北村陽子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
斎藤幸平『人新世の「資本論」』にて、資本主義による成長の代償を後進国がおっかぶるという主張があったが、チョコレート産業におけるそれを見た。
先進国の都合でカカオの生産地にされた挙げ句、市場価格の暴落により貧困にあえぐ人々。奴隷同然の扱いを受けタダ働きさせられる子供たち。
私達はそれらの人々を犠牲にして、100円のチョコレートを当たり前のように食べている。
そして、原料のカカオを作っている人々は、カカオがどうなるのか知らず、チョコレートを見たことすらない。
これは過去ではなく、現代の話である。
資本主義経済における世界の歪さを思い知った。
自分が何ができるかは分からないが、この現実を意 -
Posted by ブクログ
チョコレートの原料のカカオ豆。古くから歴史があり疲労回復の食物として重宝され通貨の代わりにもなっていた。コロンブスがカカオをスペインへ持ち帰り、イギリスがスペインからジャマイカを獲得してからカカオの生産拠点としてキャドバリー社はチョコレート会社として発展する。
20世紀初頭、カカオの生産にはすでに奴隷制度が関わっていることを、クエーカー企業でさえ目をつぶってきた事実。アメリカ資本主義の欺瞞がここに。
アメリカのハーシー社はもともとはキャラメルを製造していたが、創業者はキャドバリー社の製造を参考にし、アメリカでチョコレート産業が花開く。雇用を促進し、住居を確保し、孤児院までつくる優良企業に発展 -
Posted by ブクログ
カカオ農園で働く子供はそれが何になるか知らない。
コートジボワールに行けば自転車が買えると隣国マリやブルキナファソから来た子供はだまされてカカオ農園で働かされるが給料をもらえることもなく搾取されている。穀物メジャーのカーギルやADMが買い付け、製菓メーカーがチョコレートを作る。児童労働を禁じる法律に対して製菓メーカーは調査をしぶり、見ないふりをする。
子供達を働かせる農家も儲かっている訳ではなく、カカオの集配人は私兵に賄賂をせびられ、カカオ公社は権力と結びつき輸出した代金は闇に消える。
チョコレートを食べる人が責任を感じる事はないが、真実は苦い。 -
Posted by ブクログ
原料のカカオ豆を栽培する子供たちと
それを食べる先進国の子供たちとの間には
どれだけ 深い溝があるのか・・
ショックを受けました。
働かないと生きていけない世界。
過酷な労働をしても 賃金が無い
または人身売買のような状態で つれて来られて働かされていたり・・
さらに恐ろしいのは、その状況を作り出しているのは
その豆を製造・加工・消費する
先進国の私達自身だということ・・
自分が口にするものについて
ここまで無知だったことを恥ずかしいと思いました。
「カカオ豆を収穫する手とチョコレートの包み紙を開ける手の間の溝が埋められるためには?」
という著者の言葉に、
今は何も答えられない -
Posted by ブクログ
心苦しい罪悪感と、チョコレートの無い生活なんて嫌だという欲と、私なんかが解決できやしないという無力感。
そういった、ごったまぜな感情になった。
平和で満たされた生活をしていると、カカオをとりまく苦しい世界が今現実にあるなんて、信じられない。
それでも、目をつぶっていてはいけない、と思った。
私には何もできなくても。
知ること。
それが全ての始まりなんだろう。
今後、チョコレートを見るたびに、一瞬ひっかかるようになるかもしれない。
あるいは、都合よくすっかり忘れてしまうのかもしれない。
それでも、この本を読んでよかったと思う。
【memo】
人は、良い環境でも、与えられたものであると満 -
Posted by ブクログ
成毛眞氏書評からのリファレンス。タイトルのとおり、古代マヤ文明において神々の食べ物とされたカカオ歴史、チョコレートの製品化とリーディングカンパニーの変遷。そして世界規模の格差を浮かび上がらせる現代のカカオ生産ビジネスが抱える暗部。
チャーリーとチョコレート工場(あの映画は1971年にも、チョコレート工場の秘密として映画化されている)にはちゃんとモデルがあって、それは自身の名前を冠する町ハーシーを建築し、孤児を引き取り育てたミルトン・ハーシーだった等のくだりは、当時のヨーロッパ企業とアメリカ経済の絡みかたまで俯瞰でき楽しい内容だった。
しかし、カカオ生産ビジネスが今なお抱える、児童強制労働に -
Posted by ブクログ
この本では、カカオに焦点を絞って貧困の構造について語っている。
カカオだけでなく、何にせよ、利益の配分に問題があり、それが貧困を作り出している。
貧困層の人が得るはずの利益を搾取する人が居る限り、貧困は無くならない。
利益を得るべき人から横取りする仕組みが出来上がっており、
その仕組みを崩そうとしても、その仕組みで利益を得る人間がそうはさせない。
よって、貧乏な人はより貧乏に、金持ちはより金持ちになる。
これは解決できるのか…?
どちらにせよ、裕福な人間が解決を試みない限り解決しないことは確かである。
貧困の原因は様々であり、解決が容易なものとそうでないものがあることが分かった。