インフェルトのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ物理学はいかに創られたか―初期の観念から相対性理論及び量子論への思想の発展 (上巻)
(和書)2009年10月03日 21:34
1963 岩波書店 アインシュタイン, インフェルト, 石原 純
物理学の真理の形成が綴られている。真理はその全てを覆されると言う状況を孕みつつ形成されているというところが興味深い。読んでいてわくわくします。
高校の時の物理学の授業を思い出す。そこで行った実験が物理学の形成を辿っていたんだなってことを知った。ただそれ自体その一切の諸関係が覆されてしまうかもしれないということ。そのことを知っていたらもっと楽しく授業を受けることができたと思う。
高校一年の時のクラス担任が物理担当で柔道をやっていたという、よしおか先生だった。あの頃を懐かしく思い出す。
基本的なことだが大変重要な具体的で簡潔な実験が出てくるがなかなかその実験を理解できなかった。そこが分かればもっと面白いと思う。
下巻も楽しみです。 -
Posted by ブクログ
上巻は今まで何となくわかっていることを難しい言語で読んでいる感覚で、なかなか読み進められなかったが、下巻は引き込まれるように一気に読んだ。
相対性や量子など、一般の生活では掴むことができない世界を、様々な仮説を検証しながら組み立てていく。アインシュタインが我々のために時間をとって、できるだけ易しい言葉を選んで語りかけてくれている所が他の本では味わえない感覚。
時間や長さが絶対的ではないこと、エネルギーと質量の関係、座標が変われば常識が変わること、物体と場の存在、波と粒子、量子物理学と古典物理学、今の常識が実は大きな仮説、思想、概念を含んでいること、等々学ぶことが多かった。
アインシュタインさん、インフェルトさん、どうもありがとうございました。 -
Posted by ブクログ
力学的自然観が勃興してから衰退するまでの理論的観点を描いています。物理学における観念世界,すなわち理論的な考え方がどのように進展していったかを強調する書き方になっていて,数式なしに説明しています。どんな実験も理論が必要であることを述べているという点で,本書のタイトル「いかにして」の答えは「理論の発展である」ということでしょう。
*****
コナン・ドイルの名作以来,どの探偵小説にも大概は,探偵が少なくとも問題のある方面に関しては,必要なだけの事実をことごとく集めてしまう時期があります。これらの事実は多くの場合に,全く異様な,支離滅裂な,何の関係もないもののように見えます。しかし名探偵は,その時はもうそれ以上の調査は不必要で,ただ思索のみがその集められた事実を関係づけるものだということを知っているのです。だから彼はヴァイオリンを弾き,あるいは安楽椅子にもたれて悠然と煙草をふかし,しかもたちまちにしてこれを解決するのです。そして手許に得た手がかりの説明がつくばかりでなく,何か他の事も起ったにちがいないとわかるのです。その事柄はどこへ行けばわかるかが,今は彼にははっきり知れておりますから,何なら自分の理論を更に確かめに出掛けてもよいのです。(p.6)
誤った手がかりが話の筋をもつれさせて解決を延ばしてしまうことは探偵小説の読者のよく知るところです。直観の命ずる推理法が誤っていて運動の間違った観念に導き,この観念が何世紀の間も行なわれたのです。このような直観が長く信じられていたおもな理由は恐らくアリストテレスの思想が全欧州に有力であったからでしょう。二千年間彼の著書と考えられて来た『力学』書の中に次のように書かれています。
運動体はこれを押す力がその働きを失った時に静止する。
ガリレイが科学的論理を発見してこれを用いたということは思想史上の最も重要な大業の一つであって,これが真の意味における物理学の第一歩となっています。ガリレイの発見は直接の観察に基づく直観的結論は誤った手がかりに導くことがあるから,必ずしも信用が置けるものではないことを私たちに教えたのです。
しかし直観はどこが悪いのでしょうか。四頭立の馬車が二頭立の馬車より速く走るというのが悪いのでしょうか。
運動の基本的事実をもっと綿密に調べてみましょう。まず激烈な生存競争から得られ,文明の初期から人類に熟知されて来ている日常経験から出発しましょう。
誰かが平坦な道を手押車を押して行って,突然押すのを止めてしまうとします。車はある短い距離だけ運動を続けてから止まるでしょう。私たちはこう尋ねます。「この距離を増すのにはどうしたらよいでしょうか。」これにはいろいろな方法があります。例えば車に油をさしてもよいでしょうし,道を非常に滑らかにしてもよいでしょう。車の回転が容易な程,また道が滑らかなら滑らかな程,車は長く運動を続けるでしょう。だが一体油をさすとか滑らかにするということがどういう役目をしたのでしょうか。それはただ外部の影響を少なくしたというだけのことです。摩擦と呼ばれる作用が車においても,車と道との間においても減らされたのです。これは現に,目に見える明瞭な事実の理論的説明ですが,この説明は実はまだひとりよがりなものに過ぎません。ここでもう一歩正しく進めば正しい手がかりが得られるでしょう。道が完全に滑らかで車には全然摩擦がないと考えてごらんなさい。そうすれば何物も車を止めるものはなく,従ってそれは永久に走り続けるでしょう。この結論はただ理想化された実験を考えて始めて得られるのですが,外部的な影響を全然排除することは出来ませんから,そういう理想化された実験を現実に行なうことは決して出来るものではありません。しかし,真に運動の力学の基礎をなしている手がかりはこの理想化された実験が教えてくれるのです。(pp.8-9)
科学的の想像が,古い概念の余りに狭苦しいのに気づいて,これを新しい概念で置き換えるのです。どんな方面のことでも一度創始された線に沿って発展を続けて行くということの方が革命的である場合よりも多いのですが,何かしらある次の転換期に達すると,そこでまた新しい視野が拓けてゆくのです。しかしながら,一体どんな理由で,どのような困難が起きて,重要な概念を変更させるようになるかを理解するためには,単に初めの手がかりのみでなく,それから導かれる種々の結論をも知らなければなりません。(pp.30-31)
数量的の結論を引き出すためには,数量の言葉を使わなくてはなりません。科学の根本的な思考の大多数は本来簡単で,大抵は誰にもわかる言葉で言い表せるものです。ところがこれらの思考を推し進めて行こうとすると,非常に洗練された研究手段を使わなくてはならなくなります。実験と比較され得るような結論を引出そうとすると,どうしても論理の手段として数学を必要になってきます。(pp.31-32)
物理学の概念は人間の心の自由な創作です。そしてそれは外界によって一義的に決定せられるように見えても,実はそうではないのです。真実を理解しようとするのは,あたかも閉じられた時計の内部の装置を知ろうとするのに似ています。時計の面や動く針が見え,その音も聞こえて来ますが,それを開く術はないのです。だからもし才能のある人ならば,自分の観察する限りの事柄に矛盾しない構造を心に描くことは出来ましょう。しかし自分の想像が,観察を説明することの出来る唯一のものだとは言えません。自分の想像を,真の構造と比べることは出来ないし,そんな比較が出来るかどうか,またはその比較がどういう意味をもつかをさえ考えるわけにゆかないのです。けれども,その知識が進むにつれて,自分の想像が段々に簡単なものになり,次第に広い範囲の感覚的印象を説明し得るようになると信ずるに違いありません。また知識には理想的な極限があり,これは人間の頭脳によって近づくことのできるのを信じてよいでしょう。この極限を客観的真理と呼んでもよいのです。(pp.35-36)
科学の一部門に発展した思想の線は,外見上全く性質の異なった事柄の記述に適用し得ることがしばしばあります。かかる場合に,もとの概念が,その発生の源となった現象をも,並びにそれを新たに適用する現象をも,共に理解することの出来るように修正されることも稀ではありません。(p.42)
科学の上で大きな進歩の見られるのは,殆んどいつも理論に対していろいろな困難が起り,危機に出遭った際にこれを脱却しようとする努力を通じてなされるのであります。私たちは,古い観念や,古い理論を検討してゆかなくてはなりません。過去にはそれでよかったものの,同時にその検討によって新しいものの必要を理解し,かつ前のものの成立する限度を明らかに知ることが大切です。(p.86)
問題を公式的に示すのは,それを解くことよりも大体において一層本質的な事柄です。解くことはいわば単に数学的であるか,または実験的の技巧に属するからです。新しい疑問や,新しい可能性を提起し,新しい角度から古い問題を眺めるのは,創造的な想像力を要し,かつ科学の上で真の進歩を特徴づけるものです。(p.106)
たとえて言えば,新しい理論をつくるのは,古い納屋を取りこわして,その跡に摩天楼を建てるといのとは違います。それよりもむしろ,山に登ってゆくと,だんだんに新しい広々とした展望が開けて来て,最初の出発点からはまるで思いもよらなかった周囲のたくさんの長めを見つけ出すというのと,よく似ています。それでもしかし出発点は依然として存在し,かつそれを見ることができるにちがいないので,ただ私たちが冒険的な路をたどっていろいろな障害物を踏み越えて来たことによって,この出発点はやがてだんだんに小さく見え,私たちの広い眺めの些細な部分をなすのに過ぎなくなるのです。(pp.175-177) -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
二十世紀を代表する物理学者であるアインシュタインとインフェルトが、専門的予備知識を持たない読者のために、現代物理学の全貌を平易に解説した万人のための入門書。
数式を用いず、巧みな比喩と明快な叙述によってmガリレイやニュートン以来の物理思想から相対性理論および量子論に説き及ぶ。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
二十世紀を代表する物理学者であるアインシュタインとインフェルトが、専門的予備知識を持たない読者のために、現代物理学の全貌を平易に解説した万人のための入門書。
数式を用いず、巧みな比喩と明快な叙述によって、ガリレイやニュートン以来の物理思想から相対性理論および量子論に説き及ぶ。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
分かりやすい文章で紐解いていく物理学の変遷。
前巻の続きから、場と相対性、量子学が収められている。
本巻で述べられているのはそれぞれの理論の関連、光子論、量子といった実在の物質と離れていく理論になるため、理解が困難だった。
前巻では数式があまりに少なすぎると感じていたが、下巻においては数式があっても無くても理解度には影響しないような気がする。
何しろ出版が1939年で、おそらく原著はそれ以前であろうから今の物理学はこれ以上に発展しているだろう。
だが、その時点で既に量子力学が確立され、X線の回折が行われていることに驚いた。(改めて考えると、X線の回折を利用してDNAの構造が決定されたので年代的に問題は無いのだが・・・)
蛇足的な呟きとして、光スペクトルの「紫色光」が「菫色の光」と記述されているのが可愛らしかった。(赤色光はそのままだったが)
-以下、個人的なメモ-
まず、座標系を考えなければいけない。
あらゆる座標系で光の速度はいつも同じ。
エーテルが外界から切り離された箱によって全部運ばれる、まったく運ばれない、一部だけ運ばれる、という3つの説はすべて棄却されたため、エーテルは抹殺された。
その代わりに、空間が波動を伝播する物理的の性質を持っているという仮定がなされた。
一つの座標系では同時である二つの出来事が他の座標系では同時であるとは限らない。
光の速度はすべての座標系で一定である、という理論から、動いている時計と動いている棒は座標系によってリズムと長さを変化させる。
●相対性理論の見地からは、物体は光の速度より大きい速度を持つことはできない。
最も重い元素は最も複雑な構造をしていると考えられ、その崩壊によって放出される素粒子が放射能。
相対性理論では、エネルギーは質量を持っており、質量はエネルギーを表す。
物質はエネルギーが集中している場であり、それ以外はエネルギー密度の低い場である。すると、すべての空間は場で表すことができる。
X線回折は分子構造の隙間を小孔に見立てて、回折現象が起こること。
どの物理理論に対しても、その端緒となるのは観念や思考であって、公式ではない。
量子物理学は個々のものではなく、群集の確率をあらわす。
重要な進歩はいつも新しい問題を起こしてくる。 -
Posted by ブクログ
物理学の変遷。
物理学界の大家である2人による物理学入門書。
分かりやすいと評判だったが、翻訳を経てどうなっているか、と斜に構えていた私の先入観を吹き飛ばすほどの読みやすさだった。
著者らの目的とするところは、人間の心と観念の世界と現象の世界との関係を明らかにする試みの大要を述べようとした事である。
その為に決めた方針に沿って事実や理論を述べていくので当然省かれている箇所もあるだろう。だが、それはあくまで彼らの選んだ道に無かっただけであって、重要度とは関係ない。
本筋は、まず古典力学に始まり、熱、電気、磁気、波動、場までが上巻で語られる。
―以下、覚え書き。これだけでは分からない事は必至。―
力学では、力が大きさと向きをもつ、いわゆるベクトルで表し、全ての物理現象を力学的理論で表そうとする。
軽い物が早く進む慣性質量と、万有引力によって重い物が強く引かれる(秤の原理)重力質量が同じであること。
熱力学では、熱量と熱の強さ(温度)は同じ物ではない事。
ジュールの攪拌実験により運動エネルギーが熱エネルギーに変換される事が示された。
ブラウン運動がいつまでも続くのは、不可視な微小粒子(水分子)が常に動き回って巨大分子に衝突し続ける結果として視えるだけのこと。
光については、光素説と波動説があったが、十分に小さい穴/障害物を光線を当てると光の回折(上の場合に光が直線運動から外れる事)我みられた事により、波動説が主流となっている。
光の干渉(弱め合う、強め合う)の写真が載っていて分かりやすい。
波には縦波(ものが周りに振動を与える)と、横波(そのもの自身の回転によって生じるズレ)がある。縦波が場の平面状にあるのに対し、横波は場の平面に対し垂直面の波である。
エールステットの実験(針金の中に磁針を置く)から、変化する電場は磁場を伴う事、
ファラデーの実験(磁石の出し入れで誘導電流が発生する)から、変化する磁場は電場を伴う事が表された。
よって、この二つの場は共通するものであるだろう。
実験では、電流を切断する際に生じる火花は、電流の喪失→磁場の急激な変化→強い電位差、となって生じた現象。
すると、火花はエネルギーであり、磁場はエネルギー貯蔵庫の一つとしてみなさなければいけない。
以上の場の構造を示したのがマクスウェルの方程式。
マクスウェルの理論では、現在の場から極近い前後に何が起こるか予想し、その積み重ねで遠くの出来事を予測する。
それと比べてニュートンの理論では、二つのボールに働く力など、遠く離れた出来事を結び付ける大きな歩みが許される。
普通の電磁波と光波の相違は単に波長の違いのみ。
空間そのものが電磁波を伝える物理的性質を持っている、という考え方を受け入れるしかないようで、その言葉の意味には拘泥しないほうがいい。
・・・おそらく下巻でその空間について語られると期待。 -
Posted by ブクログ
科学者におけるアウトリーチ活動として、自分の専門を一般の人々(必ずしも専門ではない人)に書籍を通じて伝える、ということが多くなってきた今般において、本書の位置づけは薄れつつある。
当時は、Einsteinという当代きっての物理学者が記した本ということもあり、目新しく映ったのかもしれないが、現在においては、S HawkingやBrian Greenのような専門の物理学者が平易な言葉と美しい図を用いて物理学を解説している書籍が数多く出版されている。
歴史的には価値があるのかもしれないが、物理学を大学で学んできた人間にとっては、かなり物足りない内容である一方で、高校や大学で物理とは疎遠である人(このような人は、そもそも本書を読まないのかもしれないが・・・笑)には、あまりピンとこないのではないかと思う。図も少なく、語り口が少し古臭い。(まぁ、岩波なのでそこは我慢しないと。)
例えば、誘導電流の解説のところでは、理論を学び、実験を行った経験があるので簡単に読み進められたが、物理の素養がない人が読むと、なんのこっちゃ、となるし、その意義が理解できないのではないかと思う。