坪倉優介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
記憶喪失といえば、「私は誰?ここはどこ?」の世界だと思っていた。きっと人によって程度や症状はさまざまだとは思うが、著者・坪倉さんの場合はそんなもんじゃない。なにもわからない、言葉もほとんど忘れてしまった状態。そんなほぼまっさらなのに、身体は18歳なのだ。社会的には18歳として生きていかなければならないのだ。
本書はそんな坪倉さんの言葉と、お母さんの手記で構成されている。見るものすべてが初めてで、しかもそれを表現する術すら持ち合わせていない坪倉さんの言葉は、たどたどしくも新鮮で、それを外から見守る母親の言葉は愛情に満ちている。
少しずつ生活できるようになっていき、最後には立派な職人さんになっていて、本書にも少しその作品が載せられているが、その美しさに感嘆し、乗り越えたんだなあと思えた。
久しぶりにいいノンフィクションの本を読んだ。 -
Posted by ブクログ
通常記憶喪失というと、「ここはどこ?? 私はだれ??」
という感じで、とりあえず日常生活をしながら
自分に関する記憶を取り戻す、って話が多い。
だけどこの作者は、バイクの事故で18歳の時脳に衝撃をうけて
そればかりじゃなく、日常のすべても忘れてしまう。
食べるも、眠るもわからない、
ただ会話はできるだけの大きな赤ちゃんになってしまった。
家族はもちろん困惑する。
食べなさい、といっても食べ方がわからないとか、
お風呂に入るといっても適温がわからないから用意しないといけない、
寝なさい、というと寝る意味がわからないといって寝られない。
母親は18歳の子を、赤ちゃんを育てるように育てる。
これは日記風、というかエッセイ風に書かれているけれど、
最初のころは本当に、小さな子供が
何も知らないまま世界に出て行って思ったことを書いているようで、
なんだかひどく神々しい。
赤ちゃんが生まれてすぐ喋れたらきっとこんなことを言うんだろうな、という。
だけど同時にそれが18歳になる大きな赤ちゃんだった時、
家族の苦労を思うときれいな言葉ではまとめられない、
苦しい気持ちになる。
仲の良かったらしい女の子のことも思い出せない。
そもそも女の子の扱いもわからない。
友達のこともわからない。何一つわからない。
自我はある作者の気持ちもつらい。
何一つわからないから学んでいくけれど、
周りは外見だけで、それを赤ん坊に接するようには対処してくれない。
戻らない記憶、わからないことだらけ、焦燥感。
結局彼は記憶が戻らないまま、再びの子育てを経て
一人立ちをするようにまでなった。
家族のささえってすごい。
だけど、自分の大事な人が記憶を失ったらどうなるだろう??
また自分を大事と思ってくれるんだろうか??
全く興味のない人と思って去っていかれるんだろうか??
自分が耐えられるだろうか??
自分が大事な記憶を失ったらどうなるだろう??
大事な人をまた大事に思えるだろうか??
記憶ってなんだろう。 -
Posted by ブクログ
読書録「記憶喪失になったぼくが見た世界」3
著者 坪倉優介
出版 朝日文庫
p54より引用
“ 食事でも出されたものは、出されただけ
食べてしまう。テーブルの前にすわって、
苦しそうにしているからおかしいと思って見
ると、テーブルに並べた食べ物が全部なく
なっている。まんぷくということがわからな
いのです。”
目次から抜粋引用
“ここはどこ?ぼくはだれ?
これから何がはじまるのだろう
むかしのぼくを探しにいこう
仲間はずれにならないために
ぼくらはみんな生きている”
草木染作家である著者による、自身の身に
起きた記憶喪失とその後を記したノンフィク
ション。過去に他社から刊行された、「ぼく
らはみんな生きている」改題文庫版。
事故からの回復直後の様子から染色作家と
なり再びバイクに乗るようになるまで、母親
の手記を挟みながら書かれています。
上記の引用は、体が回復して退院したすぐ
の頃を記した、母親の手記の一節。
重度の記憶喪失では、日常生活の基本的な事
も忘れるようですが、満腹という体の感覚ま
で忘れてしまうとは…。強い衝撃で脳を傷め
ると、このようなこともあるのかもしれませ
んね。
著者の作品がカラー写真で掲載されていて、
色合いの穏やかさが優しい雰囲気を感じさせ
る着物です。
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Posted by ブクログ
新鮮な表現に胸を打たれた。
お金や電車、食べもののことなど、、
これまで様々な芸術家たちが今生きる世界を描こうとしてきたけれど、こんなにも、初めて出会うときのようにみずみずしく表現した人はいないんじゃないかと思う
お母様の手記によると、坪倉さんが「人間はなんのために生きているの?」と尋ねたときがあったという。
自分の生きる目的というのが見いだせないということは、どんなに衣食住満たされていても、孤独で寂しい思いを背負うことになるのだな、と思った。
特に前半の、日常生活を送れるようになるまでの描写は、読んでいても苦しくなるほど、苦労の日々だった様だ。でも、大学に行き、染め物の課題を重ね、京都で働くようになり、どんどん文章のテンポが良くなっていく。それが、彼の世界と自信が加速的に広がっている様をあらわすようで、ワクワクと生きる喜びが、文章からフルに伝わってくる。
本の終盤に、ずっと記憶が戻ったらいいと願っていたけど、失った記憶よりも、新しく得た記憶がとてもかけがえのないものだと思う、というような文章があって、泣きそうになった。
わたしはどれだけ今とこれからを大切にしているのだろう。と思わされた。過去のことを、基準にしたり頼ったり悪者にしたり、そういうことばかりで、今のこと、これからのことをどう前向きに受け止めていくか、そういう視点を忘れていたな、、と。 -
Posted by ブクログ
スクーターで事故にあい、過去の記憶どころか日常生活に必要な知識も全て忘れてしまった青年の、ノンフィクション。フィクション作品に出てくる記憶喪失者は自分のことを忘れていても日常生活を営む上で不便はしてないのに、青年は赤ん坊と同じゼロからのスタートだった。白米やチョコレートを食べて「美味しい」「甘い」を知り、文字を覚え、大学に行く……もし私だったら世界が怖すぎて布団から出られない。誘われて大学のクラブに行ったら「君は長いあいだ部費をはらっていないね。部費は一ヵ月遅くなるたびに一ヵ月ぶん増しだから、三万六千円だ」と言われるなんて質が悪すぎやしないか。事故にあった人に対して、その対応はないだろう。当時、彼(青年)は男と女という二種類の人間がいることさえ分かっていなかったんだ。
そんな状態の彼を大学にいかせた母も、免許の教習所の合宿に行かせた父も、私から見ると厳しすぎる。だって、幼児を相手にするようなもんだろう。事故のことで同情され、距離をおかれ、迷惑そうな顔をされ、分からないことばかりで……本当に、よくも心が折れなかったもんだ。私が泣きそうだ。
人との距離のとり方を次第に学んでいくが、そんな状態でも彼は楽しかったんだろうか。人生とは目標に向けて、辛くても乗り越えていかなきゃいけないものなんだろうか。その中でしか見つからないものなんだろうか。本当に、泣きそうだ。