石巻日日新聞社編のレビュー一覧
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以前ドラマ化されていた作品で、改めて原作本を読んでみることにしました。
後半の、記者それぞれの体験談が、各々異なる場所や視点で記されていて、当時報道されなかった状況を、少しながら知ることができたように思います。
以前、現地で市職員の方からお話を聞いたときに「長机を使った脱出用の橋」のエピソードをうかがったのですが、この本でも紹介されていて、改めてよく知ることができました。
この時期は、努めて震災関連の本を読むようにしています。
自分の中で年々記憶が薄れていくようで、なんとかリセットというか、記憶の上書きというか、そこらへんを試みています。 -
Posted by ブクログ
石巻を舞台にした3.11の記録は、様々な団体や法人、企業が出してます。この本の舞台は石巻であり、本に登場する石巻日日新聞の記者が津波に巻き込まれて石巻赤十字病院に入院していたことから、『石巻赤十字病院の100日間』と併せて読むと、当時の臨場感がより強烈に伝わってきます。また、同じ被災地の新聞社という点で『河北新報のいちばん長い日』辺りと読み比べると、同じ被災地にありながら異なる環境下でそれぞれのベストを尽くそうとした人たちの気概が伝わってきて、また興味深いというところです。
この本の出色としては、後半の6人の記者による時系列での活動記録。各自の行動が交差しているので、この記録を読むことで個人 -
Posted by ブクログ
ネタバレ世界の人々にも、あの衝撃、惨状をいまもなお
訴え掛け続けている「6枚」の壁新聞。
その製作までに至った過程を、たんたんと書き綴っている。
そこには、地域に根付く本来の記者の姿があった。
ただ、注目を浴びる一方で、記者たちは
「おれたちはただ、普通のことをしているだけ」という世間との
ギャップにも悩まされていた。
本当に支援が必要な人たちをもっと取り上げてほしい、
がれき問題など、伝えるべきことはたくさんあるじゃないか・・・
記者という仕事を考える。
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手を挙げたのは、12人中わずか2人だった。
福島民友のA記者が分科会のメンバーに投 -
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2011年3月11日の東日本大震災の際、宮城県の地域紙・石巻日日新聞社では輪転機が一部水没し創刊99年の新聞発行が危機に立たされる中、彼らは『壁新聞』という方法で七日間新聞を発行し続けたその記録です。
本書は2011年3月11日の東日本大震災のときに、宮城県地元紙である石巻日日新聞社にて、輪転機が一部水没し、新聞の発行が危うくなる中、なんと壁新聞として紙とペンだけで7日間、手書きの壁新聞を発行し、自身の家族の安否もわからないまま取材の最前線を走り続けた記者たちの様子や、発行された新聞によって励まされた現地の人々の記録を綴ったものです。
あの壮絶な地震と総てをなぎ払い、飲み込んでいった津波 -
Posted by ブクログ
【きっかけ】
読売新聞の朝刊にワシントンDCにある報道博物館に手書きの壁新聞が展示されたというニュースを見て切り抜いていたことがきっかけだ。
まさに報道の原点と受け止めていたのでその背景をそして今回の震災の地元からの視点を知りたかった。
【感想】
震災発生から6日間、壁新聞が発行された。その間の日日新聞の記者たちの手記形式で語られる。津波に流される者。家族の安否を気遣いつつ取材を続ける者。そこにあるものは地元の被災者への正確な情報を伝えるという使命感だ。
情報を伝える。正確な情報がもたらす安堵感がヒシヒシとくる。それは自らも被災しながらも地域を盛り立てようとする生の姿勢だ。一緒に掲載 -
Posted by ブクログ
これは新聞社としての指命とかそういう内容ではなく、東日本大震災の発生直後に、現地で何が起きたのかのドキュメントとしての価値のほうが高いように思いました。惨状を伝えると共に、記者本人、そして周りの人の心の持ち方がストレートに描かれています。
この「壁新聞」は、確かに当時の現地で何もわからないという人々には大きな価値があったに違いありません。しかし、機能としては通信社的機能であり、新聞社としてのジャーナリズムとは違うものだと思うのです。
当時の著者らの行動は素晴らしいことですが、今の新聞というのは必ずしもその延長線上にあるべきではないはずです。逆の言い方をすれば、多くの地方誌は壁新聞を印刷している