小林武彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
<シリーズ3作目。「幸せ」=「生きていること」=「死からの距離が保てている状態」というシンプルな定義に基づき、「コミュニティの中で利他的に生きることが「幸せ」」とする主張には賛同>
小林武彦氏は、1963年神奈川県生まれ、九州大学で理学・医学系研究科を修了後、基礎生物学研究所やロシュ分子生物学研究所、米国NIHで研究員として活動した。1997年に基礎生物学研究所助手、2006年に国立遺伝学研究所教授、2015年に東大分子細胞生物学研究所教授、2018年より東大定量生命科学研究所教授を務める。日本遺伝学会会長、生物科学連合代表などを歴任し、分子遺伝学・老化研究の第一人者として知られる。
本書は、ベストセラーとなった『生物はなぜ死ぬのか』(2021年)、『なぜヒトだけが老いるのか』(2023年)に続き、「幸せ」を扱った、いわゆる続編として2025年に出版された。
主なポイントは以下である。
◆生物学的に見た「幸せ」とは「生きていること」、換言すれば「死からの距離が保てている状態」であり、その原動力は生存本能と生殖本能である。
◆社会性の強い生物であるヒトにとって、コミュニティに貢献し、周りから高い評価を得ることは、「幸せ」(=「死からの距離が遠い状態」)になる重要な手段であり、そうしたヒトの性質・価値観は進化の過程で遺伝子に刻み込まれている。しかし、農耕の始まりと定住化が、狩猟採集時代にはなかった格差を生み出したことや、近現代のテクノロジーの発達により、コミュニティが希薄になり、「遺伝子と環境の不適合」が生じている。これが、現代のヒトが「幸せ」を感じにくくなっている要因である。
◆解決策としては、昔のような自然重視の生活に戻るか、知恵とテクノロジーで現代の社会をヒトの心と体にマッチさせるか、のいずれかが考えられるが、現実的には後者しかありえず、そのためには、安心して暮らせる新しいコミュニティの構築、格差なく誰もがゼロベースから成長できる環境の二つが重要になる。
◆現代のヒトは「幸せ」の代わりに「快楽」を求めるようになったが、「快楽」は脳内ホルモンの放出による生理作用で、本能のサポーターにすぎず、「快楽」のみで幸せになることはないし、むしろ死からの距離を縮めてしまうことすらある。
読み終えて、著者の「コミュニティの中で利他的に生きることが、生存のために有利であり、よって「幸せ」である」という主張は極めてわかりやすかったが、本書の最大のポイントは、生物学の見地から、「幸せ」=「生きていること」=「死からの距離が保てている状態」とシンプルに定義したことであろう。
一方で、私が思い出したのは、歌人の穂村弘が『はじめての短歌』の中で、「生きる」と「生きのびる」という言葉を使い分け、短歌は「生きのびる」ではなく「生きる」という行為の中に存在する、という趣旨のことを書いていたことである。これを本書の文脈で整理すると、ヒト以外の動物には「生きのびる」という行為しかないのに対し、ヒトには(動物としての)「生きのびる」のほかに、(人間としての)「生きる」という行為が存在するのであり、「生きる」行為の中に(こそ)、人間の価値があるということである。
私は、「コミュニティの中で利他的に生きることが、大切であり、幸せである」という主張には全面的に賛同するし、それが元来は「生きのびる」ための行為であったとしても、進化の過程で、「生きる」ことと不可分の行為になっていったと考えることはできると思う。しかし、人間が「生きる」ということには、もっと広く多様な意味(全てが「=幸せ」とは限らないが)があるはずとも思うのであり、少々物足りなさを感じるとともに、「なぜヒトだけが幸せになれないのか」というタイトルにやや違和感を感じたことも、また事実である。
尚、私はシリーズ3冊とも読んだが、白眉は1冊目の『生物はなぜ死ぬのか』である。まずはそれをお勧めしたい。
(2026年1月了) -
Posted by ブクログ
【ベストセラー『生物はなぜ死ぬのか』の続編で、「なぜ、ヒトは(他の生き物のように死んでしまわずに)老いる(ことによって長生きをする)のか?」に答える一冊】
小林武彦氏は、1963年神奈川県生まれ、九州大学で理学・医学系研究科を修了後、基礎生物学研究所やロシュ分子生物学研究所、米国NIHで研究員として活動した。1997年に基礎生物学研究所助手、2006年に国立遺伝学研究所教授、2015年に東大分子細胞生物学研究所教授、2018年より東大定量生命科学研究所教授を務める。日本遺伝学会会長、生物科学連合代表などを歴任し、分子遺伝学・老化研究の第一人者として知られる。
本書は、ベストセラーとなった『生物はなぜ死ぬのか』(2021年)に続き、「老い」を扱ったいわゆる続編として2023年に出版された。
主なポイントは以下である。
◆(前作の振り返りとして)生物は進化のプログラムにより「変化」と「選択」を繰り返して今の姿になったが、変化とはいろいろなもの(多様性)ができること、選択と死ぬことであり、死ぬことは生物の進化のために不可欠のことである。
◆死ぬ前の動きが鈍くなった状態を「老いた状態(=老化した状態)」とすると、ヒト以外の野生の生き物は、食べられて死ぬか、食べられなくなって死ぬかであり、老化して死ぬことは基本的にない。
◆老化のプロセスは、遺伝子DNAが傷ついて徐々に壊れることにより細胞が老化し、①幹細胞から新しい細胞が供給できなくなり、臓器の機能を低下させ、全身の老化を引き起こす、②(細胞が入れ替わらない)心臓と脳では、機能が低下し、回復不可能な致命傷になる、のいずれかである。
◆ヒトの本来の生物学的な寿命は、ゲノムの極めて近いゴリラやチンパンジーの寿命等から50~60歳と考えられるが、一方、ヒトのDNA修復能力は他の動物と比べてずば抜けて高く、例外的に寿命が長い。本来は進化の過程で、長い老後の期間を持つ生物は選択されてこなかったにもかかわらず、ヒトだけが例外的な存在となったのは、たまたま長寿の遺伝子を持った祖母が子(孫)育てに貢献したため、その長寿遺伝子を持つヒトが選択されてきたとする「祖母仮説」、ヒトの社会の中で、知識・技術・経験・集団をまとめる力が重要な要素となってきて、年長者のいる集団が選択されてきたためなどと考えられる。
◆老年期になったら、ヒトが例外的に長い寿命を獲得した背景に立ち返り、利己から利他へ、私欲から公共の利益へと自身の価値観を変え、自分のためではなく、公共的に生きるという発想を持つべきである。
私は前作『生物はなぜ死ぬのか』もしばらく前に読み、前作の「生物は、より優れた世代に交代するために、死ななくてはならない」という主張は目から鱗であったが、本書の内容はそれほどのインパクトはなかった。というのは、「なぜヒトだけが老いるのか?」と問われると、一瞬「?」とは思うものの、これは「なぜ、(他の生き物のように健康を保てずに)老いるのか?」という問いではなく、「なぜ、(他の生き物のように死んでしまわずに)老いる(ことによって長生きをする)のか?」という問いであり、その答えは、これまでに他の本でも目にしてきた説明だからである。
また、後半の半分近くは、著者の専門である生物学的見地からの説明ではなく、現在の高齢化社会においてシニア層がどのような役割を果たすべきかの持論を展開しているのだが、著者に期待する内容ではなく、少々残念だった。
尚、著者はこの後、『なぜヒトだけが幸せになれないのか』という3作目を出し、また、ほぼ同じタイミングで、医師・作家の久坂部羊氏は『人はどう死ぬのか』、『人はどう老いるのか』、『人はどう悩むのか』の3部作を上梓している。超高齢化が進み、「死・老い」と、それに対峙する社会・医科学への関心の高さを反映しているといえようか。
(2026年1月了)