2015年は「民主主義」という言葉が溢れた1年だったように思う。
とりわけ大きなトピックとして、安保関連法案と、大阪における大阪都構想の住民投票および市長・都知事ダブル選挙があった。
これらについては、とても奇妙に思える状況があった。
まず安保関連法案については、憲法学者による違憲という指摘
...続きを読むがされたこと、「戦争法案」という批判により大きな運動が起こった。
しかし、ここで憲法について触れると話がややこしくなるので、以下ではその点はあえて無視をして進めていく。
憲法上の問題を無視すれば、少なくとも自民党・公明党は2012年の衆議院選挙、2013年の参議院選挙を経て議席の過半数を獲得し、その上で法案を提出、成立させたのであり、手続き上は何の問題もなかったように思える。
しかし、これに対して「民主主義」の立場から批判がされた。
これは不思議な話である。
なぜ選挙で選ばれた国会議員による内閣の行為が民主主義的ではないのだろうか。
(立憲主義についての問題を指摘している場合は適切だろうけれど、やはり憲法との関係はここでは触れないことにする)
また、大阪市を特別区とするための住民投票についても批判が相次いだ。
しかし、これも不思議な話である。
住民投票は議会のように間接的ではなく、直接的に住民の意見を反映させることができる機会であり、最も民主主義的な手法に思える。
ところがこれに反対していたのは「民主主義」を叫ぶ人々であったように見えた。
その反対勢力(なんと自民党から共産党まで)の言う「民主主義」がどういったものなのかは不明瞭で、住民投票は否決されたものの、その後の大阪市長・都知事ダブル選では、都構想の実現を目指し続ける大阪維新の会が圧勝した。
大差をつけて票を得た大阪維新の会が選挙で訴えた政策を行うことは、民主主義的に思える。
ちなみに人気のある政治家、あるいは政策に対して「ポピュリズム」と批判されることがあるが、ポピュリズムとは「人気取り政治」のことではなく「人民主義(反エリート主義)」のことである。
では、議席多数の与党の政策や、直接民主主義的な住民投票、そしてポピュリズム(人民主義)を批判し、安保法案や大阪都構想に反対する立場が訴える「民主主義」とはいったい何なのだろうか。
本書はその疑問を解きほぐすのに役立つかもしれない。
ちなみにタイトルである「代議制民主主義」とは新しい民主主義の形ではない。
本書のいう「代議制」とは「議会制と大統領制」を含んだ制度のことである。
議会議員も大統領も、有権者の投票によって選ばれ、政治的行為を委任された代議士という点では共通しており、それを一括りにしているだけだ。
本書は、現在の政治の問題点を認めながらも、「熟議民主主義」や「一般意志2.0」といった新しく提唱されている民主主義の形に対するカウンターとして、旧来の代議制民主主義が優れている点を、各国の政治制度やその現状を紹介しながら、比較政治学を用いて主張している。
代議制民主主義がどのような理由で何が優れているのか、逆に内包している問題は何か、という点は本書を読んでいただくことにして、ここでは本書の知見を用いて冒頭の疑問、つまり「なぜ民主主義と民主主義が対立するのか」を考えてみたい。
その前段として、まずは政治制度を改めて整理してみる。
1.「君主制」「神権政治」「独裁制」
最も非民主的な政治制度と言って良いだろう。
これらはそもそも「国民主権」という考え方自体が存在しない。
2.「全体主義」
本書ではこれを「左の全体主義としての共産主義」と「右の全体主義としてのファシズム」の2つに分類している。
これらについて本書では詳しく言及されていない。
3.「立憲君主制」
君主は存在しながらも、その政治権力は制限されており、民主主義による統治がされている制度である。
4.「共和制」
君主を排して、大統領、首相、議会といった民主主義的な方法で選ばれた人物が国をまとめる。
5.「直接民主主義」
国家の有権者全員が直接的に政治に参加する制度。古代ギリシアの都市国家(ポリス)で行われていたが、奴隷をはじめ全員が有権者でなかったことは押さえておきたい。また集団の規模が大きくなれば、当然ながら全員が政治参加するのは不可能である。
6.「間接民主主義」
直接民主主義の規模の限界を克服するため、選挙によって委任する代表を決め、その代表が政治的行為を行う制度。政治については代表に任せ、各個人が自分の仕事などに専念できるメリットがある。
7.「議院内閣制」
選挙によって選ばれた議会のメンバーのうち、多数を占める政党が内閣をつくり政権を担う制度。首相は与党内で決定されるので国民が直接的に選ぶことはできない。
8.「大統領制」
議会議員とは別に、大統領も国民による選挙で選ぶ制度。日本でも県知事と県議会、市長と市議会は別の選挙で選出され、実態としては大統領制である。大統領と議会議員は別の選挙で選出されるため、対立しやすい。
以上を再整理すると、以下のようになる。
民主主義的な制度は「3.」以降であり、「3.立憲君主制」と「4.共和制」は、どちらが民主主義的かというよりも「君主が存在するか否か」という文化的な違いに留まるだろう。
「5.直接民主主義」は、国家レベルはもちろん、現代では町内会レベルでも困難に思われる。
「文化祭での出し物を何にするか」というような学校社会や、「今年の旅行はどこに行こうか」といった家庭レベル、あるいは職場の現場レベルでの意思決定で用いられる程度だろう。
よって、民主主義による国家政治は「6.間接民主主義」による。
その形態が「7.議院内閣制」と「8.大統領制」であり、本書はこれをまとめて「代議制民主主義」としている。
さて、代議制民主主義は世界各国で採用されているが、本書で何度も繰り返されるのは「自由主義」と「民主主義」の構造的な「非」親和性である。
「自由主義」と「民主主義」は相性が「悪い」のだ。
ただし「自由主義」を日本における「リベラル」「リベラリズム」と考えてしまうと、本書の主旨は理解できない。
本書における自由主義は「権力からの自由」であり、財産を持ち、契約を行うことができる自由だ。
ただしその自由を謳歌できるのは、当然ながら、財産を持ち、契約できる何かを所有している人(=エリート)に限られる。
ここでは「自由な状況の中でエリートが競争し合うことでより良い状況が生まれる」という、政治思想よりも経済思想的な自由主義を想定したほうが分かりやすい。
(本書では「マディソン的自由主義(多元主義)」としている)
代議制民主主義においては、選挙で選ばれた議員等がこのエリートに当たる。
エリートが議会での議論を通じて競争し合い、より良い政策を行うのが、本書の言う政治における自由主義である。
これは、必ずしも「民主主義」を意味しない。
一方「民主主義」とは何だろうか。
これは有権者の意思をそのまま反映させることを第一の目的にした政治の形だろう。
しかし問題は、有権者の意思は多様であることだ。
つまり民主主義は「君主専制・独裁」ならぬ「多数者の専制」「少数意見の切り捨て」にならざるを得ない。
とりわけ、1つの選挙区から1人しか当選しない「小選挙区制」においては多くの「死票」が発生する。
その死票は民主主義的には無効で、考慮するに値しないことになってしまう。
なお比例代表制は、政党単位の獲得票数によって議席数が決まるので、小選挙区制のような大量の死票は発生せず、少数票でも議席を獲得しやすい。
よって比例代表制のほうが、より民主主義的である(有権者の意思が反映されている)ことになる。
とはいえ、実際には議席の過半数を得られない場合は政権を獲得できないのだから「多数者の専制」になることに変わりはない。
この「多数者の専制」=「民主主義の弊害」はどのようにすれば解消できるのか。
本書によればその方法が「自由主義(多元主義)」ということになる。
自由主義(多元主義)では様々な価値観を持つエリートによる自由競争が行われる。
そこでは各エリートが多元的な価値観を持つがゆえに、少数意見を反映させることが可能になる。
つまり少数意見を政策に反映させるためには「民主主義」ではなく「多元主義による自由競争」が必要ということになる。
しかし本書の主張は民主主義を否定するものではなく、「自由主義」と「民主主義」のバランスが必要だというものだ。
以上を踏まえて、「なぜ民主主義同士が対立するのか」を考えてみる。
まず、自民党・安部内閣が多数の得票を得たのは事実であるから、選挙の際に打ち出した政策を実行するのは民主主義的なのは間違いない。
2012年の改憲草案で国防軍について触れられているため、集団的自衛権行使や安保法案成立といった流れも、民主主義から逸脱しているとは言えない。
(立憲主義からは逸脱していると思うが、最初に書いたようにここでは憲法との関わりは無視している)
よって自民党・安部内閣に対して批判している場合、「民主主義的かどうか」というよりは「エリートとしての質への批判」や「多元主義の機能不全の問題」と捉えるほうが妥当ではないか、という気がする。
多元主義の機能不全を、デモ等を通じて補っている、ということもできるかもしれない。
(多元主義の機能不全の原因は、与党である自民党内の問題と、野党の問題と両方だろう)
つまり反安保法案の立場は「民主主義」というよりも「自由主義」を主張していると考えるとスッキリする。
様々な反対意見がありながら「多数者の専制」で押し通すことは、「民主主義的すぎて自由主義的ではない」のだが、それを「民主主義的ではない」と言ってしまっているため、民主主義同士が争っているように見えてしまうのではないか。
大阪についてはどうだろうか。
大阪維新の会がもし「反民主主義的」であるならば、選挙で多数を得ることは理論的にありえない。
正確には、多数の票を獲得した事実により、その政策が「常に民主主義的である」ことを担保している。
橋下氏がよく使う「民意」という言葉は民主主義を重視していることを表していると捉えることもできる。
また、学者批判を頻繁に行う一方で、タウンミーティングを行うことにより市民との繋がりを強化していたことも、本当の意味でのポピュリズム(人民主義・反エリート主義)と言えるかもしれない。
つまり、大阪維新の会は極めて「民主主義」的な政党で、民主主義によって大阪都構想を実現しようとしていると言える。
ならば、そこに欠けているとすればやはり「自由主義」の側面なのだが、大阪では自由主義の前提である「多元的価値観」もまた欠けているように見える。
(これは、反維新の勢力として自民党から共産党までが一致団結してしまうことからも明らかだろう)