成田悠輔氏がある動画でサイコロを3回振った時のゾロ目に何故人は心を動かされるのか、中高生に問いかけていたシーンがある。別に、2.3.5のような数字でも1.1.1と同じ確率であれば、特別性は無いのではないかと。現場に居合わせた人たちは納得させられたようだ。しかし、サイコロを一つずつ振るならそうだが、三つ一緒に振るなら、これは明らかな間違いだ。そして、この間違いに瞬時に気付けぬ人は、この本を読んだ方が良い。
少し補足する。サイコロを一つずつ振れば、最初にどの数字が出ても、その確率は均一だから、成田氏の発言は正しい。しかし、一度に振るなら2.3.5でも5.3.2でも3.2.5…でも1.1.1より複数パターンがあり得るわけで、明らかに1.1.1は特別だ。「順番に」と前置きがあるから、成田氏の発言は必ずしも間違いではないが、しかし、人間には、この経験則があるからゾロ目を特別視する〝直感”が備わっている。
本著は冒頭で踊る大捜査線で有名な「事件は会議室ではなくて現場で云々」を引く。理屈で考えるのだが、先ずは、パターンを書き出してみてはという思考プロセスの提案だろう。
直感的に騙されず、さらに、その直感が存在する事を前提に人や社会デザインのバイアスを見抜けなれば、危うい。そういう人は数値で計測するような基準では損をしている。しかし、その損こそが愛嬌だったり、他人への無意識的な利他、人望に繋がるという意味では、人間社会はよく出来ている。常に高確率を狙う人は、その計算ができない人より自ずと利己的に振る舞い、利己的な存在は、直感的に忌避される。
小金を稼ぐような成功者は、この社会におけるゾロ目なのかも知れない。ルール次第でゾロ目には特別性がなくても、経験則でゾロ目を特別視する。見せかけの権威主義が横行している。