西村章のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「スポーツウォッシング」とは、日本ではまだ耳慣れない言葉ですが、欧州などでは盛んに言われているそうです。
要は、スポーツの感動によってその裏に隠されている本当の問題点が、文字通り洗い流されて見えなくなってしまうことです。
分かりやすい例では2021年の東京オリンピックは、始まる前も終わった後もあれほど問題があったにもかかわらず、全く総括されることなく「成功したね」で終わっています。
メダルの獲得数の観点からは、確かに日本のスポーツ育成の方向性は成功と言えるかもしれません。
しかし費用一つとっても、当初の目論見からは全くズレてしまったのは、皆記憶していると思います。
もちろんアスリート -
Posted by ブクログ
ネタバレスポーツウォッシング、スポーツの感動を利用して政治とか不都合な事実をかき消すどころか、悪い部分をよい印象に書き換えてしまうこと。
利用されるのは悔しいが、スポーツをしない、感動を与えないという選択肢も違うと思う。
印象に残ったのは以下2点。
スポーツとは、国、育ちとか関係なく人に平等に与えられた権利、条件のスタートから競いあうもの、という大前提に立てば、アスリート達が政治に物言うことはできなくても人権について伝えたり差別、ダイバーシティとか訴えることはできること。
また、スポーツが政治利用される背景に、スポーツはやる側、見る側、運営する側とか、役割が固定しがちだが、流動的に変わることで、課題に -
Posted by ブクログ
このタイトルの言葉は初めて見聞きした。P166に紹介されている山本敦久氏の説明がすべてを物語っている。「世の中の不都合をスポーツという〈正しくて善きもの〉で彩って見えなくさせていく、 それがスポーツウォッシングの作用といえるでしょう。今はそのスポーツ自体にいろんな ほころびが生じているんですが、それが見えないように、近代がつくりあげた〈理想的〉 な状態を維持し続けようとしている。だから、『スポーツに政治を持ち込んではいけな い」という主張は、スポーツがスポーツ自体をスポーツウォッシングしようとする動きの典型例なのかもしれません」
「この言葉を新聞テレビなどのマスコミが全く封印している理由を改