西村章のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「スポーツウォッシング」とは、日本ではまだ耳慣れない言葉ですが、欧州などでは盛んに言われているそうです。
要は、スポーツの感動によってその裏に隠されている本当の問題点が、文字通り洗い流されて見えなくなってしまうことです。
分かりやすい例では2021年の東京オリンピックは、始まる前も終わった後もあれほど問題があったにもかかわらず、全く総括されることなく「成功したね」で終わっています。
メダルの獲得数の観点からは、確かに日本のスポーツ育成の方向性は成功と言えるかもしれません。
しかし費用一つとっても、当初の目論見からは全くズレてしまったのは、皆記憶していると思います。
もちろんアスリートである選手達に罪はありません。それを利用しようとしている周囲の大人が悪いのです。
しかし黙っているままでいいのでしょうか。
欧米ではイチプレーヤーであっても発言する人はいます。特に人権問題に関しては大坂なおみさんの黒いマスクなど、誰もが知っていると思います。
一方、日本ではそれさえも許さない空気があることも事実です。
なぜでしょうか。
政治はともかくとして、人権問題については「島国だからね」では済まないのがグルーバル社会の現代です。
空気に流されないように、自ら発信して欲しいと願うようになる一冊です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレスポーツウォッシング、スポーツの感動を利用して政治とか不都合な事実をかき消すどころか、悪い部分をよい印象に書き換えてしまうこと。
利用されるのは悔しいが、スポーツをしない、感動を与えないという選択肢も違うと思う。
印象に残ったのは以下2点。
スポーツとは、国、育ちとか関係なく人に平等に与えられた権利、条件のスタートから競いあうもの、という大前提に立てば、アスリート達が政治に物言うことはできなくても人権について伝えたり差別、ダイバーシティとか訴えることはできること。
また、スポーツが政治利用される背景に、スポーツはやる側、見る側、運営する側とか、役割が固定しがちだが、流動的に変わることで、課題に気づきやすくなるとのこと。
今、自分はマラソンをやってるんで、その中で社会に何か伝えられるかとか、逆に大会を支える側とかになりながらいいスポーツウォッシングにしていきたい! -
Posted by ブクログ
高額療養費制度が2024年、唐突に改悪されようとした。それが2025年、患者団体らの尽力によりストップされた。その詳細な解説書である。
高額療養費制度など一度も利用しない人にとって全く関心外で何も知らないのが普通。私もそうだった。しかしちょうどその時期にがんが判明。この制度に引っ掛かるようになり初めて調べてみた。色々問題はあるものの、まあそれなりに役立つ制度である。
それに対して政府は患者の意見を全く聞かず、ほぼ2倍になるような引き上げ案を提示した。その根拠は医療費の伸びに対して、高額療養費の伸びが2倍であるという主張だった。これ自体は嘘ではないものの、医療費全体に高額療養費の占める割合はたったの6%に過ぎない。危機的状況というのが嘘なのだ。
なぜこんな案を出したか。法改正が不要だからだ。全く困った人たちである。
その他にも細かい本来の不備についても詳説。ただちょっとくどい。 -
Posted by ブクログ
本書でも指摘されていますが、とにかく高額療養費制度そのものが複雑怪奇になっていることと、一般の方はもちろん当事者(患者さん・医療者)にしても理解が関わっている分野に限られてしまい、制度全体を俯瞰することが難しいことが議論を難しくしています。さらに高額療養費における制度のさまざまな「バグ」はそもそも保険医療制度の複雑さに由来するところが多く、部分的な改良では限界がありそうなのが厄介です。
そういった背景を踏まえて、本書では患者団体だけでなく、司法、立法、経済、社会保障の専門家にも取材を行っています。負担と給付の問題ということなのであれば、結局は二木立先生が仰るように保険料の逆進性を解消しつつ全体で負担を増やすのが本筋なのでしょうけど、「手取りを増やす」キャンペーンから始まった保険料下げの政治的圧がある限り難しいのも確かです。
患者団体が特定の政党に限定せず広く訴えたことで一度は歯止めがかかりましたが、今後は各党の思惑が絡んで総論賛成各論反対になるのかもしれません。何とかよい着地点が見つかるとよいのですが… -
Posted by ブクログ
このタイトルの言葉は初めて見聞きした。P166に紹介されている山本敦久氏の説明がすべてを物語っている。「世の中の不都合をスポーツという〈正しくて善きもの〉で彩って見えなくさせていく、 それがスポーツウォッシングの作用といえるでしょう。今はそのスポーツ自体にいろんな ほころびが生じているんですが、それが見えないように、近代がつくりあげた〈理想的〉 な状態を維持し続けようとしている。だから、『スポーツに政治を持ち込んではいけな い」という主張は、スポーツがスポーツ自体をスポーツウォッシングしようとする動きの典型例なのかもしれません」
「この言葉を新聞テレビなどのマスコミが全く封印している理由を改めて理解できた。マスコミにとっては極めて自分の首を絞める行為になるからだ。五輪の政治利用は1936年のミュンヘンから始まり、1980モスクワ、2008ペキンなども、そうであったが、2021東京も将にそうだった!それはW杯も2022カタールは多くの出稼ぎ労働者の虐待死の問題も露糊していたのだが…という指摘。しかし、問題は国際大会の国家による理由だけにとどまらない。
スポーツ選手の政治的発言への日本社会の拒否、それがたとえ人権問題だったとしても。大坂なおみ選手の「私はアスリートである前に、一人の黒人女性」との発言は重い言葉である。NIKEはこれを指示し、世界から高く評価された一方で日本の日清は無視し事なかれ主義が世界の評判を落としたという逸話も紹介されている。
私としてはこの本には全く記載されていない、不人気内閣による国民栄誉賞のスポーツ選手への授与、また高校野球甲子園大会開催期間中の新聞テレビ報道の「涙と汗と感動」「純粋な青春」の言葉のオンパレードには辟易しているので、そのことも触れてほしかった。しかし、かくゆう私自身もW杯では日本代表を熱狂的に応援している。このスポーツウォッシングを批判する資格のない存在であり、それだけその魔力が大きいのである。