子供の頃に私の本家の方が家系図をまとめて自費出版をされ、父が私にその本をくれたことがあります。あれから30年程度経過し、ずっと埃をかぶっていたその本を本棚を整理していた時に見つけました。先祖をたどることは戸籍の保存の関係で、徐々に難しくなってきているようですね。
この本では、行政書士である丸山さんが、先祖を千年さかのぼるためにはどのようなことをすれば良いかについて書かれています。最終的には祖先の住んでいた場所に出かけて、そこに住んでいる長老や役場の記録物にあたるのが良さそうですね。
改めて私の祖先の歴史を調べて纏めてくださった本家の業績の素晴らしさに脱帽するとともに、時間を確保して一度お墓参りもするべきだなと思いました。
以下は気になったポイントです。
・藤原氏の末裔は現在の名字も「藤原」であるとは限らない、実はほとんどは藤原ではなく別の名字に変わっている、それは「藤」の文字と別の一文字を組み合わせた二文字の名字(佐藤、工藤、伊藤等)(p17)
・今皆が名乗っている名字も平安期まで遡ると全く異なる「姓」である(p19)
・大本の出自は異なっていても、その後、中世の頃にたまたま同じ地名のところに居住していたために、同じ名字になってしまっていることが多くある(p22)
・日本で最初の本格的な戸籍と見られる「庚午年籍」が作成されたのが天智天皇(第38:668-671)の時代で、この戸籍により人民の姓氏も確定された(p25)
・武士の中でもいわゆる上級武士(百石取り以上)はほんの一握り、武士の家系については分限帳という給与明細のようなものが現存していて先祖の年収もしることができる(p28)
・ある地域で同じ名字の家は皆同族である可能性が極めて高い(p34)
・明治時代に戸籍が作成され始めた本来の目的は、徴税と徴兵である(p38)
・古来の姓というものは天皇・朝廷から付与され、それにより賜った側は権威がつけられるという構図で成り立っている(p59)
・武士たちも普段は名字でお互いに認識していても、朝廷に対して自分の名前を名乗るときには、やはり「源」「平」「藤原」を名乗ります、徳川家康も公式文書では、源朝臣家康である(p60)
・大多数の名字は土地名を根拠にしている、土地名が先にあり、それを自らの土地だと示すために、名字とした、あるいはその土地の出身であるために名字としたのが大半(p63)
・清和源氏から生まれた代表的な3人として、源頼朝、足利尊氏、徳川家康がいる(p69)
・公家の家紋は優雅さを競う傾向に、武家の家紋はシンプルで目立つもの、武家らしく力強いものを用いる傾向にある(p87)
・明治5年式の戸籍(壬申戸籍)はそれ以前の宗門人別帳の影響が色濃く残っていて、菩提寺や氏神、受けた罰の情報も記載されているので法務局から厳重封印されいている、現在取得できる最も古い戸籍は様式改正された明治19年式(p99)
・明治5-19年までの間の転籍情報が明治19年式戸籍に載っている可能性がある(p115)
・地租改正を巡って農民に正式な所有権が与えられ、その証明書が「地券」である、地券はやがて廃止されて土地台帳制度、さらに現代の登記制度へと変更された(p119)
・まずは可能な限り古い戸籍を取得し、その本籍地を地名辞典で調べるだけでも、江戸時代の自家の様子に迫ることができる(p122)
・現地に残る同性宅(自分の本家にあたる家)の現当主に信頼していただいて、そのうえでその方からお寺の住職に紹介してもらうことが望ましい(p155)
・お寺によっては戦国時代からの過去帳が存在しているケースがある、過去帳をつけ始めたのは江戸時代前半の寛永年間(島原の乱:1637)である(p162)
・戒名は、生前の本人の人生や性格を反映したもの、戒名は、院号+道号+戒名+位号からなる、戒名以外は、どれだけお寺に貢献したかで決まる(p176)
・分限帳には、現在の職員名簿とことなり、各人の給与額が堂々と書かれている(p203)
・知行取りとは、自分の領地をあてがわれることで、村に年貢を課して小さいながらもその村の領主となるわけで、武士にとっても最大の名誉、目標であった、「蔵米取り・扶持米取り」とは、領地は持たずに現金支給という給与形態、一般的には百石取り以上を上級武士という、彼らは現在まで家をつなぐことは可能であったと考えられる(p205)
・米17俵とは、現在の年収で100-200万円(p205)
2012年8月5日作成