尾高邦雄のレビュー一覧

  • 職業としての学問

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    本書は1919年にヴェーバーがミュンヘンで行った講演の記録である。
    教師は指導者であってはいけない。教師は自己の主観的評価や個人的な世界観を学生に強いてはならない。学生側も教師に指導者であることを求めてはならないことを肝に銘じる必要がある。
    ヴェーバーの新書を2冊読んだ上で、本書を読んだが、キリスト教とニーチェへの理解があれば、よりヴェーバーを深く理解できるように感じた。

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    2025年01月05日
  • 職業としての学問

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     ドイツの社会学の巨人、マックスヴェーバーが1917年にミュンヘンで講演した際の記録。自分が拾ったトピックとしては、導入としての「学者という職業の実際」、「学問=主知合理化の意味するところ」、「学問の限界」、「日々の要求」に大別できるだろうか。どれも興味深く、今なお通用する考え方であると感じたし、ここに「学問」というものの核が見られるからこそ、語り継がれる名講演とされているのだろう。以下備忘録。
     まず導入として「教授という職業の実際」について解説される。これはもしかすると一種のユーモアなのかもしれない。後述に、民主主義を語る教授は、教壇の上では比較民主主義的なこと(事実の列挙)をすべき(政治

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    2023年03月08日
  • 職業としての学問

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    科学の限界、宗教の限界この2つを明らかにすることによる、生き方の提案。
    科学万能主義が蔓延る21世紀を生きる私たちだからこそ、改めて立ち止まって考えたい内容。

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    2022年06月01日
  • 職業としての学問

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    社会学の泰斗、その晩年の講演。

    端的にまとめられた学問を取り巻く状況や今日的な意義、そして私たちのとるべき態度といった内容から、(本人は拒否するだろうが)学者でもあり、教師でもあり、指導者でもあったウェーバーの偉大さに感心するばかり。

    世界が魔術から解放されたとき、再び神々があい争う時代に(神話は啓蒙であった、啓蒙は神話に退化する―アドルノ=ホルクハイマー)、安易な救いや啓示をもたらす救世主や預言者はいないし、それを無理やり地上に甦らせるわけにはいかないと説くウェーバー。
    学問に従事する人々だけでなく、リキッドモダン(液状化した近代―ジグムント・バウマン)に生きる私たちすべてが、価値判断の

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    2019年01月16日
  • 職業としての学問

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    職業としての学問は、
    10年後、20年後、50年後には知識として古くなる。
    つまり、常に進歩、前進することを前提にしていて、そうゆう宿命にある。

    「われわれ学問に生きるものは、後代の人々がわれわれよりも高い段階に到達することを期待しないでは仕事をすることができない」


    かつ、
    価値があるということを肯定することを前提として成り立っている。

    法律等もそうであり、
    法律自体が必要なのか?
    学問自体が必要なのか?
    そういったことは、必要ということを前提としている為に、
    その問いに対しては、
    その基本的価値を証拠だてることはできない。


    ここから読み取れることは、
    物事の考えや発言には、
    前提

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    2017年11月29日
  • 職業としての学問

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    主な論点・フレーズ:

    ①「大学に職を奉ずるものの生活は すべて僥倖の支配下にある」(才能の支配下ではない、ということ。使命は学者+教師という二重性に満ちている。適任者とコンクラーベ…)
    ②「心構え(専心の必要性)」(情熱なしになし得る全ては無価値である。情熱による「霊感」は学者にとって決定的。作業と情熱とによって思いつきを誘い出す)
    ③「学者の仕事はつねに"進歩"すべく運命づけられている」(学問上の"達成"は、つねに新しい"問題提出"を意味する)
    ④「知るに値するかどうかは、学問みずからが論証しうべき事柄ではない」(事実の確定と「べ

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    2015年01月05日
  • 職業としての学問

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    職業倫理本の体をした自己啓発本な気がした笑

    「いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、熱なしになしうるすべては、無価値だからである。」

    「作業と情熱とが――そしてとくにこの両者が合体することによってーー思いつきをさそいだすのである。だが、思いつきはいわばその欲するときにあらわれる。それはわれわれの意のままにはならない。」

    「 とにかくそれは、人が机に向かって穿鑿や探究に余念ないようなときにではなく、むしろ人がそれを期待していないようなときに、突如としてあらわれるのである。とはいえ、こうした穿鑿や探究を怠っているときや、なにか熱中する問題をもっていないようなときにも、思いつきは出てこ

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    2022年03月24日
  • 職業としての学問

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    もっと早くに読めばよかった。それに尽きます。大学に入る前に読めばよかった。

    ただ大学でそこそこ勉強に励んで卒業し、社会人なるものも経験した今読むと、「あの先生もこんな思いで教壇に立たれていたのかな」とか「人生のどこかでアカデミアにはもう一度戻りたいけれども、その時にこんな覚悟を改めて持っておきたいな」などなど思うこと多々で、これも感慨深かったです。

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    2021年12月13日
  • 職業としての学問

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    ネタバレ

    ようやく読めた。一読のみでは内容を十分に理解しているとは到底言えないが、以下、現時点で読み取れたことを記載しておく。
    旧訳の序(p.85~)によると、本書におけるウェーバーの主張は主に3点である。1点目は生計の資を得る道としての学問の現状、2点目は職業としての学問にたいして人々(特に教師および研究者)がとるべき心構え、3点目は学問の職分そのものについてである。1点目について印象的であったのは、学問を職業にすることには「偶然」が大きく作用するという主張である。つまり、実力いかんよりも、学問を職業とするためには、運の側面も重要であるということである。これは現代にも通用する。2点目については、やはり

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    2020年07月11日
  • 職業としての学問

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    マックス・ウェーバー(1864~1920年)は、ドイツの政治・社会・経済学者。社会学の第二世代を代表する学者で、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905年)は、社会学の名著として有名である。
    本書は、著者が死去する前年の1919年1月にミュンヘンで大学生向けに行われた講演(更にパンフレットとして出版され、死去後『科学論論集』に収められた)の邦訳である。(姉妹編の『職業としての政治』もほぼ同じ時期のものである)
    本書を読むにあたっては、本公演が、キリスト教の支配する世界、かつ、第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月)終戦直後の敗戦国ドイツ・ミュンヘンにおいて、人々の心が

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    2020年11月23日
  • 職業としての学問

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    マックスウェーバーの講演。トレルチがキリスト教絶対主義の蓋を外し、宗教の多元性を明らかにすることによってひらけてきた新しい価値観。その影響を大いに感じさせる理性と実存を峻別させるような一冊。教師と指導者は別であると。信仰や実存的生は学問の延長にあるものではないときっぱり言い切るところは気持ちいい。

    17.12.22

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    2017年12月22日
  • 職業としての学問

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    以前読んだものが意訳(現代意訳?)が激しいものだったので、機会もありこっちの方を。
    旧訳序文でも述べられているように、言ってることは情勢・学問への姿勢・教えることへの姿勢に分けられる。
    個人的には、終盤に何かもうひとつ主張しているような気がするけどその辺は何を言っているのか(具体例を述べてただけなのか)また読み込む必要がありそう。
    情勢や学問への姿勢はまぁそれでよいとして、教えることへの姿勢に関してはちょい思うところあり。
    そもそもここでは教える側の絶対性のような何かが前提になっている気がする(そしてそれは確かに多くの場合において正しいとは思う)けど、教わる側は教師に対して批判的であることが可

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    2016年10月03日
  • 職業としての学問

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    現代風に言えば職業指南書であり、人気シリーズ『職業としての~』といったところか。

    マックス・ウェーバーの学生向けの講演が基となっており、活字メディアが主だった当時、本講演は職業選択をするうえで非常に有益であったと推察できる。氏は、学問を生業、仕事、志の側面で語っており、米国事情との独対比、顧客視点=学生視点での教育者の在り方論は相当新鮮であったであろう。むしろ100年近く経た今読んであまり違和感を感じないのは、驚くべき先見の明といえるかもしれない。

    奇しくも本書が発刊された1919年にドイツ労働者党が発足しヒトラーが入党し、残念ながら国家を戦争へと傾けていく。ドイツにはウェーバー氏のような

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    2016年08月29日
  • 職業としての学問

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    想像以上に面白い本。古くて 例示がわかりにくく、展開が変わりやすい

    最後の「知性の犠牲」については 理解度が低いので、再読時に 確認する。「学問の意味、役割は何か」が テーマ

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    2016年06月11日
  • 職業としての学問

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    学問についての情熱的講義録邦訳。第一次世界大戦後にドイツで行われた講義だそうだが、ここで指摘される問題点はこんにちの日本に至ってもまるで改善されていない。一般に「世間に甚大な影響を与えた書物」を名著と呼ぶそうだが、それではこの本は名著とは呼べないのだろうか。そんな暗澹たる気持ちにすらなる。しかし私も、教師というより指導者を求めて大学の講堂に入り込んでいたきらいがあるので、あまり大きなことは言えない……。
    大学生になったら、いな大学を志したらとっとと読むといいと思う。時折感情的で、概ね装飾された回りくどい物言いなので、言ってる内容は単純なのになかなかわかりにくいけれど。面白い人だなヴェーバー。

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    2016年04月21日
  • 職業としての学問

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    入門書を読んでぜひ原書を読みたいと思った本。やはりびびっと来た。ウェーバーさんとハーバマスさんは社会の視点として個人側に対比させて読んでいきたい。

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    2015年08月01日
  • 職業としての学問

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    表現は激しいが述べられていることは現代にも通じるもの。是非、義務教育を受けなければならない年代の人たちに読んでみてほしい。本書を通じて、学問を学ぶことの意味と限界を知ったうえで、自己判断のもと日々学んでもらえると良い。

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    2024年01月05日
  • 職業としての学問

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    ネタバレ

    自分たちはさまざまな事に手を出して学ぼうとしているが、そんな事はいくら時間があっても無理だ。全部が中途半端になってしまうと教えられました。気に入ったのが、「学問とは自分より後の代がもっと賢くなれるようにするものだ」と言う部分です。

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    2023年08月13日
  • 職業としての学問

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    5冊目『職業としての学問』(マックス・ウェーバー 著、尾高邦雄 訳、1936年7月 発行、1980年11月 改訳発行、岩波書店)
    社会学者として名高いウェーバーが、1919年1月にミュンヘン大学で行った講演のテキスト。
    職業として学問に従事することを志す人間に対し、ドイツにおける職業としての学問の現状、そして学問に専心することへの心構えを説く。
    ナチ党成立の前年に行われた本講演。まだ自由の気風が独にあったのだ。

    「いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては、無価値だからである」

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    2023年01月27日
  • 職業としての学問

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    ネタバレ

    ・何事も忘れて対象の物事に熱中できる人が学問に向いている・・・。その通りだと思う。
    ・「霊感」→情熱があり、運があり、研究を怠っていない時に与えられる。
    ・学問だけでなく、芸術やビジネスにも通じる。
    ・「仕事」→自分を滅して専念するもの →自分の名を売る×
    ・概念、永遠の心理は移ろいゆくものではない。

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    2023年01月01日