情景描写と人物の内面描写が多く、ワクワクするSFというものではなかった。むしろ、極限状態の人間を演出するための題材として「人類の終焉」や「宇宙」を登場させた、人間ドラマといった感じ。不可解な点も多かったが、ネットで他の人の考察を見て多少楽しむことができた。
地球に最後の人間として残されたオーガスティンは、過去に女を妊娠させてしまうが、父親になる気がなく、そそくさと逃げて自分の宇宙研究に没頭する。
宇宙で他の乗組員たちと共同生活を送るサリーは、仕事を家族よりも優先して夫や娘とうまくいかなくなり、宇宙飛行士として選ばれることをきっかけに破局する。
どちらも、それぞれ人類の滅亡・宇宙での孤立という極限状態に置かれて、それぞれの形で人を愛せなかったことを後悔する。
以下はネタバレ注意。
作中、オーガスティンが妊娠させて産ませた子供がサリーであることが示される。
また、オーガスティンは地球でなぜか幼い少女アイリスと出会うが、最後のハーパーのセリフで、このアイリスの正体がサリーの幻想であることが示唆される。最後に贖罪をするために幻想を生み出したという考察はちょっと浅いので、もう少し深読みしたい気持ちはある。他人と一緒に生きてこそ孤独を味わえていたオーガスティンが、本当に一人になるに至って、孤独を保つために生み出した、とでも言えば通っぽいだろうか。
人類や地球になにがおこったのか、最後まで語られることはない。また、オーガスティンが地球で出会ったアイリスも、結局ただの幻想。この2点で、夢オチと同じようなガッカリ感を感じた。
アイリス=サリーであることを示す伏線として、「サリーの由来であるサリヴァンが、ファーストネームではないことが母親のフルネームから分かり、サリーのファーストネームは作中に一向に出てこない」「サリーと無線が通じたオーガスティンが、アイリスの存在について何も言及しない」についてはあとでページをぱらぱらとめくっていて気づいた。このあたりの仕掛けはうまく施されているのかもしれないが、情景描写や心情描写が長く、読み返す気にはならない。
―オーガスティンが知っているのは何十兆キロも離れたところにある遠い星々のことだけだった。彼は全人生をあちこち転々として過ごし、出会った文化や野生生物、あるいは地形について、自分のすぐ目の前にあるものについてなにかをわざわざ学ぼうとしたことは一度もなかった。それらはつかのまの取るに足りない事柄に思えた。オーギーの視線はいつも遠く離れたところを見ていた。