月本洋のレビュー一覧
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明治時代以来、森有礼、志賀直哉、尾崎行雄ら有名人からも「日本語は論理的でない」と論じられてきたが、日本語が論理的であることを、論理的に証明を試みた学術論文的な書。
著者は、理工系の学者であり専門的すぎる部分もあるが、簡潔明瞭に論理を展開しており、理路整然と淡々と日本語が論理的であることを証明しており、読み進めやすく説得力がある。読み始めたときには、日本語が論理的であろうが非論理的であろうが、たいした問題ではないと感じていたが、日本語が非論理的であると多く人が主張してきたことから、日本語がここわずか100年足らずで大きく変化し特に英語化していること、及びそれに関連して日本における国語教育が不適 -
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工学系の人工脳の研究者である筆者が、論理とは何か、そのうえで日本語について、論理があることをまとめた本である。
内容としては、日本語の非論理論や特殊論の紹介、論理とは比喩の形式であり、形式論理が重要であることを解説し、論理学の初歩も使って説明している。その上で日本語が論理がないと言われる原因の1つは、学校での文法(主語ー述語)にあり、今は日本語を学ぶ人使わないにも関わらず、文科省は今だ変えていないとしている。最終章では母音を含めて、小学校での英語教育の反対論を展開している。
感想としては、工学部の人工知能研究の方らしい論理展開で、多くの資料の紹介等で納得できる点が多かった。言語学の方面の知 -
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これは掘り出し物の本である。
著者の月本洋さんは工学博士で、人工知能が専門であるようだが、博学ぶりが凄い。言語学、脳科学、心理学、修辞学などの世界を縦横に行き来し、おまけにどうやら木村敏さんの本も読んでいるらしく、「私」=「あいだ」の理論まで登場する。
認知も表現も、人間「精神」のはたらきにあたっては、身体全域の活用が必要である、という視点は、メルロ=ポンティやヴァイツゼッカーの思想とも合致する。
そういうわけで大興奮の書物だったのだが、肝心の「日本語のように母音の比重が高い言語では、主語が省略ないし欠如する傾向が強い」「日本人は虫の声なども左脳で聴くが、西欧人はこれを雑音として、右脳で聴く」 -
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言葉の処理方法を認知学、心理学、脳科学等の様々な側面から解き明かしてくれる点について、新たな視点を得たよう思われます。また、日本語の文法について、日本語には主語がないとする説があることや、明治期に列強に追いつけ追い越せの風潮のなか、英語を国語とする案があり、英語を土台とした文法がつくられたことに大変驚いた。言語機能は獲得形質であり、言語が認識のフレームをつくるという認識をもっていたなら、明治期の人たちの考え方に凄さを感じます。
世界経済の大きな変化、震災、原子力等の問題が増え、現行社会システムのひずみが徐々に大きくなる局面にあります。次代にむけ大きく考え方を変えていかなくてはならない状況にある -
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第1章からしばらくは、身体を軸とした認知科学の入門書、もしくはまとめ本という風である。かなり、面白い。そしてかなり話は認知科学全般を横断する。認知科学は現代版の哲学だと以前から思っていたが、その思いを強くする。月本さんのまとめ方で行くと、ほとんどカントのカテゴリー論に近いよね、と思って読んでいると、実際カントに対する記述があって笑った。
しかし、カントに行き着いたあたりでパタリと話は終わってしまい、後半、かなり唐突に本書の主題「日本人の脳には主語はいらない」に突入する。
月本氏の中ではそれらは全て整合しているのだろうが、前半の各章の接続、前半と後半の接続が私にはついて行けなかった。特に前半は -
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母音は左脳、子音は右脳で処理される。
また、言語処理は左脳、自他認識は右脳で行われる。
日本語は母音が多く左脳で処理が始まる。
しかし英語は子音が多く右脳で処理が始まるが、
その際に自他認識を行う分野に対しても刺激がいくので
英語では主語がほぼ強制的に要求されるという論。
ここであげた言語処理とはブローカ野のことだと思われるが、
そもそも脳内で発音を聴覚分野に送る前に、
その発音をしろという指令は言語処理の分野(左脳)から出されるのでは・・・
などの疑問も読んでいて感じたが、全体的には学ぶことも多く楽しかった。
特に脳の発達という点は非常に興味深い。