野間宏のレビュー一覧
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最初は少し退屈だった。本の厚さを見ながら読むのを止めようかとも思った。しかし、木谷が真情を語り始めるに連れ、次第に引き込まれていった。
人は誰しも、自分を大事にしながら生きている。仕事の後、一杯の珈琲でも、或いは公園のベンチでの缶ビールでも、ささやかな慰めを自分に与えて生きていく人がいる。一丁四方の兵営という真空地帯の中でも、安西二等兵は利己的な手抜きで自らを慰め、安西を気遣い不寝番の交代を申し出る弓山二等兵は、幹部候補生の試験に希望を見いだしている。
しかし、軍法会議と陸軍刑務所は、そんな兵隊の一人だった木谷上等兵のささやかな自尊心を完全に打ち砕き、便紙一枚の自由すら与えない。刑期を終えた木谷の心に残っているもの、それは憤怒、復讐心、そして何より、真実を知りたいという思い。おそらくそういった感情が綯い交ぜになった状態で、彼は中隊に戻ってくる。
大岡昇平、五味川純平、野間宏・・・。彼らは、多感な時期に経験した理不尽なる軍隊経験をドラマチックかつ私小説的に描き出し、戦後派と呼ばれた。本書も刊行後一年を待たずに映画化されたくらいだから、その同時代的共感の大きさを窺い知ることができる。しかし、60余年を経た今日では、戦後派文学は殆ど読まれない。最早理解できない、エグさについていけない、というのが現代的反応だろう。しかし私は、この兵営という真空地帯とそこにささやかな自己を抱えて生きる兵隊たちを、現代の会社や社畜たちのデフォルメのように感じた。70年の時を超えて、押し潰されていく木谷の悲痛な声に心揺さぶられ、その意味で久々に文学することができた。 -
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野間宏。真空地帯があまりに面白くて、デビュー作の暗い絵がどうしても読みたくって読みました。
「暗い絵」「顔の中の赤い月」「残像」「崩壊感覚」「第三十六号」「哀れな歓声」の六編を収録。
デビュー作である「暗い絵」は正直よくわからなくて、でも、ブリューゲルの絵についての冒頭の長々とした記述が異様なものであることは伝わりました。
一枚の絵についての描写が、こんなに長く冒頭に続く小説は珍しいのではないでしょうか。
この描写を読んでいると、永遠に暗い絵の風景が広がり続けるんじゃないかという錯覚すら覚えます。
でもストーリーとしては、筆者の経緯や、歴史的背景を知っていないとわかりにくいものだったと思います。それを知っていてもよくわからなかったです。でもよかった。
暗い絵以外は、分かりやすいものが多かったです。なかでも「崩壊感覚」はとてもよかったです。久々にクラクラした小説でした。
私が長年知りたいと思っていたことの一つに、戦争によって転換を迫られた価値観があります。
敗戦によって何かを奪われたり、大きな喪失感を覚えたりすることによって価値観が変化したり、男性であれば兵営生活や野戦による経験、女性であれば身近な人の死や苦しい生活の経験などを通して築かれていった価値観というものにとても興味がありました。
この小説には、そういったものを知る糸口が示されていたように思います。ああ、これこれ。これが知りたかったの。という感じで、スッと自分の中に入っていきました。坂口安吾の白痴なんかも、それに近いものがあったんですが、どうも腑に落ちないような部分があったりして。でもこれは違いました。
野間宏の人生や社会活動には賛否両論あると思いますが、私は小説は好きです。久々に、安部公房以来のヒットでした。ただ現在出版されているもので、容易に手に入るものが少ないというのが非常に残念な点です。 -
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ネタバレ軍隊機構の末端である兵営の緻密な描写を通して、日本軍国主義を批判した問題作。とのこと。
初めての野間宏。
最初は退屈な小説だな、と思いました。木谷のことも、曾田のことも、軍隊のこともあまり掴めなくて、さらに物語がなかなか動かない。
でも、中盤から、色んなことがわかってくると、俄然面白くなって先が気になりました。
戦争に関する小説だと、何かしろ天皇の存在とか、当時の社会的な思想のようなものが見られるのだけど、この本はそうではなかったです。
単純に、組織機構の腐敗に的が絞られていたように思います。悲劇的な雰囲気もありません。
だから身近で読み易くもありました。野間宏の文章はあまり読み易くはなかったけれど、組織のイメージはつきやすかったです。
ストーリーの本質ではないけれど、私がとても興味深かったのは、学徒兵です。
学徒兵でちょっと要領が悪い者が居たりすると、よってたかって攻撃する。男性の世界、力の世界と言えども、女性的ですらあるなあと思いました。
そして、タイトルでもある「真空地帯」とは兵営のことで、本文に何度か真空地帯が出てきます。
「たしかに兵営には空気がないのだ。それは強力な力によってとりさられている、いやそれは真空管というよりも、むしろ真空管をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで、ある一定の自然と社会とをうばいとられて、ついには兵隊になる。」(p.231)
「彼の求めているのは欲望の遂行だけだろうか。そいつをやれば、たしかにその時、真空地帯の上に虹がかかる。彼はその虹の上をわたって地帯の外へでて行くのだ。どこか外へ、・・・・・・とおいところへ、こえて行くのだ。」(p.224)
「曾田は機関銃中隊横から酒保の方がくをかえながら考えたが、彼はあの木谷の打った拳骨の打撃が自分の身体をとらえているものをこなごなに打ちくだくのを感じた。木谷の手は真空地帯をうちこわす。」(pp.413-414)
うまく私には解読できないんですが、兵営は「真空地帯」という表現がとても斬新に思えました。ただ、社会と隔絶されているとか、孤立している、とかではなく、「空気がない」。
空気がなければ人間は死んでしまうんだけれど、生きている。空気のないところで兵隊は生きている。それは本当に生きている状態なんでしょうか・・・?
そして木谷は、その空気のない兵営で、流れに身をまかせて、ただ時間が過ぎるのを待っているのではないのです。
ストーリーは、なんだか釈然としないまま、木谷は大きな濁流に呑まれ、目的を果たせないままに野戦送りになって終わります。
これが軍隊か、と現実を突きつけられたような気がしました。
この話は、単に軍隊について書かれた、過去の物語ではなくて、巨大な組織の末端という存在について考えさせられます。決して現代とも無関係ではないと思うのです。
最後に、安西(学徒兵)がノートに書き散らしたという言葉が興味深いので書き留めておきます。
苦しいか、おい、苦しいか、苦しいといえ。
心などもうなくなってしまった。自分をどうすることもできない。犬のようにたたきまわされても、なんともないし、ひとりでに手があがるだけ。
自分がこんなになるとは思えなかった。胃袋が口のところまででてきている。
靴は重いし服はだぶだぶ。ざらざらざら。おかあさん・・・・・・また、今日も蝉、せみです。
この言葉の意味は結局解釈できないままでした。 -
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野間宏の初期の短編集。
巻末の年表を確認すると収録作は終戦直後1946年に発表された『暗い絵』から、一番遅い『崩壊感覚』でも1948年3月で、氏の代表作である『真空地帯』より前に書かれた作品のみになっています。
野間宏といえば本書収録の「暗い絵」と長編の「真空地帯」くらいしか知らなかったので、個人的に氏の作品を知るいいきっかけとなりました。
第一次戦後派作家としての野間文学が良くわかる短編集だと思います。
各作品の感想は以下のとおりです。
・暗い絵 ...
野間宏によって本格的に書かれた小説としては最初の作品であり、氏が注目されるきっかけとなった作品です。
後の大東亜戦争に取り込まれる前の、いわゆる支那事変直前の若者たちが描かれています。
タイトルの"暗い絵"は、オランダの画家「ブリューゲル」の描いた絵を指しています。
本書は、主人公の学生「深見進介」がブリューゲルの作品から受けた所感から始まっています。
また、現代の自分が当時を振り返るような書き方になっていて、作中登場する友人は、思想弾圧により獄中死したことが述べられます。
彼らは左翼活動に青春を賭けており、厳しい状況の中で自分たちが進むべき道について、ブリューゲルの絵を絡めて哲学している内容となっています。
1929年の世界恐慌により、世界的な経済恐慌が発生しますが、そんな中ソビエト連邦だけは共産主義だったため、主要国では唯一影響を受けずに経済成長を続けることに成功しました。
そういった状況下ということもあってか、マルクス・レーニン主義は学生たちの間で日本の現状を打開する手段という認識を深めていました。
本作は野間宏の自伝的な部分がある作品で、作中登場する友人は野間宏の実際の友人をモデルにしていると言われています。
本作中に登場する学生たちは、その時期において本気で日本を憂い、良くするために活動を行っていて、そのリアルな空気を感じることができます。
書かれている会話の本質的なところは理解は難しいですが、非常に興味深く読める一作でした。
・顔の中の赤い月 ...
東京駅近くにあるビルに勤める「北山年夫」と、廊下を隔てた向かいのビルに勤める戦争未亡人「堀川倉子」の間に流れる共感性、想い、あるいは絶望が描かれた短編。
恋愛小説と言えばそうなのですが、そうシンプルに述べることができない、2者間の隔たりが書かれたものとなっています。
初期の小説ということもあり、表現が婉曲的で、よく読むと非常に大げさに感じる部分もありました。
例えば、年夫はごく短い時間すれ違うだけの倉子に対し、"美のエネルギーが放出される"のを感じたり、"自分の過去の苦しい思い出を引き出し、蘇らせてくる"のを感じ、更には"正体のしれない不可解な暗い感情の稲妻"が通り過ぎるのを感じます。
倉子からすればいい迷惑のように思えたのですが、作者が述べたい本質的なところを読み解けばわかりやすい作品だと思います。
・残像 ...
高等学校在学中に別れ、それぞれ別の相手とパートナーになった男女が、戦後再び出会う話です。
「沢木茂明」は妊娠中の妻がいたが、既に死別しており、「藤枝美佐子」は利害計算により茂明と別れて親の定めた相手と結婚したが、思うところがある様子である。
結局どうあっても自分は自分であったろうという一種の哲学を持った茂明と、茂明と別れてしまったことで後悔をし続けていた美佐子の会話が主な内容です。
シンプルに読みやすく、小説としておもしろい作品でした。
・崩壊感覚 ...
1948年連載された、本書収録作では一番後期の作品。
崩壊感覚は野間宏の初期の頂点であり、本作までの短編群によって、第一次戦後派として先の大戦を経験した人々の内面を描き出してきました。
崩壊感覚の主人公は「及川隆一」という青年です。
彼は恋人の「西原志津子」を訪ねるため部屋を出たところ、下宿に住む主婦に呼び止められます。
彼女に、別室に住む「荒井幸夫」という男が、部屋の中で首をくくって死んでおり、人を呼んでくるのでここで待って欲しいと懇願され、仕方なく死体の吊るされたその部屋の前で、主婦の戻ってくるのを待つという展開になります。
彼が死んだ理由は直接的に述べられず、戦争により身体的にも心理的にも障害を負った及川により、その表現しようのない内なる想いが表現される内容となっています。
"敗戦で終わって虚しくなった"とか、"人を殺してしまったのにのうのうと生きてはいられない"とか、そういうわかりやすい単純な理由で述べられない、戦争経験者でないと持ち得ることができない感情が独特な文体で描かれています。
本書などを読むと、野間宏氏は、後世に伝えるべき重要な仕事を残していただけた、責任感の強い人物だと思いました。
・第三十六号 ...
陸軍刑務所に政治犯として収容された主人公が、そこで出会った逃亡の常習犯"第三十六号"に関する話になっています。
慣れきった獄中生活に余裕面をして、獄中生活を楽に過ごす極意などを主人公に教える"第三十六号"だが、刑務所はそれほど甘くはなく、想定外の地獄のような責め苦を受けてしまうという内容です。
本作も戦争の悲惨さと、敵が憎くて進んで戦争に参加したわけではない兵隊の心情が描かれた傑作です。
・哀れな歓楽 ...
20ページほどの短編。
外出許可証を持った3人の兵隊が、心斎橋に来て休暇を楽しむ内容です。
うまいものを食って女遊びをし、追い立てられるように快楽を得てまた戻ってくる話で、他作品と比較すると若干のコミカルさもあり、読みやすい作品です。
街ではだらしなさも垣間見える様子なのですが、兵舎に戻った後はキリッと気を引き締めているのが対照的でした。
また、野間宏はそれを"兵隊の本能"と述べているのもまた特徴的に感じました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「暗い絵」――
ブリューゲルの絵の描写が印象的だ。
草もなく木もなく実りもなく
吹きすさぶ雪嵐が荒涼として吹きすぎる。
はるか高い丘のあたりは雪にかくれた黒い日に焦げ、
暗く輝く地平線をつけた大地のところどころに
黒い漏斗形の穴がぽつりぽつり開いている……。
野間宏の卓越した筆致力。
この描写は、
特高警察監視下における
京大左翼活動家たちの苦境を
見事に表現している。
主人公・深見進介もまた活動家の一員だが、
他の仲間との距離感は複雑である。
仲間の一人は自分たちの行動を「仕方のない正しさ」と述べ、
活動の結果獄死を遂げる。
しかし、深見進介は言う。
「やはり、仕方のない正しさではない。
仕方のない正しさをもう一度真直ぐに、
しやんと直さなければならない。
それが俺の役割だ。
そしてこれは誰かがやらなくてはならないのだ」。
これは仲間と道を別ったうえでの発言ではあるが、
決して否定ではない。
そこには尊敬と肯定の想いがある。
これは深見進介=野間宏による、
そこに生じた歪みを引き受ける
苦渋の決断といえよう。
それは身が引き裂かれるような思いであったはずだ。
この畢生の決断と勇気を尊重したい。