西東三鬼のレビュー一覧
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太平洋戦時下の神戸を舞台にした奇書。
太平洋戦争さ中、神戸トーアロードにある朱色に塗られたホテル。そこには様々な国籍の人々と、娼婦でもあるバーのマダムたちが下宿人として住んでいた。東京を逃れこのホテルに移り住んだ俳人・西東三鬼が描く、ちょっと不思議な人間模様。
西東三鬼は新興俳句運動の中心人物の一人として、戦意高揚の俳句作成や使う季語すら国から推奨される時代に、厭戦や反戦の俳句を次々と掲載したことから、治安維持法に基づく言論弾圧事件(京大俳句事件)に連座、検挙された人。
そんな人物が描く戦中の神戸のホテルの住民は「エジプトのホラ男爵・マジット・エルバ氏」「通俗小説のヒロインの様な娼婦・波子」「比類なき掃除好きの台湾人・基隆」「悲運の美人看護婦・葉子」「お大師様を信仰する広東人・王」など多彩で、どこか”魔都”と呼ばれた頃の上海の様で、ひたすらに妖しく、どこか奇妙な明るさがあり、また自由でコスモポリタンな雰囲気があります。
解説は森見登美彦さんで『千一夜物語』を引き合いに出していますが、確かにそんな感じもあります。
この本の中で三鬼は「頑強に事実だけを羅列していた」と書いています。あの戦争のさなかにこのような異世界があった事も一つの驚きです。古めかしいと言って良い文体だと思いますが、佳い意味で味があります。
「続神戸」は名の如く「神戸」の続編。
戦後まもなく、アメリカ統治下の神戸と俳句の世界に戻ろうとする自身の姿が描かれます。
”妖しさ”が薄れた分、魅力は減ったかな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレまず書いておかなければならないのは、俳人よりも歌人を重視したいと、要らぬ偏見を持っている。寺山のせいだ。
情けないことだが「水枕ガバリと寒い海がある」しか聞いたことがなく、その句を聞いても、作者に注目したことがなかった。
が、神戸の、しかもトアロードといえば足穂のだなっ! と鼻息を激しくし、いわばミーハー的に読んだのだ。反省。
しかし足穂の生年が1900-1977。
西東三鬼の生年が1900-1962。お、すごい、ニアミス有り得るかも……?
ただし足穂の神戸時代はおそらく二十歳まで。
かたや西東三鬼の神戸時代は四十代。
合わないではないか。
しかし、神戸のコスモポリタニズム・ダンディズム・モダニズム・エキゾチシズム・コズモポリタニズム・ボヘミアニズムは、きっと時代を超えるのだ。
通じるものを感じた。
33歳で俳句を始めたという、若干の遅さも、また。
ひとまず「物づくし」という言葉がある。
それを派生させて「人づくし」という言葉を作れば、西東三鬼。
(足穂は「物づくし」の遥か彼方にあって思想をもオブジェ化する「オブジェづくし」だろう)
本書は雑誌「俳句」昭和29-31年、「天狼」昭和34年への寄稿。
つまり終戦10年熟成して、ようやく戦中戦後について発表できたものなのではないか。
西東三鬼ほどのコスモポリタン・ダンディスト・モダニズスト・エキゾチシズト・コズモポリタン・ボヘミアンにおいてすら、戦禍が過酷だったのではないか、と思う。
太宰や安吾を連想するが、その列に並べてもよさそうだ。
ところで本書で光るのは、やはり語学。
相手の言葉がわかるからこそ、壁を作らない……といえば2020年現在の「分断ー批判ー流行り」に迎合しすぎだろうか。
いやいや、外国語で思考を複眼化することは、かつてでも今でも、外国でも日本でも、戦時下でも平和な世でも、「跳び出す力」になるのだ。
この力を持っていたからこそ、作者は、日本人ー外国人ー売春ー惚れた腫れたという重さ、に、ユーモアー哄笑ー含み笑いの軽さ、を追記できた。
いわば太宰にも安吾にもできなかった、性的人間としての別側面を、文学史の壁画に描いてくれた。唯一無二。
それは祝祭のイメージ。読書中、映画「アンダーグラウンド」の音楽を流していた。
神戸つながりで時代を前後して、谷崎潤一郎、久坂葉子、中島らものヘル・ハウス、村上春樹の思春期、を連想してもよさそうだ。
また渡辺温「ああ華族様だよと私は嘘を吐くのであった」をも。
→《チャブ屋(チャブや)は、1860年代から1930年代の日本において、日本在住の外国人や、外国船の船乗りを相手にした「あいまい宿」の俗称。「横浜独自の売春宿」といわれることもあるが、函館や神戸など他の港町にも存在していた。また、食事やダンス、社交など買春以外の目的で遊びに来る客もおり、必ずしも「売春宿」とは言い切れない。》
以上のごときごった煮を、
《この「神戸」の登場人物の大方は、戦争前後に死んでしまうのだが、これは私が特に死んだ人のことばかりを書こうとしたのではない。ひとりでにそうなってしまったのである。何故そうなったかは私には判らない。ただ一つ判っていることは、私がこれらの死者を心中で愛していることだ。》
とまとめてしまえる、抒情と老獪が同時に屹立するところに、西東三鬼の魅力を、読む。 -
Posted by ブクログ
戦時中、“東京の何もかも”から神戸に単身脱走してきた著者・西東三鬼が滞在した奇妙なホテルの奇妙な面々。「芝居の建物のように朱に塗られ」(p.10)たホテルには「コスモポリタンが沈殿して」(p.19)いて、エジプト人のホラ男爵やら、闇屋を生業とする“模範的”台湾人青年やら、お大師様の信者である広東人(50歳くらい)やらのエピソードが語られる。空襲でホテルが焼けてからは洋館“三鬼館”に移る。戦後、この洋館を住宅設備の工事会社に又貸ししたら、なぜかその会社で働くことになったり…。
著者曰く、フィクションではないらしい(「続神戸」の前説に「内容は前編と同じく全く虚構を避けた」とある)が、にわかには信じがたい登場人物のキャラの強さ、話の展開。途中、俳人との関わりも書かれていたりする(「続神戸」は俳句の話がやや多くなる)ものの、これを連載していたのが「俳句」「天狼」という俳句雑誌であるにしては、俳句に関係する文の割合が微妙なところも、なるほど著者の記憶に忠実な文章なのだろうと思わせる。
俳句に多少心得があると、俳句の中でザクロを打ち落とすワシコフ氏がほぼ名前だけながら二度ほど登場したり、「広島や」の句についての随想があったりするところにも目が行く。広島の句の話の直前にワセリンの挿話が入るのはなんともイヤハヤ…、この生と死のごった煮みたいな書き方が、また魔術的(或いは、解説の森見登美彦のいう“天狗”的)なところか。 -
Posted by ブクログ
第二次大戦下、神戸トーアロードの奇妙なホテル。“東京の何もかも”から脱走した私はここに滞在した。エジプト人、白系ロシヤ人など、外国人たちが居据わり、ドイツ潜水艦の水兵が女性目当てに訪れる。死と隣り合わせながらも祝祭的だった日々。港町神戸にしか存在しなかったコスモポリタニズムが、新興俳句の鬼才の魂と化学反応を起こして生まれた、魔術のような二編。
多少脚色はあるにせよ、すごい時代にすごい生き方をしている人たちが描かれていて、うわあという感じ。神戸という港町ならではの空気なのかもしれないけど、誰に従うこともなく、のびのびと自由に、まるで天狗のように駆け回るエネルギーあふれた登場人物たちに感嘆してばかりでした。筆者本人も大変な生活だったはずなのに、つらさや深刻さを敢えて削ってからりとした文章にしているところもすごい。今の時代には、逆にこういう醒めたような中に熱い芯の通った、凄みのある話を書ける人はいないような気がしている。