近年多数のハラスメント(嫌がらせ)が顕在化するようになった。
あまりにもその数は多くて、かえって軽く見られてしまう懸念もある。
しかし実態はそんな軽いものでは決してなく、ハラスメントの中でもある特定の場合にだけ起こりうる場合が存在する。
その一つがマタハラだ。
本書は著者や他の当事者の体験からどの
...続きを読むような嫌がらせがされるのか、その何が問題で、どうして起こるのか、また今後の展望を述べる。
第1章は著者の体験だ。
著者は壮絶なハラスメントを受けている。
「くるみん」認定企業においてだ。
類型的には、「自分(嫌がらせをする側)の価値観の押し付け、うっぷんばらし」が当てはまる。
本当にこんなことが、と目を疑った。
2章においてはマタハラ類型が示される。
「妊娠は病気ではない」が誤用され、言葉による暴力へとつながっていくのがわかる。
その理由として、日本の性教育の遅れや性別役割分業が近代において固定化されてきたことが原因としてあげられる。
現在日本では「女性活躍」が掲げられている。
しかしその実態はお粗末極まりない。
しかも、政治家は、産まないのは身勝手だ、三人以上なら表彰しよう、など一体いつの話をしているのかと思わざるをえない発言ばかり。
思うのは勝手だが、これからの施策を考え、作っていく立場の者の発言としては不適切だ。
結局、女は家庭、母親は自己責任という旧態依然の考えから抜け出せていないのだ。
マタハラを生み出す「豊かな」土壌がそこにある。
5章の「オーダーメイドなマネジメント力」は理想論ではあるだろう。
現状では、それが適さない場合(シフト制勤務などにおいては難しいのはわかっているつもりだ)もある。
しかし、できない理由を並べ立て、やろうとしない管理職は、人事は、企業は、自治体は、省庁は、はっきり言って、
無能だ。
著者がいうまたハラ問題の解決が全てを救う、というのは大げさだとは思うが、それだけ複合的な問題であるという意味では賛同できるし、ダイバーシティの推進、AI社会への対応という意味でも大いに論議し、解決されるべき問題である。