秋山淑子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
1年間にわたってイスラム学者からコーランについて解説してもらいながら、ジャーナリストである著者がコーランを読んでいく。その講義を通じて、「イスラム的」とされるものの多くは地域や部族の習慣に過ぎず、コーランに書かれていないことを知る。
著者にコーランを講義するイスラム学者のアクラムは、非常に敬虔な信仰を持っている。行動だけでなく人格的にもムハンマドに倣おうと考えたアクラムは、非常に穏やかな人柄の人物でもある。「ムハンマドが教友たちに『静かに穏やかに振る舞う』よう助言した」からだ(92ページ)。
9.11やISのおかげでイスラムにはかなり悪いイメージが付いているが、色々な本やネットの記事を読む -
-
Posted by ブクログ
ネタバレラマダン月にイスラム教を学ぶための本を読もうという個人目標を立て、選んだ本。ちょっと期待外れのところもありましたが、総じて読み応えはありました。
最初にちょっとした批判、というか不満。
訳本にありがちなんですが、原題をないがしろにし過ぎ。著者がつけたタイトルは"IF THE OCEANS WERE INK - An Unlikely Friendship and a Journey to the Heart of the Quran"です。直訳すれば「たとえ海がインクだったとしても - 奇妙な友情とコーランの核心への旅」といったところでしょう。
本書の中に「たとえ海がイン -
-
Posted by ブクログ
借りたもの。
イスラーム過激派組織に関する報道でとり上げられている「コーランの一節」とされている大部分(イスラーム国家の建国とか、楽園に72人の乙女がいるとか)が、実はコーランには書かれていない!!というキャッチーな事実から始まり、読んでいてどんどん惹き込まれていった。
勿論、報道でもそれらが「『コーラン』を歪曲した解釈である」と端的に伝えられるが、では一体『コーラン』は何が書かれているのか、何を言わんとしているのか……
インド系イスラーム教徒のアクラム師と女性ジャーナリストのカーラ女史による、1年の講義――それは『コーラン』の一部分に対する旅のようなものだった。
“保守派”や“原理主義”と -
Posted by ブクログ
[大海の中へ]いわゆる世俗的な家庭に生まれ、中東や南アジアの諸都市で育った著者のカーラは、イスラーム古典の卓越した研究者であり、ムスリムでもあるアクラムと出逢う。欧米で吹き荒れるイスラーム批難の声に違和感を覚えた彼女は、イスラームを理解するために、アクラムと1年間にわたって『コーラン』を読み進めるというプロジェクトに乗り出すのだが......。著者は、『ニューズウィーク』紙などに寄稿しているジャーナリストのカーラ・パワー。訳者は、東京大学で宗教を学んだ経験を持つ秋山淑子。原題は、『If the Oceans Were Ink: An Unlikely Friendship and a Jour
-
-
-
Posted by ブクログ
イスラム教の歴史上、女性のイスラム学者は9000人いるという。
モスクで礼拝することについて、原初、女性は子育て等の理由で「免除」されていたが、禁止はされていなかった。
禁止したのはその後のアラブの習慣によるらしい。
著者が対話するインド出身のイスラム学者の立場は明快だ。コーランは神の言葉であり、信仰は自身と神の契約であり、それ以外の何物も介在させる余地はない。
宗教を法とするということは、法にさえ違反しなければ正しく信仰していることになるという、堕落をもたらす。自身の信仰が正しいかどうかを判断するのは神のみだ。法律を決めた高官ではない。形式もまた然り。イスラム国は真っ向から否定される。
-
Posted by ブクログ
ムスリムの思考とその根源であろうコーランの内容を知りたいと思い、購入。
米国人でジャーナリストでフェミニストで多元主義者である女性(著者)と、保守的でコーラン原理主義的なイスラム教の学者であるアクラム師との対話(ソクラテス・メソッド的なコーランの講読)の記録。
巻末に簡単な用語集があり,役に立つ。
アクラム師は,コーランと預言者ムハンマドの言行(ハディース)に忠実であるという意味で,極めて保守的で原理主義的。
しかし,その原理主義の内容は,コーランやハディースの解釈に際しては,常に,前後の文脈,イスラム教の歴史(とイスラムの教えと単なる地域的な慣習との峻別)を十分に考慮するというもの。
よ -
Posted by ブクログ
インド出身の過激な静寂主義者「アクラム」を通じた、著者によるイスラム教の解釈について記されている。
著者は、アメリカ人でユダヤ教の家に生まれたが、熱心な信者ではなくどちらかというと無宗教という宗教観の女性。
コーランに書かれていることには大変興味があるので、本書を読めばそれが分かるようになる、と思ったら間違いでした。
結局、昔のアラビア語で書かれたコーランは、それをどう解釈するかにより、攻撃的にも融和的にもなりうるのだ、ということを理解出来た。
また、この世に救いを求めないような宗教観は、まるで仏教も同じではないかと意外な共通点があるものだ、と不思議な感じである。 -
-
-
-