考える
第8章 科学について考える
第9章 政治ついて考える
第10章 賢さの定義が変わる
第11章 賢い人を育てる
第12章 賢い判断をする
結び 無知と錯覚を評価する